「深い河」キリスト者への質問(1-2)

 1)以前のブログで、遠藤周作さん(1923‐1996)の「沈黙」について「踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです」と書きました。遠藤さんは、敬虔なクリスチャンだった母に勧められて、幼いころから教会に通いましたが、いつも「キリスト教は僕には似合わない洋服のようだ」と考えていたと言います。「それでも母への想いも強く、その葛藤が作家活動のモチベーションになった」と言っています。その彼が自ら代表作と言う「深い河」を執筆したのは死の5年前でした。「深い河」は「和服が似合う日本人のキリスト教とは何か」が主題です。「深い河」には、それぞれの課題を抱えた5人が出てきますが、とくに印象深かったのは大津と成瀬美津子です。上智大学を思わせる大学の同級生でした。

・・・大津は毎日クルトハイム祈祷所へ通って祈りをささげていました。一方、美津子は資産家の娘で、ボーイフレンドも多く、マンションに住み、何不自由なく暮らしていました。美津子はそんな大津を見てからかいます。

美津子「大津さんあなた毎日クルトハイムに行って祈っているの?」

大津「ええ、まあ」

美津子「あなたそれ本気?」

大津「すみません。信じているかいないか、あまり自信がないのです」

美津子「自信がないのによく跪けるわね」

大津「僕の一家はみなそうだったし、母が熱心な信者だったから、その母に対する執着が残っているのかも・・・。よく説明できないのです」

 美津子は大津の信仰を揶揄し、誘惑し、マンションに誘います・・・。そして大津を捨てました。

 その後大津は神学生になって、4年後フランスのリヨンで学んでいました。そこへ、資産家と結婚した美津子が訪れて、おどおどした大津の顔を見ながら聞きます。

美津子「あなた、あのとき神を捨てたんじゃない。それなのにどうして神学生になったの?」

大津「わかりません。そうなったのです。成瀬さんから捨てられたからこそ、僕は人間から捨てられたあの人の苦しみが少しわかったのです。成瀬さんに捨てられてボロボロになって、行くところもなくどうしようもなくなって、またクルトハイムヘ行ったんです。跪ずいていたとき、僕は聞いたんです。『おいで』という声を。『私はお前と同じように捨てられた。だからお前を決して捨てない』という声を」

美津子「そしてあなたは?」

大津「『行きます』と答えました」

そしてはじめて大津の頬にうれしそうな微笑が浮かんだ。

大津「僕はそれ以後思うんです。神は手品のようになんでも活用なさることを。われわれの弱さや罪も」

 何年かたってベナレス(註1)を訪れた美津子は、偶然貧しい人々の亡骸を火葬場へ運ぶ大津の姿を見たのです・・・。

そして大津は、日本人ツアー客と現地人との争いに巻き込まれて、瀕死の重傷を負います。

担架の上から大津は心の中で自分に向かって言った。

「これで・・・いい。ぼくの人生は・・・・・これでいい」

註1 ガンジス川の水浴で有名なインドヒンズー教の聖地です。

2) 筆者はNHK「こころの時代」で、批評家・随筆家の若松英輔さんとノートルダム清心女子大学教授の山根道公さんとの対話を通して「深い河」が語られているのを視聴しました。お二人の誠実な人柄が印象的でした。山根さんは授業でこの本を取り上げ、学生たち(授業の一環としてミサがあり、キリスト教学に関する科目も多いでしょう)に教えていらっしゃいます。お二人は古くからの知己で、キリスト教の集まり「風の会」のメンバーでした。

「深い河」はとても感動的で、「和服が似合う日本人の信仰とは何か」についての遠藤さんの回答でしょう。

 しかし、筆者がふと我に返ったとき、「これはフィクションではないか!」と思いました。大津は、遠藤さん自身、また一緒にフランスへ留学した井上神父の心情も重ねているでしょう。しかし要するに大津の信仰は遠藤さんの思い込みに過ぎないのです。「キリスト者は、実体験でもない思い込みやフィクションを信仰の拠り所にするのか?」。これが筆者の正直な感想です。

 このことは番組の最後に出てきた、遠藤さんの臨終の場面での夫人順子さんの言葉にも当てはまります。

 ・・・・生命維持装置が外れたと同時に、本当に主人の顔が、今まで見たこともないほど うれしそうな顔になって・・・『おれはもう今 光の中に入ったから安心しろ お袋にも兄貴にも会った。お前にもかならず会えるからな。死は終わりじゃないんだ』・・・。

 とても感動的ですね。しかし筆者は「アッ」と思いました。ビデオを巻き戻して、いくら聞き直しても、これは遠藤さん自身の言葉ではありません。当然です。もう心電図も脳波もフラットになっているのですから。つまり、これは遠藤夫人のたんなる想像・思い込みだったのです。

 筆者は、思い込みやフィクションを信仰の拠り所にすることなど到底できません。キリスト教が日本人になかなか受け入れられないのはこう言うところにもあるのではないかと思います。

 このことは遠藤さんのもう一つの代表作「沈黙」についても言えます。

・・・・ロドリゴ神父に「踏むがいい」という(イエスの)言葉が聞こえてきた・・・・

これは完全に遠藤さんの創作です。遠藤さんのこの小説は、島原の隠れキリシタンの里を取材して書かれたとか。しかし完成後、彼らから「私たちの信仰はもっと強固なものだ」と強い反発を受けました。「沈黙」が映画化されるのに10年もかかったのは、世界のカトリック会から強い抵抗があったため、と筆者は思っています。

 筆者の信仰もキリスト教会から始まりました。その後20年間神道系の教団に属していました。そして禅を本格的に学んで11年になります。その間、数々の霊的体験をし、さらに神秘体験もしました。けっして想像や思い込みの信仰ではないのです。

筆者のブログ「歎異抄の呪縛」について

 読者の方からご意見をいただきました。まとめて筆者の考えをお話させていただきます。

1)秀峰さんのコメント:

 ・・・善人と悪人という判別が、そもそも客観的な合理性があるのか。どこに善人と悪人の境界があるのか。それから、悪いことをしても救われる、のではなく、最初から救われているのだから、悪いことをしてしまっても、それは凡ミスの範囲だ、という解釈はどうでしょう?

筆者のコメント:「善人と悪人という判別に客観的な合理性などあるのか」には筆者も同感です。「平時なら1人でも殺せば大罪であるが、戦争で100人殺せば英雄だ」とはよく言われますね。「悪いことをしても救われる、のではなく、最初から救われているのだから、悪いことをしてもよい・・・」は、「歎異抄」でも「本願誇り」と呼ばれています。親鸞の在世時から、そういう弟子が少なくなかったのでしょう。筆者は、この言葉を素直に解釈して、「悪いことをした人間ほど、その反省から神に近づく」と思います。以前、アーサー・ホーランド牧師 の講演会を聞いたことがあります。映画「親分は牧師様」のモデルです。これらの指定暴力団の幹部はすべて、グレード5の「悪人」だったでしょうから、その生き方を反省して、神に近づくのはむしろ当然のことだと思います。

 問題は、グレード1とか2、つまり、私たちのような「普通の人」が犯す「悪」です。悪口を言ったり、噓をついたり・・・。「善人なをもて・・・」の錯覚は、これら「罪とは言えないような罪」を犯した人々も往生を遂げるか?」です。神仏の前ではやはり罪でしょう。それを深く反省して神仏に向かうか?そんな人は皆無でしょう。ましてや往生できる人などいるはずがありません。ここに「善人なをもて・・・」の勘違いがあると思います。

2)えびすめさんのコメント:

 ・・・歎異抄が特別な意味を持たない仏教界の一部の宗派で独自に出ている書物なら、なぜ今に残っているのでしょうか?浄土真宗内における「訓告・戒告書」で内部だけで読まれる「内々の書籍」なら納得ですね。

筆者のコメント:結論から言いますと、「歎異抄」はおっしゃるように、浄土真宗内における「訓告」だったと思います。今に残っているのは、やはり「善人なを持て往生を遂ぐ。いはんや・・・」のパラドックスが後代の人々にとって印象的だったからでしょう。中には「それなら私も救われるのでは」と思う人もいるのではないでしょうか。しかし、パラドックスはパラドックで、真実ではないと思います。

 「歎異抄」は、親鸞の200年後の蓮如(1415‐1499)が本願寺の書庫で見つけ、驚いて秘蔵してしまったと言われています。多数(22人)の側室を作り、自分の子供たちを有名寺院や、それらの住職に嫁がせ、一大教団を作った人物です。親鸞が「歎異抄」で「私は教団など作らない」と言ったことに反する行為だったからで、とても信者たちには見せられなかったのでしょう。

 法然と親鸞は「ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できる」と言ったのですから、その精神を正しく受け止めて入れば、「本願誇り」などするはずもなく、弟子たちに「訓戒」する必要などなかったはずです。他宗派の人でも「本願誇り」などしてはいけないのは当然ですね。