(2-1)
「無門関(無門慧開1183-1260がまとめた公案集)第三十則 即心是(即)仏」
本則:
馬祖(註2)、因みに大梅問う、「如何なるか是れ仏」。
祖云く、「即心是仏」。
筆者訳:大梅が師の馬祖道一に尋ねた。「仏とはどういうものですか」
馬祖「心がそのまま仏である(註2)」
註1馬祖道一(709-788)は唐代の禅者。大梅(大梅法常752-839)は弟子。
註2 道元の「正法眼蔵」にも「即心是仏巻」があります。そこで道元が言う「即心是仏」とは、「悟りに至った者だけに神性が現れ、彼らが見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)モノだけが真実だ」という意味です。そして道元はさらに「これに対し、釈迦以前のヴェーダ信仰や初期仏教の有部の人たちが『人にはもともと神性がある』としているのは誤りだ」と言うのです。筆者には異論があります。くわしくは以前の「即心是仏(1)」で論じました。
筆者の感想:「仏とは何か」が問題ですね。仏典では1)神仏の仏、2)最高の悟りに達した者、3)宇宙の法則、4)釈迦が混同されているようです。馬祖、無門や道元は2)を指していると思います。さらに道元は2)=釈迦牟尼仏とも言っています。ちなみに、あの永平寺では、「只管打座(ひたすら座禅せよ)」とこの「即心是仏」が重要だとされています。
評唱(無門の感想):
若し、能く直下(じきげ)に領略(りょうりゃく)し得(え)去らば、仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ずる、即ち是れ仏なり。是の如くなりと然(いえ)雖(ど)も、大梅、多少の人を引いて、錯(あやま)って定盤星(じょうばんじょう)を認めしむ。争(いか)でか知道(し)らん箇の仏の字を説けば三日間口を漱ぐことを。若し是れ箇の漢ならば、 即心是仏と説くを見て、耳を掩(おお)うて便ち走らん。
筆者訳:もしこの「即心是仏」の真理を正しく理解すれば、そのまま、仏の衣を着け、仏飯を食べ、法話をし、仏行するなど、悟りへの正道を歩む人です。それにしても、大梅が(馬祖も:筆者)「即心是仏」などとわかりきったことをことさら原理としたのは多くの人を誤らせたのだ。ひとかどの禅者なら、こんなことを聞いたら恥ずかしくて三日間ウガイをし、耳を覆って逃げ出すだろう。
筆者の感想:「仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ずる、即ち是れ仏なり」は無門が十分に修行を積んだ上級の僧に対して言った言葉だと思います(「無門関」はすべてそういうものです)。道元も、そうなるには修行僧になることが不可欠だと言っています。一方、山川宗玄師は(「無門関提唱」春秋社)、「(これを山川師の講演を聞いていらっしゃる)皆さんに対する言葉でもあります」と言っています。でも、これではピンと来ませんね。それについては次回お話します。
頌(無門の詩):
青天白日、切に忌む尋覓(じんみゃく)することを
更に何如と問えば、贓(ぞう)を抱いて屈と叫ぶ。
筆者訳:即心是仏の原理など当然のことであって、その上何か付け加えれば、盗品を持っているのが明白なのに、まだ「私は無実だ」と言うようなものだ。
筆者の感想:「何か付け加えれば」の意味は、大梅が「即心是仏」を聞いて悟り、その後山に隠棲して15年後、「馬祖が今では非心非仏と言っている」と聞いて、「私はあくまで即心是仏だ、あのおやじ(馬祖)は何を言っているんだ」と反論したエピソードを指します。馬祖はそれを伝え聞いて「大梅はついに熟したな」と言いました。なお、無門関第三十三則には非心非仏が語られています。
即心是仏(2-2)
道元は、悟りに達するには修行僧になることが不可欠だと言いました。現代でも永平寺や、高野山、岐阜県の正眼寺などで僧たちによる厳しい修行が行われています。しかし、社会人として生きている私たちにはとうてい真似のできないことですね。では本当に悟りのためにはあのような厳しい修行の日々が必要なのでしょうか。筆者にはそうは思えないのです。今回はそれについてお話します。
筆者の親しい友人AさんとBさんは、いわゆる中小企業の経営者です。それぞれ25年と50年以上社長職を務めてきましたが、それがどれほどすごいことかは、大きな組織に守られて、生活の心配をする必要のなかった筆者の想像に余ります。筆者の近所でも、これまでの数十年、どれだけ多くの書店、食品店、コンビニやブテイックが次々にできては潰れるのを眼にしてきたかわかりません。
AさんBさんの成功の秘訣をどうしても知りたくて、飲みながら重い口を開かせました。Aさんは会社の不条理な仕打ちに反発し、54歳(!)で辞めたとか(彼の誇りですね)。「1年くらい失業保険で食い繋ぎながら新しい仕事を探そう」と思っていたところ、関連業種他社の友人たちが放って置かず、彼らの協力で起業したのです(気持ちの良い話ですね)。Bさんの苦労も大変でした。上級公務員のエリートコースを歩んでいたところ、父上の急死により未知の会社経営を引き受けざるを得なかったとか。Bさんなら、そのまま旧道を歩いていればトップになっていたでしょう。言うまでもなく、経営者の肩には社員とその家族の生活も掛かっているのです。筆者などは、年金保険などの掛け金は自分の分だけ払っていればよかったのですが、経営者は残りの半分も負担しなければなりません。筆者は定年になるまででそんなことさえ知りませんでした。地方都市の企業主だったBさんなど、「廃業すれば、もうそこには住んでいられない」と言っていました。無念なことも多かったでしょう。とにかく注文がある月は100、無い月は0と極端だったのです。眠れない日が続いたのは当然でしょう。
もちろん、必要なのは経営上の才覚ばかりではないはず。従業員に対する思いやり、得意先や関連業種の人たちに対するきめ細かい配慮・・・つまり全人格的なものが大切なのだと思います。お二人に聞いた経営上の信念はそれぞれ、「騙されても騙してはいけない」と、「忍耐」でした・・・。利益を求めるだけでは世の中が長年にわたって相手にするはずがありません。お二人がずっと人格の陶冶を続けて来られたことが、現在の成功の最大の力だったと思います。
前述のように、道元は「悟りに達するには修行僧になることが不可欠だ」と言いましたが、筆者はAさんBさんの話を聞いて、必ずしもそうとは思わないのです。お寺での修業はテレビや本で見ただけでも大変だと思います。しかし、一方でそれは、長年にわたって完成されたレールの上を走るだけのような気もします。寺という組織に守られているからです。少なくとも明日の食事を心配する必要はないでしょう。それゆえ良寛さんは寺を離れ、乞食(こつじき)の道を選んだのです。「嚢中三升の米(があれば十分)」の詩がそれを示しています。
AさんやBさん、それどころか、立派に生きた市井の人たちが生きる厳しさ、人格の形成は、寺での修業と違うところはないと思うのです。Aさん、Bさんは共に悟りの必要条件は満たしていると思います。ただ、十分条件とするにはもう一つ大切なことが足りないと思うのですが・・・。筆者のブログシリーズからそれを読み取っていただければ幸いです。