読者のコメント(17‐1~3)ついにこういう人が現れました

  読者の時永様から次のようなコメントがありました。

 1)初めてコメントしたします。
 時間をかけて投稿は現在まで全て読ませていただきましたが、この記事が”空”について一番明快に論じておられるようで、あえてここで質問させていただきたいと思います。

私は大竹晋さんの『悟り体験を読む』を読んでから、空思想や瞑想について考える様になりました。これまでも色即是空空即是色と言った言葉はもちろん聞いたことはありますが、空とは何かについて、どの解説を読んでもピンと来ず、正直何を言っているのかわからない状態でした。これはいわゆる修行が足りないからかなぁとは思いつつ、大学で哲学を少し齧ったこともあり、愚鈍ながら自分なりに神や宇宙の存在を思考し続けてきました。その上で、塾長のおっしゃる、空とは哲学的な観念というより、ものの観かたのことだとの指摘は、綺麗に腑に落ちた感じがします。

そして浅学な自分なりに咀嚼しますと、
色とは、『物質世界で自らも体躯をまとって五感を使い、日常的な喜怒哀楽を感じ、様々な欲望を充足し、生存に必要な食扶持を稼ぐための仕事や、瑣末で事務的な事まで遂行する』、これらは同時瞬時に、空として、『一切を自己の真我アートマンが主体として経験し、味わっている』ということと一体であり、不可分である。ということになるのかなと考えたりしています。そしてそれらをきちんと味わうには、”前後裁断”つまり過去は過ぎ去り未来は未だ来ず、ゆえに今の今の今に集中するということができる方が良いのだろうかと思えます。こう考えますと、例えばコーヒーを飲むのでも、たとえ過去に何杯これからも何杯飲もうとも、本来この宇宙でこの私が今味わうこのコーヒーの味の経験は一回きりなんだなと思い至ります。そしてこの考えを延長しますと、禅語にあります一期一会とか喫茶喫飯であるとかが良くわかる気がします。また密教の17清浄句も、その理由が良くわかる気がします。

 そしてまた塾長は、道元等はヴェーダの見地に戻ったのだ、とおっしゃっていますが、私の一番好きな公案である古帆未掛の頌に”法塵もまた掃除せよ”とあったり、また一休宗純が、『釈迦といういたずら者が世に出ておほくの人をまよはするかな』と詠んだりしているのも、この辺のことなのかなと考察しています。そもそも”空”とは何がカラなのかと考えますと、いわば色の見方をする自分をカラにしてしまえば、自己の中の神が、これまた神の顕現である森羅万象と向き合っている状態となり、そこで主体と客体は無くなるのかもしれません。この一元的な世界は確かにヴェーダ的だと感じます。

以上、これまでの塾長の記事に関しまして、非才な私のコメントを述べさせていただきましたが、さて目下、塾長に質問いたしたく思っておりますのは、座禅するということが、どの様に空の見方が出来る、あるいは気付ける、実感できるという心の持ちかたに繋がっていくのか、ということです。三昧にすぐに入れる様な集中力があれば、前後裁断の見方は容易いのでしょうか?見性したいという欲もまた厄介で集中力を減らすものであり、ただでさえ煩悩まみれな自分は座禅しても甚だ途方にくれる有様で、また開悟は経験した者にしかわからない世界かとは思いますが、ヒントをいただければ幸いです・・・・。

 2)筆者の感想:時永様のコメントを読ませていただき、「ついにこういう人が現れたか」と感動しています。他の皆さんにも参考になると思いますのでご紹介させていただきます。なお、時永様の引用語句から、そうとう深く禅を学んでいらっしゃることがわかります。まず、ご質問に対する私の考えからお話させていただきます。ご質問の内容は、次の二つに分かれると思います。

 ・・・1)座禅するということが、どの様に空の見方が出来る、あるいは気付ける、実感できるという心の持ちかたに繋がっていくのか。三昧にすぐに入れる様な集中力があれば、前後裁断の見方は容易いのでしょうか?見性したいという欲もまた厄介で集中力を減らすものであり、ただでさえ煩悩まみれな自分は座禅しても甚だ途方にくれる有様で・・・

2)開悟は経験した者にしかわからない世界かとは思いますが、ヒントをいただければ幸いです。

 1)について:座禅瞑想(以下座禅)することは、「空」の見方を実感できる心の持ち方に繋がって行けると思います。しかし、おっしゃるように座禅はとても難しいのです。私も色々試してみて「これなら」と思える座禅法を会得するのに40年かかりました。このように、座禅から悟りに至るのは至難の業だと思います。もちろん今も続けていますが・・・。しかし、ご安心ください。じつは別の道があるのです。私が偶然見つけました。それが「空とは何かをわかること」です。学ぶことですね。仏教で「教行一如」というのはこのことでしょう。座禅は「行」、学ぶことは「教」です。子供が座禅しても価値はありません。第一、座禅の意味すらわからないはず。「教え」の大切さです。

 2)について:開悟は経験した者にしかわからない世界と私も思います。私が悟りに達したかどうかはわかりません。ただ、「ふしぎなこと」を体験しました(註1)。高野山には虚空蔵求聞持法という厳しい修行があります。それを「成し遂げた」と思っても、「ふしぎなこと」が起こらなければ始めからやり直さなければなりません。悟りは何段階もあると思います。私も「ふしぎなこと」を体験しましたので、その第一段階には達したのかもしれません。これがヒントです。

註1「ふしぎなこと」の内容については、拙著「禅を正しくわかりやすく」(パレード出版)に書きました。

 3)筆者の感想:時永様が「色とは、『物質世界で自らも体躯をまとって五感を使い、日常的な喜怒哀楽を感じ、様々な欲望を充足し、生存に必要な食扶持を稼ぐための仕事や、瑣末で事務的な事まで遂行する』、これらは同時瞬時に、空として、『一切を自己の真我アートマンが主体として経験し、味わっている』ということと一体であり、不可分である。ということになるのかなと考えたりしています」と理解されたのは正しく、重要なブレイクスルーがあったと思います。ただ、それがわかったことで「ふしぎなこと」が起ったかどうかが問題なのです。私と時永様の境地に差があるかどうかはわかりません。もしあるとすれば、私はこれまで「悟りに達したい」というより、「ただ知りたい」とだけ願って禅を学んできました。そこが少し違うのかもしれません。研究者として生きてきましたが、研究者とはそういうものだと思います。

 時永様のコメントは続きます。

 ・・・そしてまた塾長は、「道元等はヴェーダの見地に戻ったのだ」とおっしゃっていますが、私の一番好きな公案である古帆未掛の頌に”法塵もまた掃除せよ”とあったり、また一休宗純が、『釈迦といういたずら者が世に出ておほくの人をまよはするかな』と詠んだりしているのも、この辺のことなのかなと考察しています・・・

筆者の感想:道元がヴェーダの見地に戻ったかどうかはわかりません。ただ、「仏(神)」という概念を入れていることは間違いありません。「正法眼蔵」をよく読めばわかります。釈迦仏教にはないヴェーダの思想ですね。唐代以来の禅者にもなかったことです。臨済は「赤肉団上一無位の真人あり」と言っていますね。明らかにヴェーダで言う「個我」です。

 一休さんの上記の歌はふつう「お釈迦さんがお生まれになって仏法を説かれたが、そのためにかえって多くの人がわいわいがやがや騒いで迷っていることよ」と解釈されています。しかし私は、まさに時永様がおっしゃっているように、「釈迦が私たちの正しい道を誤らせた」と言いたいのです。それが肝心のインドから仏教が駆逐されてしまった理由の一つだと思います。ただ、それを明言すれば、多くの仏教関係者から反発を受けるはず。それが煩わしいので黙っていたのです。仏教は、たしかにすばらしい思想「禅」を生み出しました。その意味では偉大です。しかし、負の遺産も多いと思います。これまで多くの僧侶や仏教研究家が怠惰だったからと思います。私も時永様と同じように、「悟りとは何か」を知りたいと、さまざまな本を読みました。しかし、どれを読んでも「腑に落ちなかった」のです。現代日本仏教が葬式仏教に堕したこと、東日本大震災の被災者を救援しようとしてもまったく無意味だったことも負の遺産の結果だと思っています。薬師寺の布教委員の僧侶が「無力だった」と涙を流していましたが、まだ救われます。

読者のコメント(16)‐現在の禅僧はだめだ

 読者の伊藤信様から次のようなコメントをいただきました。他の皆さんにも参考になると思いますので、ご紹介させていただきます。

 ・・・当方は無宗教の者です。日頃思っている事を述べます。釈迦は出家(世俗を離れる)して、仕事はせず托鉢と布施だけで生活をしなければ、悟り(解脱)は得られないと説きました。それで態々乞食になった禅僧も居るとか。しかしこの時代に、そんな生活は出来ません。現に禅坊主は妻帯・肉食、世俗そのものです。安泰寺は自給自足と云いますが、電気水道ガス電話まで自給はできないでせう。仕事をしないと収入は無いですから、電気代はどうやって払っているのでしょうか。坐禅をしても何もならない、と言いながら坐禅をしているとは思えません。悟ったと自称する禅坊主も、何を悟ったのかは口外しません。不立文字、口では云えないと。それでは単なる個人的主観に過ぎないです。禅坊主は現実離れをした事を有り難がって、自己満足している偽善者集団に思えるのです。立派な禅坊主も居られるとは思いますが・・・。

筆者のコメント:伊藤様のご意見は一々ごもっともです。筆者がこのブログシリーズを書き続けていますのは、わが国が世界に誇る文化遺産である禅の教えを正しい方向へ戻そうとするためです。ただ、彼らのために弁護もしたいのです。

1)「禅坊主は現実離れをした事を有り難がって、自己満足している偽善者集団に思える」について:彼らは誰にも迷惑をかけずにやっています。見守ってあげてください。永平寺での禅問答を視聴したことがありましたが、かなり形式的なのが気になりました。

2)「禅坊主は妻帯・肉食、世俗そのもの」について:禅宗の僧侶には妻帯していらっしゃる人も、そうでない人も様々です。元安泰寺住職のネルケ無方さんは前者で、岐阜県正眼寺の山川宗玄師は後者と思います。NHKで視聴したネルケ無方さんのことを紹介した時(筆者のブログをお読み下さい。「なぜ欧米人は禅に興味を持つのか」 2021/9/4)、「18年務めた住職の座を中村恵光師に譲る」とありました。しかし、ネットで調べたところ、子供たちの進学のため大阪へ移ったことがわかり、唖然としました。NHKではその理由には触れられていなかったからです。

3)安泰寺は「年間1800時間座禅する」のが謳い文句です。しかし、教えや問答が一切ありません。「教行一如」が基本なのです。ネルケさんの弟子で、モスクワ大学で素粒子物理学を学んだ青年僧(当時24歳)は、「誰からも答えを得られない問いを抱え、答えを与えてくれる人や場所を求めていた。仏教や座禅に興味があり、そこに答えがありそうな気がした。1年に1800時間も座禅する安泰寺を知ってここへ来た。さらに畑作りや食事作りにも気づきがあります」・・・・・・けっきょくこの人は「ここでは答えが見つからなかった」と1年後、山を下りました。教えや問答のない安泰では無理でしょう。

4)「悟ったと自称する禅坊主も、何を悟ったのかは口外しません。不立文字、口では云えないと。それでは単なる個人的主観に過ぎない」について:おっしゃるようなケースも多いと思います。高野山で言われている「悟ったかどうかの判断」は、「その時、奇跡が起こったどうか」です。悟ったかどうかはともかく、筆者があることが分かったときの「不思議な体験」を、(禁を犯して)著書「禅を正しくわかりやすく」(パレード出版)に書きました。

5)「電気水道ガス電話代」は、托鉢によって手に入れたか(お米だけではない)、協力者の寄附によるのでしょう。

色即是空-中村元博士と筆者の解釈の相違(1)

 中村元先生については何度もお話してきました。元・東京大学文学部梵文学科教授で、わが国の仏教研究の第一人者だと思います。サンスクリット語から、チベット語、漢文の素養も高い、碩学という言葉がぴったりの人です。その中村先生が「般若心経」について語っていらっしゃる生の言葉が残っています(註1)。「般若心経」は、禅の根本経典とされ、「空」思想をもっとも端的に表す経典と考えられています。

 中村先生の「般若心経」についての講演では、まず、「五蘊とはわれわれの身体を構成している5つの要素だ」とされています。そして、肝心の色即是空・空即是色については、

色即是空:われわれの体は固定的な物ではなく、実体はない(色はすなわちこれ空である)。

空即是色:しかし、われわれの体は虚無ではない。現実に展開するもの、物質的な形に他ならない。内になにもない。なにもないから展開することができる。ちなみに、中村先生の受・想・行・識についての解釈は、

 受:感受作用

 想:心に思う表象作用

 行:われわれを内から作り出す作用(太字は筆者)

 識:識別作用

そして「空思想」を「人間のあり方」に結びつけて、

 ・・・執着や煩悩の本体は「空」である。だから修行によって無くすることができる。この理を体得することが悟りである。つまり、自分に気づくことである・・・

と言っていらっしゃいます(註2)。

筆者のコメント:筆者の解釈は中村先生とはまったく異なります。すでにお話したように(註3)、まず、五蘊の解釈から違います。筆者は、五蘊とは「人間のモノゴトの観かただ」と思います。すなわち、

色蘊  –  人間の認識作用の対象(たとえばバラ)。

受蘊  -  (バラを)見る(聞く、嗅ぐ、味わう、皮膚)などの感覚。

想蘊  - (「あれはバラだ」とする判断のための)知識。

行蘊  -  「バラを取りたい」という気持ち。

識蘊  –  「きれいなバラだ」との認識。

と解釈しています。そうでなければ色に続いて受・想・行・識が来る理由がわかりません。しかも、上記のように中村先生の受・想・行・識の解釈は統一的ではありません(とくにについて)。さらに重要なことは、色即是空・空即是色の解釈の違いです。中村先生の上記の解釈は、たんに「空」を「無常」の概念に則っとったに過ぎず、禅の深い意味は感じられません。筆者の色即是空・空即是色の解釈については、すでに何度も当ブログシリーズでお話しました。

註1You tube https://www.youtube.com/watch?v=Esn7QvTlSpw中村元般若心経・金剛般若経の解説

註2 鈴木大拙博士の「般若心経」解釈についても、すでにお話しました(中野禅塾だより2015/12/1)

註3 ブログ中野禅塾だより(2015/11/15)

オーム真理教の闇と光‐野田成人さん

 オーム真理教事件が私たちに衝撃を与えたのは、その独善的な信念(?)ばかりでなく、東大医学部卒の医者や、一流大学出身の優れた研究者の卵など、前途有望な若者たちが数多く入信していたことでしょう。オーム真理教を否定するのは簡単です。しかし、少なくともその活動の初期については、よく考えてみる価値があります。死刑になった13人の一人、広瀬健一は、早稲田大学大学院修士課程修了。国際学会に出した論文が当時の世界のトップサイエンスであると評価された、将来を期待された研究者でした。彼は人生を深く悩み、その答えを麻原の書に見出したと言っています。野田成人さんは東大理学部の学生時代に入信。元幹部でしたが麻原路線と対立して除名され、オーム崩壊後アーレフの代表になったが、そこからも除名。その後著した「革命か戦争か」(サイゾー出版)は、オームを内側から見たものとして重要です。

 その種の著書には強い自己弁護や正当化があるのは当然でしょう。「革命か戦争か」という書名自体にそれが表れていますね。しかし、私たちを納得させる部分もあります。そこには、

・・・・オームに入信した若者(私〈野田氏〉もその一人)は当時のバブルの真っ只中の日本に生き甲斐や幸福を見いだせず、逆に豊かさを捨てた禁欲生活に希望を追い求めました。オームという宗教団体は、物質的豊かさを求める資本主義という光、その強烈な光の裏側に強いコントラストを伴って生まれた影であると私は捉えています・・・・物質的な豊かさだけでなく、人間の生き甲斐、生きる意味合い・生存の意味合いを持たせられるだけの精神的豊かさ、これが現代日本にあったら、オームに若者が集まる必然性はなく、よって事件は起凝りえなかったのではないか・・・・オーム事件は崩壊しつつあるグローバル資本主義社会への警鐘であった・・・・

筆者のコメント:野田氏の言う「バブルの真っ只中の日本に生き甲斐や幸福を見いだせず、逆に豊かさを捨てた禁欲生活に希望を追い求めた」の一条は重要ですね。野田氏以外にもそういう人はたくさんいたと思います。野田氏は「東大理科I類のトップで(自分で言うか!)物理学科へ進むことができた。しかし、『将来ノーベル賞を取る』という子供の時からの強烈な夢などとても果たせない自分の実力の限界を知った」と。やがて野田氏は精神世界に興味を持つようになり、麻原の理論に傾倒した。そして、涙を流して反対する母親を説得して東大を退学し、オームに入信した。「解脱」という価値観と「人類救済」というテーマは私の中に確固たる意味を持っていた・・・・。

 自分の実力にそぐわない途方もない夢を持って生きてきた人間が、その限界を知った結果、じつは、彼自身の問題とはまったく関係のない「社会が間違っているんだ」とすり替えるケースは、精神病理学の分野ではいくらもあるケースなのです。ごく最近でも、中学時代から「東大医学部へ行くんだ」と思い込んでいた少年が、とても行けない自分の実力の限界に気付き、東大入試のさい、まったく関係のない受験生を傷つけた事件がありました。以前のブログでお話した宮本祖豊師も、受験につまずいたのが宗教の道に入った理由だと言いますが、それを自分の心の問題としたことが成田氏とちがうところで、正しい信仰の道を歩んだ理由でしょう。

 しかも本書の主題である「麻原の理念より麻原(グル)自身を絶対視し、それ以外の価値観、そして社会を敵としてテロ行為を行うグルイズムと、お金という価値観がすべての他の価値観や文化を飲み込んで最後は戦争になる資本主義との同一性云々」は都合の良い自己弁護でしょう。グルイズムと資本主義の問題など、何の関係もありません。

 以上、野田氏のこの著者が強い自己弁護と正当化に満ちていることは、筆者の予想通りでした。それでも、オームから除名されたおかげで死刑にならなくてよかったです。

十二年籠山行-宮本祖豊師(1,2)

 1)NHK「こころの時代」(2022/6/11)。今回の放映の目的は、いまコロナや社会構造の変化で、人々の孤立が深まり大きな問題になっている。比叡山では十二年籠山という、孤独の修行があると聞き、その達成者である宮本祖豊師を訪ねて、アナウンサーが孤独への対処についてアドバイスを受けたいという目的でした。宮本祖豊師(62)は昭和59年出家得度。37歳のとき十二年籠山行を開始し、49歳で戦後6人目の満行者となる。現比叡山戒蔵寺住職。

 函館市出身、大学受験につまずいて悩んでいるとき、最澄の「願文」を読んで感動した。そして、いかに自分には徳が足りないかと痛切に感じた。そのためお坊さんになりたいと、飛行機の片道切符だけ持って比叡山延暦寺の門をたたいた。

 「願文」は最澄19歳の時の決意書で、「せっかく人間に生まれ、仏の教えに出会うことができても、善(よ)い心を持ち続けることができなければ、地獄(じごく)の薪(たきぎ)になるより他はない。それなのに、今の私は十分に正しい修行ができていない愚(おろ)かで最低の人間である。だからこそ誰よりも精一杯努力をして、多くの人を救い導いて行くことができるような強い自分にならなければならない。それまでは、この修行を決してやめることはできない(筆者の簡約)」と書かれています。宮本さんは「願文」を書いたときの最澄とまさに同年だったので共感するところが多かったと言っています。

 比叡山延暦寺では、有名な千日回峰行(7年かかる)の他にも十二年籠山行があります。その行は十二年間延暦寺の末寺浄土院から一歩も出ないで、ひたすら修行に励む。途中でやめることは許されない。江戸時代から続く修行で、途中で病死してしまう僧も少なくない。中には満行に至らず、中止することもできず、辞院(山を下りる)した人もいたとか。十二籠山行をするには、それ以前に「好相行」と呼ばれる修行をなし終えなければならない。眠ることなく、一日3000回五体投地の礼拝を行い、仏たちの名前を呼ぶ修行。普通の人は約3か月で仏の姿を見るという。しかし、宮本さんはどうしてもそれが叶わず、じつに足掛け3年かかって阿弥陀仏のお姿を見た(平成9年)。それがたんなる幻覚か、思い込みかを最終的に天台座主が見極めて、「満行」かどうかを決定するという。

2)十二年籠山行-宮本祖豊師(2)

NHK武田アナウンサーの質問1)「いま日本ではコロナや高齢化による一人暮らしで孤独が大きな問題なっています。宮本さんは12年もの間、山に籠っておられましたが、孤独を感じることはありませんでしたか」。宮本師「一般の人が山に籠れば孤独を感じるのを免れないでしょう。しかし比叡山浄土院での修行では、朝3時か4時に起きてから、読経、最澄大師へ食事を差し上げること、掃除などなど、夜9時か10時に就寝するまでこと細かく作法が決められているし、鳥や動物の声しか聞こえない静かな環境で、そういう自分を見つめ、一歩でも二歩でも心が向上するようにしていますから、孤独は感じません。我(が)が強ければ強い人ほど孤独を感じるはずです。(孤独感を無くするためには)自分の我を壊すのです。(自分と他者を隔てる)垣根を越えて広げることで孤独感・孤立感は無くなっていくのです」と。

 なぜ宮本師は、「私は好相行を満行するのに3年もかかったのか」と先輩僧侶に尋ねたところ、「たぶん君はあまりにも頭で考える人だったからろう」と言われたとか。

NHK武田アナウンサーの質問2)

 「宮本さんは2005年に十二年籠山行を終えてから比叡山を下り、現在自坊で講演などをしていらっしゃいますが、じつは2年前にガンのステージ4(末期)であることが分かったそうですね。ガンになったことをどう受け止めていますか」。筆者は固唾をのんで答えを待ちました。こういう時、人はなにかと恰好を付けて、本心を偽るものだからです。宮本さんは、一瞬の沈黙後、「人間はいつかは死ぬものですし、ガンになったからといって、それは一つのたんなる現象ですので、ガンになったという自分の心を見つめて、一歩でも半歩でも自分を高めていく。それがまた楽しみでもあります。そういう意味でガンになったこともけっして悪かったわけではない。若い時から死というものに向かい合いながらの修行でしたから、とくにガンになったからといって生活が変わったりとか、気持ちが変わったりとかはないです」と。さらに、武田アナウンサーの「これからの日々をどう過ごしていきますか」との質問に対して、宮本さんは「何も変わらない・・・・。最後まで自分を見つめて半歩、一歩でも自分自身を高めていく、自分がこれまでの修行で得た良さというものを伝えていく。そういう時間を費やしていくだけですね」。

筆者のコメント:この人は本物のようです。筆者はこれまで、何人かの千日回峰行達成者の言葉を聞いたり、本を読んだことがありますが、いずれも「いまいち」でした。厳しい修行を成し遂げた人の言葉とは思えなかったからです。