このコーナーでは、筆者が主に作家のみなさんにとって神仏とはどういうものかについてお話します。そして最後には筆者にとっての神仏とはについても付け加えます。
(1)加賀乙彦さんにとって神仏とは
加賀乙彦さん(1929-)は作家。精神科医時代に出会った死刑囚たちを描いた小説「宣告」では、当然、信仰の話にも及んだ。その時、遠藤周作に「神はいないと疑っているようでは、無免許運転のキリスト者だね」と言われ、「グチャット頭を殴られた感じで何も書けなくなった」。現在、17世紀に日本人として初めてエルサレムの地を踏んだ、ペトロ岐部の生涯について執筆中。58歳で受洗。「洗礼を受ける直前、非常に気持ちが楽になり、ふわふわ漂う感覚になった神秘体験をした」。
筆者は加賀さんの信仰について、いささか疑問を持っています。遠藤周作さんの言う通りだと思いますから。
筆者は作家の瀬戸内寂聴さんの神仏に対する考え方と、それからかけ離れた行動には不可解な点があります。さらに、同じく作家の津村節子さんと夫の吉村昭さんの、墓に対する考え方についても疑問を持っています(それらについては後ほど改めて述べさせていただきます)。その津村節子さんは吉村昭さんが亡くなられた後、喪失感に悩み、友人の加賀乙彦さんに相談に行きました。
津村さんの質問に対する加賀さんの答え:
津村さん:(亡くなられた)奥様にあちらで会えると思っていらっしゃいますか?
加賀さん:会える
津村さん:あちらの世界があると思っていらっしゃる?私はどうしてもそうは思えない
んですけれども
加賀さん:あるかどうかわからない。わからないけれども、あるということに賭けなさい。人は”無限”が何であるか知らないけれど、無限が存在することは知っているでしょう。それと同じで、「人は神が何であるかを知らないでも、神があるということは知ることができる。信仰によってわれわれは神の存在を知り、天国の至福においてその性質を知るであろう(パスカルの「パンセI」より)」と。けれども、キリスト者は自分たちの信仰を理由づけることはできません。理由づけることができない宗教を公然と信じている。
筆者のコメント:なんとも歯切れの悪い対話だと思います。加賀さんは、なんとかして神の存在を信じよう、「信じている」としているようです。「(あちらの世界が)あるということに賭けなさい」とは!信仰は賭けでしょうか。ちなみに、「無限がなんであるか知らないけれど、無限が存在することは知っている」ことと、「人は神がなんであるかを知らないでも、神があるということを信じることはできる」ことには、論理学的には何の関係もありません。
以前お話したように、筆者は神の存在を心から信じています。長年、生命科学の研究に携わってきた筆者はある時、「生命は神によって造られたに違いない」とありありと実感しました。筆者の神秘体験については、のちほど改めてお話します。
<(2)志賀直哉にとって神仏とは(評価の定着した故人については敬称を省略します)
柳宗悦にある人が「白樺の仲間で誰がいちばん宗教的か」と尋ねたところ、「そりゃ志賀だ」と言下に答え、皆が驚いたと、伝記「志賀直哉」を書いた阿川裕之が伝えています。志賀は「無神論者」として知られていたからです。このことについて志賀自身は「僕は宗教の本も読まないし、そういう勉強はしたことがないが、心にそういう要求は若い時から持ってゐたかもしれない」と答えています。「そういう要求」という、志賀直哉(1883-1971)の宗教的心情は、「虫のようなものに対しても、その命をとても大切にした」だったとか。素朴ではありますが、心の根源的部分でしょう。ちなみに志賀は若いころ、キリスト教無教会派の内村鑑三に傾倒していました。一時期放蕩を尽くし、性病にもかかった志賀には、内村のような「品行方正にはとても付いて行けない」と、内村に告白して離れたそうです。しかし、キリスト教入信の痕跡は、作家として立った志賀に、ほとんど残っていなかった。後に、「宗教といふ木は私に挿し芽されていて何年という時を経ったけれども、遂に根を下ろしてはいなかったかもしれません」と述懐しています。ある評論家は、「(柳の言う志賀の宗教的感情は)志賀作品の底にひそむ民族的古層だろう」と評しています。あるいはそうかもしれません。
今日お話しするのは、志賀の徹底した「迷信嫌い」についてです。
志賀直哉は32歳の初夏、群馬県の鳥居峠へ一人で行った。峠の頂上付近に何体かの石仏が並んでいるのを見て、「この石像を足で蹴倒し、そばにあった夏蜜柑大の石を叩きつけた」と、帰ってきて妻の康子(さだこ)さんに言ったそうです。「何かのために感情が昂(たかぶ)っていたためだろう」と、阿川は推測しています。話はこれからです。
翌年の7月長女が生まれてわずか56日で夭逝し、さらに2年後、長男も生後3か月で死んでしまった。志賀自身も6年後、坐骨神経痛を患って大変な苦しみが始まり、8か月も寝込んだと言います。しかも痛むのは、お地蔵さんを蹴倒した右の足首から腰にかけてだった。康子さんが「祟りではないか」と恐れ、「人に頼んで石地蔵を供養してもらいましょう」と言ったところ、志賀は「絶対にそれをやったらいかん。神経痛は何時かは治る。石仏の供養などすれば、家族のものが『供養したために治った』と思うに違いない」と答えた・・・有名な話です。ちなみにその後、志賀は山手線にはねられて瀕死の重傷を負い、転地に行った城崎温泉で書いたのが、名作「城の崎にて」です。
こういうことに関心のある筆者には、地蔵さんを蹴倒すなど、体が震えるような恐ろしいこと、としか思えません。お地蔵さんは多くの場合、不慮の事故で亡くなった子供の供養のために建てた、親の切実な「想い」が籠っているのもなのです。人間の「想い」の宗教的・霊的意味については、またいつかお話します。
読者の皆さんは、志賀の宗教心をどうお考えでしょう。
(3)津村節子さんにとって神仏とは
以前のブログ「〇〇さんにとって神仏とは」の中で、作家の加賀乙彦さんにとっての神仏とはについてご紹介しました。そこでは、同じく作家の津村節子さんや夫君の故吉村昭の、墓についての考え方についても触れました。今回はその続きです(評価の定まっている故人については敬称を略します)。
津村節子さんの、「愛する伴侶を失って」(集英社)での加賀乙彦さんとの対談から(津村さんの質問に対する加賀さんの回答については前回ご紹介しました):
夫である吉村昭を亡くした津村節子さん(1928-)は、その深い喪失感から、四国遍路に出掛けた。仕事を抱えていたので、ジャンボタクシーで一番の霊山寺から二十九番国分にまで4泊5日。それでも気持ちの整理が付かず、思い余って作家仲間であり、クリスチャンでもある精神科医加賀乙彦さん(1929-)を訪れた。加賀さんもそれ以前、夫人を亡くされていたこともあったからだ。
津村さんの言葉:「吉村は生前、先祖が代々住んできた静岡県富士市の旦那寺の住職と大喧嘩して、『死んでしまえば霊なんかない、焼いてしまえばカルシュウムなんだから、もう俺はあの寺には入らない』と言って寺と絶縁した。そして({しかし}ではないでしょうか:筆者)、セカンドハウスのある越後湯沢の町営墓地に墓を建てた」そして、『墓参りに来た人はそこで一緒に飲んでくれ』と言った。私(津村さん:筆者)も死んだら無になると思っている。私も湯沢へ墓参りに行っており、私も(吉村の遺志で)そこへ入ることになっている。家には位牌は無い。写真を飾って、毎朝デミタスカップでコーヒーを供えている」
筆者のコメント:「死んでしまえば霊なんかない」と言っていた吉村昭が墓を建て、「墓参りに来てくれた人はそこで一緒に飲んでくれ」とは!しかも、津村さんも「私もそこへ入ることになっている」と。さらに、(次回お話しする)加賀乙彦さんとの対談で、「あちらの世界があるとはどうしても思えない」と言っている津村さんが、四国遍路に行くとは!しかもジャンボタクシーで4泊5日。ほとんど四国巡礼のまね事ではないでしょうか。筆者も四国巡礼には深い関心を持っていますが、長くて苦しい徒歩での旅を続ける間に、さまざまに考え、本当の自分に気付くのが、「正しいあり方」ではないでしょうか。したがって、ここでご紹介した吉村・津村ご夫妻は、建前と本音があまりにも違うと思いますが、読者の皆さんはいかがでしょうか。
(4)筆者にとって神仏とは
読者から質問がありました。「あなた(筆者)にとって、神はどんなイメージですか」というものです。
以前、このブログで、「生命は神が造られたとしか思えない」と書きました。40年に亘って生命科学の研究をしてきた筆者の実感です。今度の質問は、「それはわかったが、あなたにとって神とはエホバのような存在か」という意味でした。なるほど、神のイメージは人さまざまでしょう。エホバ、ヤハウエ、アッラー ・・・筆者にとって神とはそのような人格神ではありません。眼には見えないが、まぎれもなく実感する存在です。
ある西洋のクリスチャンが、「『神はとは○○だ』と定義するのは間違だ。いかなる定義も神のみわざを限定することになるからだ」と言いました。その通りだと思います。
よく、新興宗教の教祖などが、「神の姿を見た」とか、「神の声を聞いた」と言います。しかし、「神と人間の関係は、人間とウイルスとの関係のようなもので、両者の間は隔絶しており、神を見たり聞いたりすることなどあり得ない」と、ある人(かなり修行を積んだ霊能者です)書いていました。筆者も同感です。
じつは、姿を見たり、声を聞いたりした「神」は、じつはもっと低位の存在、たとえばその人の守護霊や、あるいは過去生の自分自身であることがほとんどなのです。とくに注意しなければならないのは、神と称する狐狸の霊だったりすることさえあることです。確かにそれらの霊は、ある程度の霊能力を持っていますから、それを体感して「神とコンタクトできた」と大喜びする人もいます。しかし、それは大変危険なことで、低級霊を信じるということは、それらの眷属(部下)になることなのです。人間が狐狸の部下になるなど、誇りも何もあったものではありませんか。
ときどき仏像彫刻や陶器製の神像を買ってきて拝む人がいます。また、どこかの土産物店で手に入れた大仏像などを次々に仏壇に収めている人もあります。それらも決してやってはならないのです。下手にそういうものを礼拝すると、「ここに入れば毎日拝んでもらえるわい」と仏像や神像に入ってくる低級霊もいるのです。
神社や村の祠には、祟りを恐れて祀っているモノも少なくないのです。大宰府天満宮や、東京丸の内の将門塚など、その例です。菅原道真や平将門の怒りを鎮めるために祀っているのです。そのことも十分に考えた上で礼拝することをお薦めします。
「触らぬ神に祟りなし」と言います。一般には「あの人はうるさいから近づかないでおこう」と解釈されています。しかし本当は、「下手に『神』を信仰すると、とんでもない障りがあることがある」という意味なのです。明治の大神道家本田親徳翁が言いました「最も確かな信心の対象は、産土神(自分の生まれた場所、あるいは、いま住んでいるところの神)だけだ」と。傾聴すべき言葉だと思います。