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霊魂ーベルクソン・小林秀雄(3)

霊魂(1)
  ベルクソンは「感覚や『私が私であるという意識』の基盤は記憶であり、記憶は脳の中にはない」と言いました(「物質と記憶」岩波文庫)。

 「意識のような人間の精神作用が脳神経の活動で説明できるかどうか」は、昔からの重要な課題でした。「脳神経の働きをどこまでも解析してゆけば精神作用を説明できる」という肯定派と、「できない」という否定派があります。つまり、精神作用は生物学的な脳の働きで説明できるかどうか、です。肯定派は「受胎後、神経回路のネットワークが複雑になって行くとやがて意識が生じる」と言うのです。ベルクソンや小林秀雄はもちろん後者で、「精神作用は霊魂の領域である」と言いました。先日NHKテレビで、「アインシュタインの脳の標本が残されており、それを分析すれば彼の大天才性が説明できる」という人たちの話が放映されていました。筆者は「そんなことは不可能だ」と思います。ベルクソンは「神経活動はオーケストラで言えば指揮者の身振りであり、それを見ることはできるが音楽は聞こえない」と言いました。つまり、「脳神経活動とは記憶を引き出す作用だけだ」と言うのですね。そして「記憶は霊魂にある。霊魂は生まれる前からあり、死後も存続する」とも言いました。以下に「精神のエネルギ-」宇波彰訳(第三文明社レグルス文庫)により、意識や霊魂についてのベルクソンの考えを紹介します。本文は難解なので、和訳の解説という変なことになりますが、()内に示した筆者の解説を合わせてお話します。

 ベルクソンはまず、「自分がそういう考えに至ったのは「常識の直接的で素朴な経験が語る事実そのものに直接に向かう方法に従った」と言っています(要するに実験的方法ではなく、夫が戦死した白日夢を見た妻の経験談を信用する)。ベルクソンはさらに、「経験はわれわれに、魂の生活、あるいは意識の生活が身体の生活と結び付いていて、両者のあいだにつながりがあるということを示している」とも言っています(「意識(魂)は身体の生活とつながっている)。さらに、「脳が心的なものと等価であるとか、脳の中にそれに対応する意識において生ずるすべてを読み取れると主張するのは、この点からはるかにズレる(精神は脳神経活動とは一致しない)」とも言っています。そして、「精神の活動にとっての脳の活動の関係は、交響曲にとってのオ-ケストラの指揮者のタクトの運動の関係だ。脳は意識・感情・思考が現実の生活に向けられているようにし、その結果として、効果的な行動ができるようにしているだけだ(脳神経の活動は指揮者のタクトの動きであり、音楽そのものはそこにはない)と言うのです。そして、「記憶内容は精神の中にあり、意識が死後は消滅すると考えるただ一つの理由は、身体の解体が見られるということであり、この理由は、身体に対しての意識のほとんど全体の独立性が、それもまた確認される一つの事実であるならば、もはや有効ではないからだ(「脳神経活動が精神の基盤である」という説によれば、肉体が死ねば魂も滅びることになるが、魂《意識》は身体から独立しているのだから、身体が滅んでも魂は滅びない)」と言うのですね。

 長々とベルクソンの哲学的表現にお付き合いいただきましたが、ベルクソンの言いたいことはおわかりいただけたのではないでしょうか。

潜在意識の活性化で願望達成?(2)

ぶちょりんこさま(笑ってしまますが個人的ご相談ですから認めます)

 私のアドバイスを正しく受け止めていただいたようでホッとしています。もう二度とぶり返してはいけませんよ。私も瞑想や潜在意識の活性化によって願望を成就させようとする祈願の方法があることは知っています。それゆえ直ちにあなたのご質問に答えることができました。おっしゃるようにそれはカルトです。たとえ祈願が成就されたとしても、後で必ずツケが回ってきます。天は公平なのです。

 あの地下鉄サリン事件や松本サリン事件がオーム真理教のしわざであることがわかった時、日本中が衝撃を受けました。ちょうどその頃、夜たまたまラジオのスイッチを入れると、どこかの大学の先生が、この事件について話していました。とても印象的でしたのでご紹介します。その先生がおっしゃるには、

 ・・・私も霊的世界があることを認めています。しかし大切なことは、彼らが言うことを良識で判断することです。書いたものの行間を読むこと、眼光紙背に徹することが大切です・・・

 宗教ではよく顕在意識を軽んじますね。人は簡単に好悪、是非、善悪、貧富、階級の上下などの価値判断をするからです。しかし、じつは顕在意識で判断することはとても大切なことなのですね。教養や知性など、これまでの人生で学んだ良識に基づくことも多いからです。つまり、人間が頭で考える判断も、魂につながる潜在意識に基づく判断も、ともに神から与えられた能力なのです。

 オーム真理教の幹部たちの中には医師、有望な若手科学者や弁護士など、いわゆるエリートたちがいたことも驚きでした。彼らの中には人生を真面目に考える若者もいたのです。それだけに死刑になったことは痛ましい気がしました。犯した罪は許されるべきではありませんが。カルト集団が人間の弱点に巧みに取り入ることは、あなたの場合と同じです。

 あなたにとって現実を受け止めることは辛いでしょうが、間違った道に入り込まないでよかったです。どうかこれからも仏教やキリスト教などを学び続けて下さい。聖書や、ブッダの教え、ことに初期仏典は、やさしく、誰もが納得できるものです(中村元「ブッダのことば」岩波文庫など)。後の大乗経典などのような高邁な(?)理論などありませんが、本当の思想とはそういうものだと思います。
 くりかえします。もう二度とブレてはいけません。高野山で復縁の祈祷をするとは!怒りを覚えます。

潜在意識の活性化で願望達成?

 読者のお一人から、次のような趣旨のご質問がありました。ブログシリーズの途中ですが、熱心に私のブログを読んでいただいている方ですので、とりあえず私見を述べます。

・・・潜在意識(阿頼耶識)を活用すると願望が達成されると言う人がいますが本当でしょうか・・・

 関連するブログを読んでみますと、願望の例として、復縁や結婚がありました。さらに「その教えは原始(パーリ語)仏典の一つ『沙門果経』に銘記してある」とも。

 結論から先にお話します。その方法はお薦めできません。ブッダは、「なによりも心のあり方を正しくしなさい。そうすればこころ安らかな人生を送れます」というものです。すなわち、「和顔愛語(人にはおだやかな顔をして優しい言葉を掛.けなさい)。怒らず、こだわらず、欲を捨てなさい。自分を愛するように他人を愛しなさい」と言うのです。

 「沙門果経」をちゃんと読んで下さい(ネットに解説があります)。たしかに神通力のことが書いてありますが、それはあくまでも「ブッダの教えを実践した後で(段階的に)身に付く。つまり、それはあくまでも修行の結果だ。神通力願望は本末転倒であり、修行の妨げだ」と言っているのです。

 あなたが復縁や恋愛を望むなら(あなたがそうかどうかは知りませんが)、なによりも相手に謝罪し、改めるところは改めて(口先ではいけませんよ)、真心を込めて相手に接するべきです。離婚の原因は、あなたの心ない言動により、相手が深く傷ついたことにあるのです。(あなたが考える)真心が通じないと思ったら、潔くあきらめるべきでしょう。和解もせずに瞑想や阿頼耶識の活性化によって復縁しようとするのは虫が良すぎます。正しい仏の道ではありません。相手の魂の尊厳を傷付けます。キリスト教でも、「まず和解してから神の前に来たれ」とあります。人生の成功や結婚を望むなら、なによりもまずあなたの心のあり方を見つめ、改めることは改めて下さい。願望達成はあくまでもその結果なのです。他人に優しく、尽くす人にはおのずと他人の信頼や助力が集まるのです。そんなことは少し考えればすぐにわかることでしょう。

追記: 万が一にも、怒りや嫉妬、欲望の心を克服できないままこの方法が成功し(万が一にもですよ)、願望が達成されたとしますと、必ずしっぺ返しが来ます。邪悪な心の持ち主には邪悪な霊が集まるのです。闇の世界に入るのです。

霊魂ーベルクソン・小林秀雄(2)

 ベルクソンは、失語症(言葉を忘れてしまう脳疾患)などの脳に障害のある患者(註3)の観察から、「記憶のありかは脳ではない。脳は記憶を引き出す働きを持つだけだ」と結論しました(註4)。

 ベルクソンや小林秀雄は「『あらゆるものはどこかになければいけない』という考えは、現代科学の欠点だ。すなわち、それは唯物論的考えであり、たかだかここ300年か400年来のものだ」と言うのです。唯物思考とはイギリスやドイツで1700年代から始まった産業革命の発展にともなって出てきた考え方で、「モノこそ大切だ」という思想です。マルクスやエンゲルスを経て、現代にも続いています。「現代人は唯物思考の奴隷だ」とも小林は言っています:筆者、註5,6)。さらにベルクソンは「なんでも数字で判断するところ、つまり、99%まちがいでも1%の真実まで否定するという考え方もいけない」と言うのです。統計学的方法の欠点ですね(註7)。それは「まったく予想に反してトランプが大統領になった」現実によく表れています。さらに、「すぐに正しいとか間違っていると区別する考え方も唯物論の弊害だ」と言うのです。

 もちろんベルクソンや小林秀雄は唯物論を基盤とする現代科学技術を否定しているわけではありません。その成果により、人類は月にまで行けるようになったのですから。ただ、「あまりにも唯物論が偏重される世になったのが誤りだ」と言っているのです。今のモノ重視の世界が、もうどうしようもなくなっていることは、心ある人ならだれでも知っていますね。それゆえ、東洋的思考である禅に世界から強い関心が寄せられているのです。

註3 たとえば、病気治療の目的で脳の一部(海馬)を取り除く手術を受けたある青年は、手術以降の生活を記憶する長期記憶を持てなくなってしまった。しかし今の瞬間自分がしていることの短期記憶(筆者註:日常のどんな行動するためにも、一瞬の記憶が連続しなければならない)は異常なかったので日常の生活は支障なくできるが、昨日のことはまったく覚えていないという事態になった。つまり海馬はものごとを記憶するのに関係している組織です。ただ、ベルクソンは「記憶自体は海馬にはない」と言っているのです。

註4 ベルクソンは「運動習慣(たとえば赤ちゃんの時に記憶した「歩き方」)の記憶は脳ではなく体(現在では小脳と脊髄)に蓄えられている」と言っています。

註5 それどころかマルクスと同時代のカント(1724-1804)やヘーゲル(1770-1831)は、「真の実在はモノではなく、私が見た(聞いた・・・)直接経験にこそある」と言っているのです。「あなたが見た(聞いた・・・)経験」は関係ありません。あくまで「私が・・・」です。あまりに唯物思考が「流行った」ため、カントやヘーゲルの思想は忘れ去られたのです。

註6「宇宙は数学という言語で書かれている」と言ったのは近代物理学の創始者ガリレオです(世界の最先端の宇宙物理学者が集まる東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構のホールの柱には、イタリア語でその言葉が書かれています)。ベルクソンが見たらどう思うでしょう。

註7 よく、「唯物論と対比される考え方は観念論だ」と言いますが、それは正しくありません。小林秀雄は、そういうグループ分けをとても嫌います。あくまで「私個人の直接経験が重要だ」と言うのですから。当然ですね。 

霊魂ーベルクソン・小林秀雄(1)

 ベルクソン(H.L.ベルクソン1859-1941、註1)は「生物学的脳(以下、脳とは大脳を指します:筆者)は意識とは無関係である」、そして「霊魂はある」とも言いました。この考えは、当時も今も大問題になります。そんなことを口にすれば、「専門家」からも「一般人」からも痛烈な非難や中傷を巻き起こすはず。「『科学的』に説明できないものは認めない」というのが現代人の強固な共通認識ですから。小林秀雄(1902-1983、註2)はベルクソンの研究者として知られ、講演でも若者たちに向かって、この偉大な哲学者の著作を読むべきだと力説しています。ベルクソンの思想は他にもハイデッカー、サルトル、内藤湖南や西田幾多郎などにも大きな影響を与えました。しかしそれ以後この考えは途絶えてしまいました。筆者はベルクソンや小林秀雄の考えに共感しています。以下5回に分けて、このベルクソンの重要な思想についてお話します。 
 ベルクソンが言う意識とは、人間の感覚(イマージュ)と、「自分が自分であるとの認識」、そして霊魂の問題です。「それらの意識現象は、脳にはない。どこにあるかはわからないがそれは問題ではない。現代人は『ある』と言えばすぐに所在する空間を問題にするが、そういう考えは現代科学の欠陥だ」と言うのです。

 イマージュ(感覚)とは、たとえばリンゴを見て「赤い」と判断する精神活動です。この問題はけっして単純ではなく、現代にも続いています。茂木健一郎さんがクオリア(質感)と読んでいるモノです(「意識とは何か」ちくま新書)。たとえばカメラの焦点に映った像は、たんなる映像であり、「赤い」とか「おいしそうだ」という判断はありません。ではなにが「赤い」とか「おいしそうだ」と判断しているのでしょうか。記憶の中にあった、以前リンゴを見て「赤い」とか「おいしそうだ」と学んだものが呼び覚まされ、それと比較して「これも赤い」とか「おいしそうだ」と判断したはずです。  
 一方、人間には「自分」という、物心ついてから消えることのない意識がありますね。自分であることのアイデンテイテイのことであり、誰もが持っていて、「魂」とも深い関わりのあるとても重要な精神活動ですね。ベルクソンは「私」という意識はどこにあるのかについても考えました。それも記憶と言ってもいいはずです。

 第三に、霊魂の問題です。ベルクソンや小林秀雄は「霊魂は存在する」と言っています。この意見は当時も今も強い批判や中傷の対象となりやすいのです。しかし、彼らの論調の強さには、聞いていて心配になったほどです(小林秀雄講義第二巻「信ずることと考えること」新潮社)。ベルクソンや小林秀雄がバッシングを受けたかどうかはわかりません。おそらく二人ともそんなものは歯牙にもかけなかったでしょう。また、二人の思想家としての偉大さゆえに、まともに批判できる人間などいなかったでしょう。

註1ノーベル文学賞受賞。主著に「時間と自由」(岩波文庫)、「物質と記憶」(同)など。以前お話した、夫が戦死した状況を遠く離れた自宅にいた妻が白日夢として見た話は、「精神のエネルギー」(白水社)に出ています。

註2 小林秀雄には「新潮」に連載していた「感想」というベルグソン論がありますが、小林はこれを中断し、出版する事も拒みました。自分は無学だったからと言っています(しかし、死後十数年を経て「小林秀雄全集5精神のエネルギー」として特別に刊行されました)。