○○さんにとって神仏とは

このコーナーでは、筆者が主に作家のみなさんにとって神仏とはどういうものかについてお話します。そして最後には筆者にとっての神仏とはについても付け加えます。

(1)加賀乙彦さんにとって神仏とは

 加賀乙彦さん(1929-)は作家。精神科医時代に出会った死刑囚たちを描いた小説「宣告」では、当然、信仰の話にも及んだ。その時、遠藤周作に「神はいないと疑っているようでは、無免許運転のキリスト者だね」と言われ、「グチャット頭を殴られた感じで何も書けなくなった」。現在、17世紀に日本人として初めてエルサレムの地を踏んだ、ペトロ岐部の生涯について執筆中。58歳で受洗。「洗礼を受ける直前、非常に気持ちが楽になり、ふわふわ漂う感覚になった神秘体験をした」。
筆者は加賀さんの信仰について、いささか疑問を持っています。遠藤周作さんの言う通りだと思いますから。

 筆者は作家の瀬戸内寂聴さんの神仏に対する考え方と、それからかけ離れた行動には不可解な点があります。さらに、同じく作家の津村節子さんと夫の吉村昭さんの、墓に対する考え方についても疑問を持っています(それらについては後ほど改めて述べさせていただきます)。その津村節子さんは吉村昭さんが亡くなられた後、喪失感に悩み、友人の加賀乙彦さんに相談に行きました。

津村さんの質問に対する加賀さんの答え:

津村さん:(亡くなられた)奥様にあちらで会えると思っていらっしゃいますか?
加賀さん:会える
津村さん:あちらの世界があると思っていらっしゃる?私はどうしてもそうは思えない
     んですけれども
加賀さん:あるかどうかわからない。わからないけれども、あるということに賭けなさい。人は”無限”が何であるか知らないけれど、無限が存在することは知っているでしょう。それと同じで、「人は神が何であるかを知らないでも、神があるということは知ることができる。信仰によってわれわれは神の存在を知り、天国の至福においてその性質を知るであろう(パスカルの「パンセI」より)」と。けれども、キリスト者は自分たちの信仰を理由づけることはできません。理由づけることができない宗教を公然と信じている。

筆者のコメント:なんとも歯切れの悪い対話だと思います。加賀さんは、なんとかして神の存在を信じよう、「信じている」としているようです。「(あちらの世界が)あるということに賭けなさい」とは!信仰は賭けでしょうか。ちなみに、「無限がなんであるか知らないけれど、無限が存在することは知っている」ことと、「人は神がなんであるかを知らないでも、神があるということを信じることはできる」ことには、論理学的には何の関係もありません。

 以前お話したように、筆者は神の存在を心から信じています。長年、生命科学の研究に携わってきた筆者はある時、「生命は神によって造られたに違いない」とありありと実感しました。筆者の神秘体験については、のちほど改めてお話します。

<(2)志賀直哉にとって神仏とは(評価の定着した故人については敬称を省略します)

柳宗悦にある人が「白樺の仲間で誰がいちばん宗教的か」と尋ねたところ、「そりゃ志賀だ」と言下に答え、皆が驚いたと、伝記「志賀直哉」を書いた阿川裕之が伝えています。志賀は「無神論者」として知られていたからです。このことについて志賀自身は「僕は宗教の本も読まないし、そういう勉強はしたことがないが、心にそういう要求は若い時から持ってゐたかもしれない」と答えています。「そういう要求」という、志賀直哉(1883-1971)の宗教的心情は、「虫のようなものに対しても、その命をとても大切にした」だったとか。素朴ではありますが、心の根源的部分でしょう。ちなみに志賀は若いころ、キリスト教無教会派の内村鑑三に傾倒していました。一時期放蕩を尽くし、性病にもかかった志賀には、内村のような「品行方正にはとても付いて行けない」と、内村に告白して離れたそうです。しかし、キリスト教入信の痕跡は、作家として立った志賀に、ほとんど残っていなかった。後に、「宗教といふ木は私に挿し芽されていて何年という時を経ったけれども、遂に根を下ろしてはいなかったかもしれません」と述懐しています。ある評論家は、「(柳の言う志賀の宗教的感情は)志賀作品の底にひそむ民族的古層だろう」と評しています。あるいはそうかもしれません。
 
 今日お話しするのは、志賀の徹底した「迷信嫌い」についてです。

 志賀直哉は32歳の初夏、群馬県の鳥居峠へ一人で行った。峠の頂上付近に何体かの石仏が並んでいるのを見て、「この石像を足で蹴倒し、そばにあった夏蜜柑大の石を叩きつけた」と、帰ってきて妻の康子(さだこ)さんに言ったそうです。「何かのために感情が昂(たかぶ)っていたためだろう」と、阿川は推測しています。話はこれからです。

 翌年の7月長女が生まれてわずか56日で夭逝し、さらに2年後、長男も生後3か月で死んでしまった。志賀自身も6年後、坐骨神経痛を患って大変な苦しみが始まり、8か月も寝込んだと言います。しかも痛むのは、お地蔵さんを蹴倒した右の足首から腰にかけてだった。康子さんが「祟りではないか」と恐れ、「人に頼んで石地蔵を供養してもらいましょう」と言ったところ、志賀は「絶対にそれをやったらいかん。神経痛は何時かは治る。石仏の供養などすれば、家族のものが『供養したために治った』と思うに違いない」と答えた・・・有名な話です。ちなみにその後、志賀は山手線にはねられて瀕死の重傷を負い、転地に行った城崎温泉で書いたのが、名作「城の崎にて」です。

 こういうことに関心のある筆者には、地蔵さんを蹴倒すなど、体が震えるような恐ろしいこと、としか思えません。お地蔵さんは多くの場合、不慮の事故で亡くなった子供の供養のために建てた、親の切実な「想い」が籠っているのもなのです。人間の「想い」の宗教的・霊的意味については、またいつかお話します。

 読者の皆さんは、志賀の宗教心をどうお考えでしょう。

(3)津村節子さんにとって神仏とは

 以前のブログ「〇〇さんにとって神仏とは」の中で、作家の加賀乙彦さんにとっての神仏とはについてご紹介しました。そこでは、同じく作家の津村節子さんや夫君の故吉村昭の、墓についての考え方についても触れました。今回はその続きです(評価の定まっている故人については敬称を略します)。

 津村節子さんの、「愛する伴侶を失って」(集英社)での加賀乙彦さんとの対談から(津村さんの質問に対する加賀さんの回答については前回ご紹介しました):

 夫である吉村昭を亡くした津村節子さん(1928-)は、その深い喪失感から、四国遍路に出掛けた。仕事を抱えていたので、ジャンボタクシーで一番の霊山寺から二十九番国分にまで4泊5日。それでも気持ちの整理が付かず、思い余って作家仲間であり、クリスチャンでもある精神科医加賀乙彦さん(1929-)を訪れた。加賀さんもそれ以前、夫人を亡くされていたこともあったからだ。

 津村さんの言葉:「吉村は生前、先祖が代々住んできた静岡県富士市の旦那寺の住職と大喧嘩して、『死んでしまえば霊なんかない、焼いてしまえばカルシュウムなんだから、もう俺はあの寺には入らない』と言って寺と絶縁した。そして({しかし}ではないでしょうか:筆者)、セカンドハウスのある越後湯沢の町営墓地に墓を建てた」そして、『墓参りに来た人はそこで一緒に飲んでくれ』と言った。私(津村さん:筆者)も死んだら無になると思っている。私も湯沢へ墓参りに行っており、私も(吉村の遺志で)そこへ入ることになっている。家には位牌は無い。写真を飾って、毎朝デミタスカップでコーヒーを供えている」

 筆者のコメント:「死んでしまえば霊なんかない」と言っていた吉村昭が墓を建て、「墓参りに来てくれた人はそこで一緒に飲んでくれ」とは!しかも、津村さんも「私もそこへ入ることになっている」と。さらに、(次回お話しする)加賀乙彦さんとの対談で、「あちらの世界があるとはどうしても思えない」と言っている津村さんが、四国遍路に行くとは!しかもジャンボタクシーで4泊5日。ほとんど四国巡礼のまね事ではないでしょうか。筆者も四国巡礼には深い関心を持っていますが、長くて苦しい徒歩での旅を続ける間に、さまざまに考え、本当の自分に気付くのが、「正しいあり方」ではないでしょうか。したがって、ここでご紹介した吉村・津村ご夫妻は、建前と本音があまりにも違うと思いますが、読者の皆さんはいかがでしょうか。

(4)筆者にとって神仏とは

 読者から質問がありました。「あなた(筆者)にとって、神はどんなイメージですか」というものです。
 以前、このブログで、「生命は神が造られたとしか思えない」と書きました。40年に亘って生命科学の研究をしてきた筆者の実感です。今度の質問は、「それはわかったが、あなたにとって神とはエホバのような存在か」という意味でした。なるほど、神のイメージは人さまざまでしょう。エホバ、ヤハウエ、アッラー ・・・筆者にとって神とはそのような人格神ではありません。眼には見えないが、まぎれもなく実感する存在です。
 ある西洋のクリスチャンが、「『神はとは○○だ』と定義するのは間違だ。いかなる定義も神のみわざを限定することになるからだ」と言いました。その通りだと思います。

 よく、新興宗教の教祖などが、「神の姿を見た」とか、「神の声を聞いた」と言います。しかし、「神と人間の関係は、人間とウイルスとの関係のようなもので、両者の間は隔絶しており、神を見たり聞いたりすることなどあり得ない」と、ある人(かなり修行を積んだ霊能者です)書いていました。筆者も同感です。
 
 じつは、姿を見たり、声を聞いたりした「神」は、じつはもっと低位の存在、たとえばその人の守護霊や、あるいは過去生の自分自身であることがほとんどなのです。とくに注意しなければならないのは、神と称する狐狸の霊だったりすることさえあることです。確かにそれらの霊は、ある程度の霊能力を持っていますから、それを体感して「神とコンタクトできた」と大喜びする人もいます。しかし、それは大変危険なことで、低級霊を信じるということは、それらの眷属(部下)になることなのです。人間が狐狸の部下になるなど、誇りも何もあったものではありませんか。

 ときどき仏像彫刻や陶器製の神像を買ってきて拝む人がいます。また、どこかの土産物店で手に入れた大仏像などを次々に仏壇に収めている人もあります。それらも決してやってはならないのです。下手にそういうものを礼拝すると、「ここに入れば毎日拝んでもらえるわい」と仏像や神像に入ってくる低級霊もいるのです。

 神社や村の祠には、祟りを恐れて祀っているモノも少なくないのです。大宰府天満宮や、東京丸の内の将門塚など、その例です。菅原道真や平将門の怒りを鎮めるために祀っているのです。そのことも十分に考えた上で礼拝することをお薦めします。

 「触らぬ神に祟りなし」と言います。一般には「あの人はうるさいから近づかないでおこう」と解釈されています。しかし本当は、「下手に『神』を信仰すると、とんでもない障りがあることがある」という意味なのです。明治の大神道家本田親徳翁が言いました「最も確かな信心の対象は、産土神(自分の生まれた場所、あるいは、いま住んでいるところの神)だけだ」と。傾聴すべき言葉だと思います。

禅とはなんだろう

        中野禅塾 (2015/9/15)

禅とはなんだろう(1)

 ブログを読んでくださった方から、「もっと初心者の方にもわかりやすい記事を」とのアドバイスをいただきました。そこで、シリーズを一休みして、「なんのために禅を学ぶのか」についてお話しさせていただきます。もちろん、禅を学ぶ目的は人さまざまです。

 最初の著書「禅を正しく、わかりやすく」(株式会社パレード)にも書きましたように、筆者は6年ほど前、大変苦しい状況に陥りました。その時、是が非でも自分を支える思想を必要としました。「一度落ち込むと、負のスパイラルに入る」ことだけは感覚的に承知していたからです。筆者は昔から、さまざまな本を読んで「これはいいな」と思われる語句をノートに記録してきました。将来困った時、自分を支えるものになるだろうと考えたからです。6年前のその頃、2-3冊になったノートを必死になって読み返しました。しかし、残念ながら力にはなってくれませんでした。

 そこで、「禅を本格的に学び直そう」と決心しました。なぜ禅に思いが行ったのか、今ではよく思い出せません。たしかに何十年も前から禅に興味を持っていてたのですが、いろいろな本を読んでもどうもよく分からなかったのです。今振り返ると、どうも、それらの解説書を書いた人自身がよく分かっていなかったからだろうと思われます。そこで、解説書ではなく、自分自身で、原典である道元の「正法眼蔵」に取り組むことにしました。図書館で検索してみますと、橋田邦彦先生の「正法眼蔵釈意」(山喜房沸書林)が見つかりました。橋田先生は、元東京大学医学部生理学教授で、近衛内閣の文部大臣をされた人です。惜しくも終戦直後、戦犯にされるのを嫌って自死されました。橋田先生の「正法眼蔵釈意」は戦時中の出版で、紙質が悪く、破れかけているのを慎重にコピーしました。

 橋田先生の文章も筆者には非常に難しかったのですが、いかにも学者らしい、誠実な人柄が偲ばれ、同じ学者として共感が持てました。必死になって読み進みますと、やはり橋田先生こそ「本当に禅が分かった人だ」と思いました。橋田先生は、近・現代のいかなる僧侶や仏教解説者達の助けを借りることなく、独力で「正法眼蔵」の解釈に挑戦されました。先生の本を読みますと、「禅が分からない」と言う人達に、「君達は中学・高校・大学と何年も勉強して、医学のことが少し分かるようになったのではないか。2年や3年で禅が分かるはずがない」と言っておられたそうです。驚くべきことに、先生は当時、医学部のセミナーとして、毎週一回「正法眼蔵」についてお話しされていたそうです。

 全3冊を読み進んだ頃、いろいろな幸運も重なって、筆者は苦境を脱出することができました。今では、何か人生の「核」ができたように、心強く思っています。

 次回は、禅の精神を世界平和のために生かすための活動をしていらっしゃるベトナム出身のテイク・ナット・ハン師についてお話しさせていただきます。

禅とは何だろう(2)

テイクナットハン師の活動
テイクナットハン師(1926~)はベトナム出身の禅僧です。フランスとのインドシナ戦争、アメリカとの戦い、そして南北ベトナム戦争と、長い間「明日の命もわからない」渦中にあった人です。しかし常にどちらの勢力にも属さず、非暴力を訴え続けました。そのため、北ベトナムによる統一後も国を追われ、現在はフランスの農村にプラムビレッジ(すももの里)と呼ばれる修養の場を開きました。今では毎年、世界中から多くの人が修行とリトリート(自分を見つめ直す)を受けに訪れています。驚くべきことに、そこではイスラエルとパレスチナの人々も一堂に会しているのです。ハン師は「行動する仏教」運動を実践しています。

 あの東日本大震災の時、多くのわが国の仏教僧たちが現地を訪れ、被災者に対する誠実な傾聴活動を行ったことはよく知られています。しかし、そのほとんどが挫折したのです。ある有名寺院の布教教化委員であるエリート青年僧が、自分の無力さを感じ涙を流していたと、NHKテレビで放映されていました。僧達の気持ちが純粋であっただけに、見る者の胸を打ちました。筆者にはどうしてもわが国の仏教、ことに大乗仏教が衰退してしまったためと思わざるを得ません。

 これに対し、ハン師の「行動する仏教」は、具体的で、はるかに説得力があるように思えます。ハン師の実践は、いわゆる南伝仏教(註)の「気付き」を基本とします。国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けようと言うのです。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはずです。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気付こう」と言うのです。その上で、相手の言葉尻に捉われることなく、最後まで相手の話を聞き、共感できるところは共感しようと言うのです。これらのハン師の平和主義は、世界中の人々の共感を呼び、さまざまな国でリトリートを行い、アメリカ連邦議会や、フランスのユネスコにも招かれ、講演を行っています。
 ハン師の活動は、まさに禅の教えを世の中のために生かしている好例でしょう。

註 釈迦によって始められた仏教は、その後チベットや西域、中国、朝鮮、日本などに伝わりました。  北伝仏教と称します。一方、スリランカ、ミャンマー、タイなどに伝わったものを南伝仏教と
  言います。北伝仏教が、いわゆる大乗仏教であるのに対し、南伝仏教は初期仏教の影響を色濃く 
  残しています。ハン師の言う「気付き」は南伝仏教で重視される修法です。ちなみにインドで
  はその後、仏教は衰退し、ヒンズー教が主流を占めています。

禅とは何だろう(3)

 禅は東洋独特のモノゴトの観かたです。西洋の哲学や科学の特徴は、モノゴトを区別し、分析し、比較することにあります。筆者も長年生命科学の研究をして来ましたから、それがよくわかります。この思考方法が科学研究の基本として使われてきたたため、皆さんご存知のすばらしい医療技術や工業技術の発展をもたらしました。

 しかし、一方、このモノゴトの見かたが政治や経済の哲学としても使われたため、国家や宗教間の深刻な対立を生み出しました。第二次大戦中のドイツは、「異教徒」としてユダヤ人の大量虐殺を行いましたし、現在では、キリスト教徒とイスラム教徒の対立は激しさを増す一方です。しかし、キリスト教とユダヤ教やイスラム教は、歴史的に言って、ごく近い教えなのです。しかもイラン、シリア、イラクやアフガニスタンなどの人びとの間の対立は、同じイスラム教のシーア派とスンニ派同士の争いなのです。私たち日本人には信じられないことですね。

 宗教派閥の間ばかりではありません。社会主義系のロシアや中国と、自由主義系のアメリカやイギリス、フランス、ドイツなどとの争いは、朝鮮半島やベトナム、さらには中東での代理戦争から、経済問題にまで及んでいます。これらはすべて西洋的モノゴトの考え方、つまり区別と分析と比較に基づくものです。今、世界では、投機が経済を引っ張り回し、円やドル、ユーロなどのわずかな変動で、さまざまな国の経済が浮沈しています。マネーゲームですね。そのため、真面目なモノづくりや貿易活動など、あっという間に吹っ飛んでしまうことが、日常的に繰り返されています。わずか7年前のリーマンショックが世界経済を激震しました。しかし最近、アメリカの金利値上げが現実になってみると、もう、リーマンショックの震源地だったアメリカで、マンションや住宅などの不動産投機が盛んになっているのです。「人間は歴史を教訓とする」など、まったくの誤りですね。
 政治や経済問題ばかりではありません。この考えは日本にも深く浸透し、会社間の競争が激化し、過労死や、うつ病患者を増やしています。さらに受験戦争をとおして、子供たちの心を大きく蝕んでいます。人びとは心休まるときがないのです。

 世界の心ある人たちには、世界はもうどうしようもないところまで来ていると思えるのです。

 これに対し、そもそも禅には対立や、比較して優劣を評価する思想がまったくないのです。また、人間同士はもちろん、人間と自然とは一体なのです。禅ではよく、「父母未生以前の自己如何」と言います。「父や母すら生まれる前のお前はどうか」という意味です。つまり、他人との比較というような、相対的な自分というものを離れた、絶対・普遍的な本来の自分を考えなさい」というわけですね。いかにこれまでの西洋的モノゴトの見かたと違うか、よくお分かりでしょう。そのため、この東洋独自の思想のすばらしさに気付いた西洋の有識者たちは、今こぞって、禅に強い関心を持つようになっているのです。禅の目的は、穏やかで、心豊かな人生を送るためのものなのです。

 禅こそ、世界を救う大きなカギなのです。

中野禅塾だより

中野禅塾だより(1)

このコーナーは、正式のブログとは違って、筆者の禅に関する雑感を、折に触れて書いたものです。気楽にお読みください。

禅は、「わかったか、わからないか」の世界である、とよく言われます。私も学び始めたころ、つくづくそう思いました。それでもその後、だんだん事情がわかってきました。まず、「禅は教えてはいけない、ヒントを与えるだけで、直接修行者の心に響かせる」という鉄則があるからです。「直指人心」と言います。たしかに教えられてしまったら、かえって心に残らないからで、あくまで自力で理解することが大切です。もう一つ、禅のわかりにくさは、どうもこれまでの僧侶や仏教の解説者自身が、よくわかっていないためではないかと思うようになりました。

たとえば、生涯に100冊近くの仏教に関する著書を出し、数多くの講演をした有名なM禅僧がいました。私が禅の思想の基本とされる、般若心経について初めて読んだのは、彼の書いたものでした。40年前のことです。なかなか良いことが書いてあると思ったのですが、どうしても「空(くう)」についての彼の解釈には納得が行きませんでした。その本は今でも手元にありますが、

・・・あらゆるものは空であるから実体がない。それはあらゆるものは常に変化し一瞬たりとも同じものではない。そしてすべてのものは関わり合っている。だから苦しみや不安などの実体は無い・・・

と言うのです。ここのところがどうもピンと来なかったのです。この「どうもピンとこない」という感覚は大変重要なのですが、それは次回以降、触れて行きます。そして、「どうやら彼自身もしっくりいってないのではないか」と感じました。たぶん、あらゆるものを「ない、無い」と言っても、生身の人間まで否定できるのかと、自分でも不安になったのでしょう。なによりも、そう言う人の頭をポカンと叩いてみれば、「イタッ」と、実体があることがわかるはず。そのため彼は「否定の否定」などと説明していました。どうしても苦し紛れのつじつま合わせとしか思えません。禅はきわめて厳しい世界です。「わかったか、わからないか」だけなのです。「わかったと思う」というのはないのです。

「空」の思想は大乗仏教の要諦だと思います。「空」に関心を持ったのなら、「色即是空・空即是色」と広げて下さい。般若心経の一節ですね。この経典は、大乗仏教の根本教典の一つ、大般若経600巻のエッセンスだとされています。わずか276文字からなるものです。ついでですが、この経典は短いのでぜひ暗記して下さい。いつでもどこででも口ずさむことができますし、それを読誦することが大きな意味を持つのです。それは後でお話します。「空」の思想は、インドの龍樹によって確立されました。しかし、じつは龍樹の「空」思想は、禅の「空」思想とはまったく別ものだと、私は考えています。

こんなわけで、般若心経については、じつに多くの解説書が出されています。僧侶、仏教学者、仏教評論家などによるものです。一度、書店や図書館を訪れ、宗教関係のコーナーへ行ってみて下さい。般若心経の解説書がいくつも目に付くはずです。それほど多くの人の関心を集めているのでしょう。しかし、さきほど述べたM禅僧のものをふくめ、驚くべきことに、「色即是空・空即是色」の解釈のほとんどは間違っていると思います。

この問題は、次回、さまざな解説者の解釈を比較することによって検討します。

中野禅塾だより(2) (2015/2/1)

 「空」は大乗仏教の基本理念の一つです。「空」について、従来のさまざまな解釈を紹介しますと、

 1)前号で紹介したM師の解釈は、
  ……あらゆるものは空であるから実体がない。それはあらゆるものは常に変化し一瞬たりとも同じものではない。そしてすべてのものは関わりあっている。だから苦しみや不安などの実体はない……
でした。一方、

 2)Hさんは、
  ……空とはうつろ、ふくれたもので中がない状態をいう。そこからこの世の一切のものには固定的、実体的な我や自性などはない。この世の一切の現象は、因(直接の原因)と縁(間接)の原因が和合して消滅をくり返す。したがってどんなものにも固定的な実体がないというのが、空のとらえかたである……

と解釈しています。また、

 3)N師の解釈は、
 ……(「色即是空」について)色は感覚によってとらえられる物質世界。空は有でもなく無でもない絶対の無。「是」は主語と客語が同一であることを示す述語。英語のisに当たる。したがって色即是空とは物質世界は現象であって、有でもなければ無でもない、の意、いわば唯心的な主張。空即是色とは色即是空の主語と客語を反対にして、有でもなく無でもない、空とは物質世界意外にこれを求めないという主張。いわば唯物論的立場からの主張……

と述べています。

筆者のコメント:そもそも「絶対無」とは一体なんでしょう。「無」とどう違うのか。おそらくN師は、般若心経には別に「無」という概念があるので、別の概念を入れざるを得なかったのでしょう。しかし、それにはその正確な定義が必要だと思います。それがなくてはN師の主張のすべてては成り立たない。それが「論理」というものだと思います。

4)G師の解釈(「面白くてよくわかる般若心経」アスペクト社)は、
 ……ものには「客観的な姿」というような実体はなく、それを見たり聞いたり匂いをかいだりする個々の感覚器と脳とで把握できるだけの現象しか認識できない……
「色即是空(色すなわちこれ空なり)」……私達が知覚するあらゆるもの、現象は、すべて実体がなく、絶えず流動している空である……このとらえ方は、釈尊の教えである「諸法無常」「諸法無我」と同じ意味をなしています。「諸法無常」とは、「この世のすべてのものは絶えることにない変化のなかで流動しており、移りゆく無常のものである」ということですし、また諸法無我は「すべてのものに永遠不変な実体はなく、他のものと関係しながら成り立っている」という意味ですこの、「ほかのものと関係しながら成り立っている」というのは釈尊の教えの縁起という考え方です……
「空即是色」……これは前項の対句となる言葉です、つまり空であるがゆえに縁起は絶えず起こり、あらゆることは関わり合いを持ちながら変化し、その時々の「色」として現れる、空があらゆるものになる、という意味を持っています。

筆者のコメント:つまり、M師、Hさん、G師ともに、釈尊の教えの基本原理である、縁起と無常をもって「空」を説明しています。これが平均的解釈でしょう。しかし、そもそも釈尊の教えは、それらとは違うのです。仏教を解釈する上でいちばん注意しなければならないのは、釈尊の教えが、その後次々に深化し、選択され、拡大していった事実です(これを「増広」と「損耗」と言います)。つまり、釈迦の教えはその後変貌してしまったのです。いわゆる大乗非仏説(大乗経典は釈迦の説いた法とは別ものである)です。私は、釈尊の説いたのは因果の法であり、それが因縁起の法となり、さらに縁起の法となって行ったと思っています。さらに、無常や無我の思想も、釈尊の思想が後に大乗仏教徒によって付け加えられたものだと考えています。これらについては後ほど改めてお話しします。上でお話した事情を理解していただいた上で、G師の解釈について筆者の感想を述べますと、
 まず、「色即是空・空即是色」の「即」は、G師の言うような「すなわち」ではありません。「即座のそく」なのです。これは重要です。さらに、「空即是色」は「色即是空」の単なる対句ではありません。対句という解釈は多いのですが、じつは、これらの言葉には大切な意味があるのです。中国唐時代から、わが国の栄西、道元に続く祖師達が、死に物狂いで理解しようとしてきたのはこの点なのです。これらのことがわからなければ、この重要な思想はわからないのです。

5)柳澤桂子さんの「空」の解釈(堀文子と共著「生きて死ぬ智慧」小学館)

お聞きなさい
あなたも 宇宙のなかで
粒子でできています
宇宙のなかの
ほかの粒子と一つづきです
ですから宇宙も「空」です
あなたという実体はないのです
あなたと宇宙は一つです

「あとがき」で柳澤さんは、
 ・・・私たちは原子でできています。原子は動き回っているために、この物質の世界(宇宙か?:筆者)が成り立っているのです……一面の原始が飛び交っている空間の中に、ところどころ原子が密に存在するところ(人間や物質?)があるだけです……あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです・・・と述べています。

中野のコメント:この解釈は誤りです。宇宙物理学から言ってもこの説は間違っています。それ以外にコメントしようがありません。

読者の皆さま
 私のブログのアップも、最初の頃は慣れていなくて、抜けてしまったところがあります。そこで、改めて以下を再投稿させていただきます。本来は3月にアップしたものです。

中野禅塾だより(3)(2015/3/1)

 私のホームページも、登録後3ヶ月たってようやくオープン、すなわちネットで検索していただけるようになりました。そこで、今後皆さんにお伝えしていきたいことのアウトラインについてお話しします。
 著者プロフィールにも書きましたように、これまで禅に関する著書を3冊出版しました。とくに第1冊目は、道元禅師の「正法眼蔵」について、できるだけわかりやすく解説しました。現在までに完成している禅関連の著書原稿は、

1.「永平元禅師語録」(つまり「永平広録」のエッセンス)の筆者新訳

2.「臨済録」の筆者新訳

3.「禅の本流に戻る I」(近・現代の代表的な禅師の考えの比較評論)

4.「禅の本流に戻る II」(同 続編)

5.「禅はすばらしい」(釈迦以前のインド哲学から、釈迦の思想、それ以降の原始仏教、大乗仏教から、禅思想に至る仏教の歴史を考察したもの)

6. 「私の祈り、あなたの信念」(「祈り」について考察したもの)

7.「悟りとは気付きである」

などが完成しています。さらに、浄土系思想を考察した、

8.「親鸞を問う」

また、命の根源について考察した、

9.「私とは何か、いのちとはなにか」

10.「死後の世界はあるか」

についても原稿は完成しております。その他、「従容録」(「碧巌録」と重複する部分が多い)の筆者新訳を現在執筆中です。

 つまり私は、禅を中心に精神世界や、信仰について、できるだけ広い視野で考えていきたいのです。したがって私のホームページは、現在のこの視点に立って書き進めているのだということをご承知ください。

なお、今回のキーフレーズは、神は実在されるです。

中野禅塾だより(4) (2015/4/1)

今回は、禅のお話を進める前に、もう少し基本的なこと、「悟り」についてお話いたします。

 悟りについて

 「悟り」について、次の三つの疑問があります。すなわち、

 1)「悟り」の目的は何か
 2)「悟り」とはどういう状態か
 3)なぜ神は限られた人にしか「悟り」を与えないのか

です。
 1)については、「悟り」は仏教信仰の究極の到達点だということです。仏教信仰の目的はさまざまでしょう。苦しみや悲しみから抜け出て絶対的な心の平安に至りたい、という人もいるでしょう。もちろんそれは重要なことです。一方、おもに専門の修行僧達は、釈迦の教えが出る以前、インドの古代宗教であるヴェーダ信仰の時代から「悟り」を目指して修行してきました。「悟り」とは神との一体化であり、信仰を持つものなら当然それを目指すはずでしょう。キリスト教やイスラム教では、「悟り」のための修行はなさそうです。その理由については次回以降にお話します。

 2)仏教では「なま悟り(わかったつもり)」を厳しく戒めています。「なま悟り」かどうかは自分ではよくわかりませんが、それを示す良い例があります。あの弘法大師空海は、室戸岬の洞窟(御厨人窟みくろど)で「虚空蔵求聞持法」という真言(短いお経)を百万回唱えることによって悟りに達したと言われています。じつは、この修法は今でも、高野山の限られた僧だけが実践しています。108個の数珠玉をまさぐりながら1日2万回なら50日、1万回なら100日唱え続けるのです。それがどれほど過酷な修行かは、2万回唱えるには8-10時間かかること、100万回唱えても奇跡が起こらなけばもう一度やり直さなければならないことからわかります(奇跡の内容については秘密ですが、想像はできます)。

3)もちろん「悟り」は神によって公認された修行です。しかし、「なぜ神はごく一部の人にだけそれを成功させるのか」という疑問があります。答えを得るには、まず、人間がこの世に生きる意味を考えなければなりません。私の想像を交えて一口で言いますと、「神は自分の完全さを知るために人間をお造りになった。人間は不完全なものであり、この世に生きる間にさまざまな苦しみや悲しみに会う。生まれ変わりを繰り返す間にそれらを克服し、魂の成長を遂げて、最終的に神の境地に達する」というものです。生まれ変わり(輪廻転生)は、人によっては何千回、何万回にもなると言います。それどころか、人間以外の動物や虫になることさえあると言います。親鸞が「人身得難し、今すでに得(う)く」を言ったのは、「今、人間としてこの世に生まれてきたことのありがたさを思いなさい。この世にいる時だけ魂の成長ができるから」との意味です。
 「この生で一度に悟りに達するか、何千回も苦しい人生を繰り返して悟りに達するかは、その人の自由だ」これが(筆者の考える)神のご意志です。神はけっして人間を指図されません。

 中野禅塾だより(5)(2015/10/15)

 筆者のブログを読んでくださっているから質問がありました。

 ・・・平安時代の文盲の人たちはただ「南無阿弥陀仏」を唱えればいいでしょうが、現代の人たちは全て教育を受けていますから、力で悟らなければいけないのですか?多分ほとんどの人が自力で悟りを開ける人はいないように思えます。ただ習慣で先祖代々の宗教で疑いもせずお参りをして(満足はしていないと思いますが)一生を過ごす人が特に日本人には多いと思います・・・

というものです。筆者の答えは次のようなものです。
 
 ・・・法然や親鸞は、ただ文字も読めない、平安時代の人々のために「南無阿弥陀仏と唱えなさい」と言ったわけではありません。もっと深い、例えば現代人にも十分通用するような教えを説いたのだと思います。確かに「ただ習慣で先祖代々の宗教で疑いもせずお参りをして一生を過ごす人が特に日本人には多い」のは事実でしょう。そこが問題なのです。あなたも、その人たちも、法然や親鸞の言う他力本願の真意をわかっていらっしゃらないのだと思います。これは重要な問題ですから、このブログで追々お話していきます。

 あなたのおっしゃるように、禅は厳しく、長い修行が必要だと言われています。しかし、筆者がそもそもこの禅塾を立ち上げたのは、だれでもが、真剣に、そして継続する気持ちさえあれば、いわゆる悟り(究極的な心の平安)にたどり着けるような道を探して、皆さんにお伝えするためです。筆者が、禅はもちろん、浄土思想などの他の仏教宗派やキリスト教やスピリチュアリズムなど、幅広く、できるだけ深く学んでいるのはそのためです。最近、少しづつ見えて来たようです。

中野禅塾だより (6)(2015/10/24)

 筆者のブログを続けて読んでくださっているから質問がありました。

・・・聖書を信仰としてではなく、教養として勉強しています。キリスト教信者は、聖書のみを信仰の原点とし、カトリックはプラトン哲学やアリストテレス哲学を取り入れた神学を認めず、背教と非難します。宗教であれば神の言葉のみを大事にすべきで、人間の解釈などは否定されるべきなのでしょう。あなた(筆者)の新ブログにも書いてあるように、大乗仏教は初期の釈迦の教えからかなり変貌を遂げているようです。哲学なら進化の過程で変貌を遂げても不思議な無いでしょうが、宗教としてみれば神や仏の教えから逸脱したり、他の宗教や思想が混入する(カトリックには北欧宗教の影響が、仏教には老荘思想)のは創始者から見れば背教ととらえられるかも知れません。カトリックも仏教界も神や釈迦の精神を受け継いでいるというのが主張でしょうが、原理主義の人からみれば違うかもしれません。今の仏教界も変貌を簡単には認められないのではないでしょか・・・

筆者のコメント:おっしゃるように、大乗経典は、釈迦の教えからかなり変貌していると思います。もちろん筆者が知りたいのは釈迦の教えそのものですが、大乗仏教も決して否定していません。ただし、幾つかの宗派が言っているような、大乗経典類を「釈迦の言葉だ」することは問題です。インドは、哲学的な国民性だと言われています。もちろん釈迦は傑出した人で、神からの啓示を受けていると思います。それでも大乗仏教を考えた人達も、やはりすぐれた思想家です。現に筆者は、浄土思想もすばらしいと考えています。筆者のブログは禅を中心にしていますが、浄土思想の問題点やすばらしさについてもお話を始めています。

 釈迦の教えを真摯に我がものとしたいと考える上で、その教えを自分の納得できる形で理解しようとするのは、人間としてむしろ当然のことと思います。プラトンやアリストテレスは、もちろん、聖書とは別に、独自の哲学として研究した人たちでしょう。それでもギリシャや西欧の人たちがプラトンやアリストテレスの思想との関連においてキリスト教を学ぶのは、むしろ真摯な信仰の表われだと思います。中国でも老荘思想など、古くから親しまれた思想があり、新しく入ってきた仏教をその基盤の上でとらえたのも、もっともなことでしょう。

 筆者は、キリスト教もすばらしい宗教だと思っています。しかし、人間の考え方や価値観が多様化した2000年後の今日、一人ひとり異なり、かつ、さまざまな人生の局面において、聖書の語句を画一的な絶対の拠り所とするのには、いささか疑問も感じています。自分の尊厳はどうなるのでしょう。ましてや聖書から少しでも外れるのを背教と決めつけるのは、いかがなものか。さらに、ある宗派では輸血も禁じていますが、緊急輸血が必要なとき、両親がそれを拒否したため、子供が亡くなったケースも現にありますね。原理主義という言葉にある、やや特異的な意味合いの現われではないでしょうか。

 筆者は、聖書からいったん離れ、キリスト教を独自の視点で考え直して、初めて救われた人を目の当たりにしているのです。