神(心)霊現象と私(1)

 読者の柴田さんは、どの言葉からも誠実な人柄がしのばれる方です。最近「霊という存在についてお聞きしたい」とありました。そこで3回にわたって私の体験と、それらについての私見をブログに書きました。ちなみに柴田さんも霊的体験をしたことがあるとか。以下は私のブログを読んでいただいた上での柴田さんのコメントです。

 ・・・・要望にお応え頂きありがとうございます。もしもあの世があったら1〜3を読みました。こんなこと言ったら根も葉もないのですが、私はやはりあの世のことはわからない。と思いました。

 私ごとではありますが、最近以前やっておりました弓道をはじめました。
そこである高段者の方から禅につながる面白いお話をききました。
「わたしは正射をめざして三十年重ねてきたが未だに正射には至っていない。いつになったら至れるのかはわからないが、これからも一射一射正射をめざして重ねてゆこうと思う」。

 わたしはあの世のことを考えるより、弓を通して、命続く限り最後の一瞬までこの世を正しく認識できるよう日々を重ねてゆきたいと思いました。

筆者のコメント:まず、柴田さんがおっしゃっているように、弓道を究めることによっても悟りに至ることができるようです。オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」などをお読みください。柴田さんは座禅もしていらっしゃり、とくに最近では原生林に入って瞑想しているとか。

 別の読者yconさんがおっしゃるように、筆者は禅と神を結び付けました。私は「悟りとは神と一体化すること。私たちが直接神とコンタクトすることは、まずできません。そこでまず神(心)霊現象の体験を通して神に近づこうと思ったのです。私は、それが神が実在されていることのたしかな手掛かりにしているのです。

 何度もお話しているように、私は10年間にわたってある神道系教団に入り、いわゆる霊能開発修行をしました。別に霊能開発をしたかったわけではなく、その教団に入ったら霊能開発修行をしていたのです。修行の過程で、「これでもか」と言うように多くの神(心)霊体験をしました。それによって死後の世界があるかどうかはよくわかりませんが、霊魂が存在することは確信しています。

 私が禅を本格的に学び出して15年になります。べつに「悟りたい」というような抽象的な願いによるものではありません。当時、とても苦しい状況にあり、自分を支えるためにはどうしたらいいかを必死に模索していました。そして禅に戻ったのです。

 私は若い時から本を読んだり、講演を聞いたりして「これは将来、苦しい時に自分を支えてくれるいい言葉だ」と思ったものをノートに書き溜め、折に触れて開き、それらの言葉のいくつかを味わってきました(今でもそのノートは手元にあります)。しかし15年前のその頃、それらをいくら読んでも救いにはなりませんでした。「これではダメだ。もう一度禅を学ぶしかない」と決心しました。書店へ行けば解説書はいくらもありましたので読んで見ましたが、どれ一つしっくりこなかったのです。やはり原点に近いものから学び直さねばならないと考えました。(その後の経緯はブログでお話しましたのでお読みください)。

3 thoughts on “神(心)霊現象と私(1)”

  1. 私などを取り上げて頂きありがとうございます
    折角の機会ですのでここに私の霊的体験を載せておきます

    古い雛人形
    わたしの知人で古民家カフェをやっておられる方がいらっしゃいまして、その方から頼まれて古民家(明治時代)の蔵から雛人形(江戸から明治)を飾るために取り出し、帰宅した後のことでした。
    まず違和感があったのが、部屋の軋む音が明確に増えたことでした。
    それが日を追うごとに増えてゆきました。
    そして、3日後の夜 不思議な夢をみました。なにかの眼が私をみつめているのです。その眼はだんだん増えてゆき20弱に増えたのち一つの巨大な眼になり私をただただみつめていました。
    そのとき、わたしは確信しました。
    これはあの雛人形に憑いている霊で、急にわたしが蔵に入り彼らの大事な雛人形を断りもなく持ち出したために、この人はどこの誰で何者?と思っているのだと。

    その後、知人にこの事を話して再び雛人形の前に立ち自己紹介をして、断りもなく大事な雛人形を運んだことを詫びました。

    それから不思議なことはぴたりとやみました。

    後日譚 古民家の蔵にあった雛人形は実は委託で管理を頼まれているもので所有者は別におられました。所有者にお会いしてこの事を話したところ、所有者の方もその蔵で雛人形の手入れをするときには何かによく髪の毛を触られたり、肩に手を置かれたりすると話していらっしゃいました。 

    実はわたしもその古民家の蔵からはただならぬ気配を常に感じておりましたが、その時はまあ大丈夫だろうとたかをくくってこの始末でした。

    1. 興味深いお話ですね。今回のブログはもう少し続けさせてください。他の皆さんにも参考になると思います。ちなみに段戸山は私のふるさとの山です。

  2. 続きを楽しみにしております
    段戸山がふるさとの山とは羨ましい限りです
    最近知ったのですが美味しい湧き水もあるとか
    また来月いってまいります

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