西田哲学と禅(3)

  第二編第二章<意識現象が唯一の実在である>(p71)では、

 「実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである。この外に実在というのいうのは思惟の要求よりいでたる仮定にすぎない」と言っています。つまり、「モノ自体などない」と言うのです。カントも「モノなど経験的に実在するに過ぎない」と言っています。西田はさらに「純粋経験(直接経験)では主観客観の区別を没している」と言っています。当然そうなるでしょう。

筆者のコメント:ここに重大な疑義があります。西田博士の「純粋経験以外にはモノはない」と言う論法によれば、「宇宙には人間が経験していなければモノはない」ことになります。それは絶対におかしいですね。「人類がまだ見たことがない(聞いたことがない)モノなどいくらもあります。「宇宙」と言わなくてもこの地球上にも人類がまだ行ったことのない秘境もあります。これからも探検家が訪れ、科学者達が開発した機器でまだ見ぬモノがあることがわかっくるのは間違いありません。

 これが筆者の言う西田哲学の根本的欠陥です。いかがでしょうか。

 これに対して禅ではモノが存在することを(しき)の概念で示しました。そして「空と色は一如である」と言っているのです。一如とはなんなのか。不一不異とも言います。「同じではないし、別でもない」・・・・それが心の底からわかるのが「悟り」なのです。

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