魚川裕司さん(1-4)

魚川裕司さん(1)

 前回の「読者コメント」ご紹介した臨済宗系のある寺院の住職の方から、
・・・魚川祐司著「仏教思想のゼロポイント:悟りとは何か」(新潮社)に対する所見もお願いいたします。蘊処界を各自の認知内容とする著者の所見が、貴師の所見に似ていると思ったので・・・
とのご希望も寄せられました。早速精読してみたところ、大変興味ある内容で、読者のみなさんの参考になると思いますので、同住職にお断りの上、以下に筆者の読後感をお話します。

 同書を読んだ感想は、「魚川さんは、いわゆる上座部仏教(南伝仏教:註1)、ことにテーラワーダ仏教(ミャンマーやタイで発達した上座部仏教)が依拠している初期仏典類(パーリ語仏典)を深く読み、ミャンマーにある瞑想センター(寺院)で長年にわたって修行を行った、正統な実践者だ」ということです同書は初期仏典類に基づく釈迦の思想を要領よくまとめてあります。さすがに西洋哲学も学んだ「学者」ゆえでしょう。
 筆者は、上座部仏教については、わが国在住のスリランカ僧アルボムッレ・スマラサーナ師や、ベトナム僧テイクナット・ハン師の言葉や活動、そしてパーリ語仏典「スッタニパータ」「大パリニバーナ」の学習、そして「気付きの瞑想」などを通じて一通りの知識はあります。その筆者にとって同書の内容は参考になりました。特に「無我」「輪廻」「悟り・涅槃」などについて、読者の皆さんと一緒に考えることはとても意味のあることだと思います。そこで、これらの述語を中心に、魚川氏の考えと筆者の解釈との(主として)違いについて、新たなシリーズとしてお話していきます。

 同書の内容について検討する前にまず予備知識として理解して置かねばならないのは、釈迦(ブゴータマ・ブッダ、以下釈迦またはブッダ)仏教以前からインドで広く信じられてていたヴェーダ信仰についてです。その思想はウパニシャッド哲学としてまとめられています。ヴェーダ信仰の基本は、人間には「我(個我、アートマン)」と呼ばれる本体(魂)があって、死後も残り、輪廻転生をくり返す。その過程を通じて魂の質の向上を図り、最終的には「神(ブラフマン)」と一致することを目指すというものです(註2)。釈迦仏教はヴェーダ信仰のアンチテーゼ(対立命題)として生まれたものです。したがってヴェーダの言うアートマンとブラフマンとの一体化(梵我一体)や輪廻転生思想などは否定しています(註3)。そのことを念頭に置いていただいた上で筆者の感想をお聞きください。ヴェーダ信仰はバラモン教となり、釈迦仏教がインドで忘れ去られた後も存続し、現代でも少し変容してヒンヅー教として繁栄しています。

註1 チベット、西域、中国、朝鮮、日本へと伝わったのが大乗経典類に則った北伝仏教です。この系統にもパーリ仏典の一つ「ダンマパダ」が法句経として漢訳され、わが国へも伝わっています。ただ、その後わが国では忘れ去られました。おそらく日本人の心としっくり合わなかったのでしょう。
註2 キリスト教やイスラム教などを除き、古来あらゆる国のあらゆる民族の宗教では、神との一体化を目指して来ました。シャーマンが忘我(トランス)状態になるのもそのためで、ごく自然な人間の想いでしょう。
註3 実は否定しているのではなく、「無記」、つまり「考えない」としているのです。これが後代の仏教徒や学者に大きな混乱を生む原因となりました。魚川氏の同書の内容もそのことと深く関わってます。

魚川裕司さん(2)我(われ)の本体はあるか

 以下に魚川氏の同著についてご紹介しますが、そのままでは予備知識がないとわかりにくい言葉や、哲学者特有の言い回しがあると思いますので、筆者が適宜「翻訳の翻訳」をさせていただきます。
 まず魚川さんは、「ブッダの教えの基本は縁起であり、すべてのモノゴトは原因(因)と条件(縁)によって形成された一時的なものであり、実体を有さない。それゆえその原因がなくなれば消滅してしまう。であるのに人間は苦しみを、あたかも実体があるように思うくせがある。このことを腹の底から分かることが肝要である。そしてブッダは、そこから抜け出す方法(註4)を説いた」と言うのです。そのとおりでしょう。
 そして魚川さんは、ブッダの縁起の法則に関連の深い無我や輪廻などの、これまでの仏教界で議論の多い概念について検討しています。

註4 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定などの八正道を実践すること。

無我

 魚川さん:無我というのは、仏教の基本的教理であると言われている。だが、これは同時に仏教史を通じて常に議論の的になり続け、また現代でも多くの実践者・学習者を混乱させ続けている概念である。いくら無我だと言われても、私たちは事実として一人ひとりが違う肉体を持っているし、認知している世界もそれぞれ異なる。私の目が捉える世界と、あなたの目が捉える捉える世界は当然異なったものになってくるし、それに対して抱く世界も、各人の「内面」にそれぞれの仕方で展開するもので、それらが混じり合うことは基本的にない。そうした意味での「個体性」であれば、どれほど長く修行した僧侶であっても維持されているように思われるから、彼らが「無我」だと主張しても「いやだって『あなた』は存在しているじゃないですかと、やはり言いたくなる・・・もっと問題なことは無我だと言ったはずのブッダが「己こそ己の主人である」「自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず(以下略)と遺言している。・・・また仏教では倫理的行為を推奨する以上、当然「行為者」には一定の「自由」が担保されなければならないし、「自業自得」を言う以上、行為の結果を引き受ける主体も必要になる(以下略) ・・・このように「無我」という概念には様々な矛盾が含まれているように思われる・・・(以上p80-81)。

筆者のコメント:つまり、いくら無我だと言っても現実に「私」はあるじゃないかと言っているのです。

 魚川さん:無我と言う時にブッダが否定したのは、「常一主宰」の「実体我」である・・・「実体我」とは、常住であり、単一であり、主としてコントロールする機能を有する(主宰する)もの、ということである・・・(ブッダがそう考えた理由は)すべての現象は縁生(原因と条件によって起こる)と考えたからである・・・ならばブッダは「我」は絶対的な意味で非存在だと主張するかというと、彼自身はそのことについて沈黙を守っている(「無記」ですね:筆者)ということである。

筆者のコメント:「常一主宰実体我」・・・わかりにくい言葉です。哲学者の性癖(と筆者は考えます)が出ていますね。つまり、「人が死んでも消えることのない実体」のことです。ヴェーダ信仰のアートマン(個我、魂のようなもの:筆者)と類似の概念(註5)です。それを否定するところが、筆者の言う「ブッダの思想がヴェーダ思想のアンチテーゼとして出発した」理由です。「仏教においては、世界は常住不滅のものであり、人は死んでも実体的な我が永久に存在し続けるという見解も、世界や自己の断滅(人は死んだら無になる)という見解もともに明確に否定されている」のだと、魚川氏もブッダの考えに同調しています。

註5 ヴェーダの言うアートマンとは少し違うのですが、それについては後でお話します。

 魚川さんは続いて、
・・・ブッダは現象の世界(世間)内の諸要素(人間の世界で起こる出来事:筆者)のどれかが実体我であると考えることについては明確に否定しているが、常一主宰の実体我でない経験我については必ずしも否定していない。では経験我とはなにか。それは縁起の法則に従って生成消滅を繰り返す諸要素の一時的な(仮の)和合によって形成され、そこで感官からの情報が認知されることによって経験が成立する、ある流動し続ける場(認知のまとまり)のことである(p89)。

筆者のコメント:またまた哲学者の性癖が出ていますね。わかりにくい文章です。要するに、人間が生きて行く過程でさまざまな原因(因)と条件(縁)によってさまざまな出来事が起こる。それらが生老病死などの苦や悲しみの基になる。それらは縁起の結果仮に起こったものだから、当然、原因が無くなれば消えていくものだと言うのです。そのとおりですね。しかし、モノゴトが起こるのは事実です。それが起こっている我を経験我と言っているのです。それに対し、常一主宰の実体我は生きている時はもちろん、死んでからも残らないからそういものはない」と言うのです。しかし、前述のように、魚川氏は、

 ・・・ どれほど長く修行した僧侶であっても維持されているように思われるから、彼らが「無我」だと主張しても「いやだって『あなた』は存在しているじゃないですかと、やはり言いたくなる・・・

と言っているのです。つまり、悟りに至った高僧には経験我が無くなるはずだ。もともと常一主宰の実体我は無く、その上経験我まで無くなれば、その人は完全に無我になるはずではないか。それゆえ「なのにあなたは存在するじゃないか」と言いたくなるのでしょう。しかし、これは明らかに魚川氏の誤解です。なぜなら、いくら悟りに達した高僧でも生きている限り経験我が生じては消えているのです。しかし、高僧たちは「それらはやがて消えゆく経験我に過ぎない」と見極め、一喜一憂に進ませないのです。そこが衆生と違うところなのです。それはあの良寛さんの言動を見ればよくわかりますね。魚川氏はそのへんがよくわかっていないのではないでしょうか。

 さらに魚川さんは、
 ・・・ブッダが否定したのは、そうした無常の現象の世界(経験我ですね:筆者)の中のどこかに、固定的・実体的な我が存在していると思い込み、そしてその虚構の中の実体我に執着して、苦の原因を作ることであった。
と言っています。

筆者のコメント:そうではないのです。凡夫は「経験我のどこかに実体我があると思ってそれに執着するから」ではないのです。そもそも経験我と実体我の区別がつかないため、すべての現象は「自分」に降りかかっていると思い、苦しむのです。一方、高僧は両者をはっきりと区別し、経験我はやがて消えて行くと見極めているから苦には陥らないのです。魚川氏は仏陀の思想をよくわかっていないのかもしれません。 しかもはたして、モノゴトを感じて反応しているのは経験我だけでしょうか。筆者はそうは思いません。あとでくわしくお話しますが、とりあえず筆者はいつも「無我だと言う人の頭をポカンとたたいてやればいいと言います。『痛いじゃないか』と言うでしょう。そうしたら「あなたは無我のはずでは?」と言ってやります。そこが後代に発展した禅とは違うところです。禅は肉体が現実にあることをはっきりと肯定しています。それが空即是色なのです。

魚川裕司さん(3)輪廻 無我だからこそ輪廻する?

 輪廻転生の問題は、魚川さんの言う「無我」と深く関わっています。すなわち、「実体我」(魂のようなものですね:筆者)というものがなければ、ふつう言われる輪廻転生ということはありえないからです。ここで魚川氏は「無我だからこそ輪廻する(p92)」と重要なことを言っています。
 魚川さん:業(ごう)と輪廻の世界観とブッダの仏教が切っても切り離せないことは、文献的にも論理的にも非常にはっきりしたことだから、仏教の基本的立場は「無我なのになのに輪廻する」ではなくて、「無我だからこそ輪廻する」のだ。だから「ブッは輪廻を説かなかったはずだなどと主張する人がまだいるとしたら、仏教がわかっていないのだ・・・

筆者のコメント:魚川さんは「業(ごう)と輪廻の世界観とブッダの仏教が切っても切り離せない」と言っています。下記のように、魚川さんの言う輪廻は、この言葉と相容れないようです。

無我だからこそ輪廻する

 ここで魚川さんは木村泰賢元東大教授の説を引用しています。木村説では、
A‐A’-A”-・・・aのn乗B-B’-B”‐・・・bのn乗C-C’-(以下同じ)

魚川さんの解説:ここでAとかBとかCとは、木村さんの言う「五蘊所成の模型的生命」、私(魚川さん)の言う経験我のことだ。それらは誕生から死まで常に変化し続けていて、そこに固定的な実体はないのだが、これら経験我のまとまりを「太郎」と名付けておく。A‐A’-A”-とは、時々刻々と流動・変化を続ける様子を示す。ある時点(Aのn’)で死を迎える。そこで起こるのが転生である(図の・・・の部分)。そこでBという新しい経験我を得たとすると、その形は大いにAと相違しているようであるが、そこにはやはりaのn’というAの積み重ねてきた行為(業)の結果が、潜勢力として働いている。そしてBという新しい状態になる・・・以下これを続ける・・・

つまり、木村さんの言う転生とは私たちが考える「生まれ変わり」ではなく、現世における人間性の変化(たとえば「人が変わったように」と言いますね:筆者)を指すのです。木村さんはこれを蚕の変態に譬え、

 ・・・仏教のいわゆる輪廻はあたかも蚕の変化のごときものであろう。幼虫より蛹になり、蛹より蛾になるところ、外見的に言えば、全く違ったもののようであるけれども、所詮、同一虫の変化であって、しかも幼虫と蛾とを以て同とも言えず、異とも言えず、ただ変化であると言い得るのみと同般である・・・

魚川さんはこの説について「これはたいへんわかりやすい比喩である」と言っています。つまり同調しているのですね。

筆者のコメント:これで魚川さんが「無我だからこそ輪廻する」と言っている理由がおわかりいただけるでしょう。つまり、魚川さんや木村さんの言う「輪廻転生」とは、私たちの考える「生まれ変わり」のことではなく、一つの人生における大きな変化を指すのです。私たちの言う輪廻は「生まれ変わり」のこと。魚川さんや木村さんの言う輪廻は、この世で受ける「善因善果、悪因悪果」のことなのです。古来インドでは(今でも)「生まれ変わり」は当然のことと考えられていました。そのアンチテーゼとしてブッダが新たな思想を展開するなら別の語句を使うべきなのです。同じ言葉を使って別の思想を述べようとしたから後代の人たちは混乱したのです(註9)。

註9 実は中村元博士は「仏教語大辞典」で、(困惑しつつ:筆者の感想)、
 ・・・輪廻はサンスクリット語で「流れること」を意味する「サムサーラ」の訳であって、古い時代から、「世の中」あるいは「世界」という意味に使用されており、サムサーラをすべて「生まれ変わる」と解するのは間違っている(下線筆者)・・・
と述べています。魚川さんや木村さんの言う輪廻は前者、私たちが普通に考える輪廻は後者の意味ですね。「間違っている」と言うのは問題があると思いますが。つまり、魚川さんは最初にこの事情を明示すべきでした。そして、著書の中では、別の語句を使って説明すべきでした。

「無我だからこそ輪廻する」についての筆者の疑問

 魚川さん(そして木村さん)の言うこの論説には下記のような重要な矛盾があります。まず、
 1)木村さんの言う「Bという新しい経験我を得たとすると、その形は大いにAと相違しているようであるが、そこにはやはりaのn乗というAの積み重ねてきた行為(業)の結果が、潜勢力として働いている。そして「Bという新しい状態になる」は、ことさら理論として述べるほどのこともない当たり前のことです。なぜなら、私たちが現世で積み重ねた善因や善悪は、当然、現世で良くも悪くも報いを受けるからです。宗教的に問題なのは「現世で積み重ねた善因や悪因が、来世以降に報いを受けるかどうか」です。私たちが問題とする「業(ごう)」とはそういうものです。魚川さんは「Aは、ある時点(Aのn’の時点)で死を迎える。そこで起こるのが転生である(p93)」とはっきり言っています。この転生とは明らかに生まれ変わりを指すはずです。死とは文学的な死のことでしょうか。

 さらに、木村さんは「仏教のいわゆる輪廻はあたかも蚕の変化のごときものであろう・・・ 同一虫の変化であって、しかも幼虫と蛾とを以て同とも言えず、異とも言えず、ただ変化であると言い得るのみと同般である」と言っていますが、生物学の初歩から言ってもナンセンスです。幼虫が蛹になろうと蛾になろうと、その個体特有の遺伝子は厳密に保たれているからです。これこそ「個」でしょう。木村さんが「同とも言えず異とも言えず」とはどういうことでしょう?

 2)魚川さんはさらに「業の自作と他作の問題」については、本人が為して本人が受けるのか、他人が為して本人が受けるのか(魚川さんは「他人が為して他人が受けるのか」と言っています(p94)が、それではあたりまえのことで設問にはなりません)」についてブッダは「業を作る人と、その結果を受け入れる人とは、縁起の法則によって実体我が存在しない以上、同じであるとも異なるとも言えない」と引用しています。しかし我の実体があろうと無かろうと(経験我だけであっても)、他人が作った業を自分が受けてはたまったものではありませんね。
同書で「生まれ変わりがある」と言っている

3)魚川さんは同書でパーリ仏典の一つのダンマパダ(法句経)から、
 ・・・数多の生にわたって、私は輪廻を経巡ってきた・・・を引用しています(p79)。これは明らかにブッダの生まれ変わりを指しています。さらに、仏教には「七仏偈」という思想があります。すなわち、ブッダは過去何回もそれぞれ別の名前で生まれ変わっていることを前提とした話です。

4)魚川さんは私たちが考えるところの「輪廻転生はない」と言いながら、
・・・ブッダの「悟り」の内容は「三明(さんみょう註8」であると言われているが・・・(中略)・・・残りの二つは、自分の数多の過去生を思い出し衆生の死と再生をありのままに知るという、輪廻転生に関わる智だ(p137)・・・
と言っています。これは明らかに私たちが考える輪廻転生(生まれ変わり)を指していますね。魚川氏は「輪廻とはこの世での因果のことだ」と言ったばかりではないですか。ブッダは「生まれ変わり」について「無記(沈黙)」で応じているのに。

註8 今回は、文脈とは直接関連がないので、その内容については省略します。

5)魚川さんは「ブッダが否定したのは、無常の世界(現世で起こるモノゴト:筆者)の中のどこかに、固定的・実体的な我が存在していると思い込み、そしてその虚構の実体我に執着して、苦の原因を作ることであった」と言っています(p91)。しかし、筆者は「人間には、魚川氏の言う経験我と魂(魚川さんの言う実体我)が共存しており、経験我の言動は魂に影響を与え、その一方で魂は経験我にも影響を与える」と考えています。
ことほどさように、魚川さんの「無我だからこそ輪廻する」の論述には矛盾が多いのです。前述のように、釈迦の思想は、初期仏典のごく一部にしか伝わっていません。にもかかわらず、それら全体として論理を組み立てるとこうなってしまうのでしょう。

もしも「生まれ変わり」がなかったら
 6)「悟り」とは、「経験我の体験を苦しみにつなげることがなくなった状態」ですね。もしも「生まれ変わり」ということがなかったとします。ある人は50歳で悟って85歳で死に、ある人は悟りに至らずに同じ85歳で死んだとします。とすれば苦しんだ期間は35年多くなっただけです。しかも別にその間のたうち回ったていたわけではありません。大部分の人が「色々あったけど」で終わっています。なんだか「悟りの意味は?」と思いたくなりますね。これでおわかりでしょう。「悟ったか悟らなかったか」が問題になるのは、生まれ変わった次の人生なのです。そこにこそ「業」の大小となって残るのです。輪廻転生とはこのことだと思います。

 ブッダが悟りに至った時「これが最後の生であり、もはや再生することはない」と自覚したといいます。有名な言葉ですね。ある人たちは、人間は生まれ変わりを繰り返して現世で心を向上させることが人間の生きる意義だと考ています。そして悟りに至った人はもうこのサイクルから離脱すると言います。私たちがこれまで教えられてきたのは、「ブッダはもうこの世へ生まれ変わることはない」ということでした。しかし、ブッダの言うサイクルからの離脱とは、この世ではもう因果は起こらないと意味でしょう。明らかに違いますね。

ここまで考えてきますと、ブッダはなぜ輪廻転生を「無記」としたのか、筆者にはわかりません。もちろん弟子たちには「そんなよくわからないことを考慮に入れるな」との意図だったでしょう。しかし、筆者がこれまでに述べてきたように、「無記」とすれば、ブッダの教えが論理的におかしくなると思われますし、後世に(魚川さんも含めて)大きな混乱をもたらしているのです。

魚川裕司さん(4)悟りとは

 魚川さんは、「悟り(涅槃)とは、衆生が現世で体験するモノゴトは、すべて因(原因)と縁(条件)によって現れた仮の現象であり、実体ではないことをはっきりと認識し、苦や渇愛(欲望)につながるそれらを徹底的に消し去る(滅尽)ことによって達成される」と言っています。つづいて、「悟りは突然起こり、元に戻ることはない。その状態は、はっきりと覚知される」とも(以上筆者の簡約)。
 ここで重要なことは、「完全な悟りに達するとそれははっきりと自覚される」ということです。人間の心はこれまでとはまったく別の領域に入る。それはもう言葉では言い表すことができない。それをありありと自覚する」と言うのです。魚川さんの表現では「解脱に至った者には、必ず「解脱した」との智が生ずる(p132)」。
 これはとても大切なことです。「言葉では言い表すことができないが、別の世界があることが自覚される」ではいささか無責任のような気がしますが、よくわかります。以前のブログで、高野山での虚空蔵求聞持法という高度な修法が行われることをお話しました。それが完成したかどうかは、「奇跡が起こるかどうかでわかる」とも。

悟りに至るまでの修行

 南伝仏教の、とくにテーラワーダ派(タイやミャンマー)では、ヴィッパサナー瞑想(現代ではマインドフルネスと呼びます。註9)を重視します。「気付き」ですね。
 気付きの実践:歩いている時には「歩いている」、立っている時には「立っている」などと、いかなる時でも自分の行為に意識を行き渡らせて、そこに貪欲があるときには「ある」と気付き、なければ「ない」と気付いている。そのような意識のあり方を日常化することで、慣れ親しんだ盲目的で習慣的な行為を「堰き止める」こと。

註9 ベトナム僧テイクナット・ハン師が主宰する集団では、この他「歩き冥想」や、音楽を聞きながらの坐禅・瞑想も併用します。
 ただ、魚川さんのようにあしかけ5年もミャンマーの瞑想センターで気づきの実践を行った人でも、
 ・・・気づきの実践を行って、内面に生じる煩悩を自覚し、現象を観察し続けていても、たしかに執着は薄くなるが、根絶されることはない・・・と正直に告白しています。簡単ではないのでしょう。

テーラワーダ修行者の人生観
 「仏教思想のゼロポイント」には、初期仏教経典にあるブッダと弟子たちの厳しい修行の姿勢が描かれています。「労働はせず、女性とは眼も合わせない」というのです。寺の清掃や食事の世話は作務(さむ)と言われ、わが国各宗派でも重要な修行の課題とされていますが、ミャンマーのテーラワーダ宗派ではそれらさえ禁止し、ひたすら修行に励んでいると紹介されています。筆者が滞在したスリランカキャンデイ―にある仏教センターにも、多くの外国人修行者が来ていましたが、やはり食事はすべて地域住民の喜捨で賄われていました。各地域の人達が順番に担当していましたが、順番が来るのを心待ちにしているのが印象的でした。魚川さんが「労働はせず、女性とは眼も合わせない」人生を送っているかどうかはわかりませんが、筆者はそういう人たちを心から尊敬しています。良寛さんもそういう人でした。

テーラワーダ宗派の新しい活動
 南伝仏教では大衆の啓蒙はせず、ひたすら自己の修行の完成を目指します。ブッダも悟りの完成の直後はそうだったと言います。しかしそれを察した梵天が、大衆啓蒙を懇請した結果、その後ブッダはその姿勢を貫いた一生を送ったと、初期仏典に書かれています(梵天勧請と言います)。なぜ初期仏教が、梵天(ブラフマン、つまりヴェーダ信仰の最高神)まで持ち出したのか。おそらく、ブッダと弟子たちの厳しい修行態度と、衆生救済の一生があまりにもかけ離れているからでしょう。なんとかつじつまを合わせなければ収まりが付かないからだと思います。
 現代のテーラワーダ宗派でも変化が起こっています。あのベトナム僧テイクナット・ハン師のマインドフルネス(気づき)活動です。フランスの田舎に拠点を置いて世界中から修行者を集まり、講話や瞑想修行に励んでいます。一方、アメリカにも活動場所を作り、国連やIT企業の大手グーグルから招かれて講演活動をしています。それだけ師の思想が世界の人々にとって必要視されているのです。

読者のコメント(6)と筆者の考え

読者のコメント(6)

 読者のお一人(臨済宗系のあるお寺の住職)から次のようなコメントがありました。他の皆さんにも参考になると思いますので、アップします。お考え下さい。

1)「現成公案」の「現成」は、既に成就し現に円成している、という意味です。「公案」とは、公共の案件(公の課題)という意味です。仏教にとっての公の課題は、解脱・涅槃・菩提・成仏・衆生済度です。それらが全て、つまり「仏道」が既に成就し現に円成していることを「現成公案」と言います。

2)『PALI(パーリ語:筆者註)–ENGLISH DICTIONARY』の【Rupa(色シキ:筆者註】には、form, figure, appearance, principle of form, etc. と記されています。「色」は、姿や形や外観の意で、認識や認知の内容だと言えます。認識や認知 の対象としての「姿形や外観が有る物」では無いと思います。

筆者の考え

 魚川裕司「仏教思想のゼロポイント」(新潮社)の読後感についてのブログシリーズを続けています。早速コメントがありました。他の読者の皆さんにも参考になると思いますので、ご紹介させていただきます。

ご質問:
〇生老病死する私(衆生世間中の一人)と、念々に生滅している認知内容を繋ぎ合わせて認知している私(五蘊世間の私)との区別も合わせて論究して下さると有り難いのですが、…。
〇他人の心臓や腎臓などの臓器を移植したり、癌細胞を切除したりして生き永らえている「我」も軈(やが)て「死」を迎えます。このような生老病死する衆生世間中の一人としての「我」と、念々に生滅している見聞覚知内容を繋ぎ合わせて認知している「我」との区別を明確にして戴けると有り難いのですが・・・。

筆者のお答え:「念々に生滅している認知内容を繋ぎ合わせて認知している私(五蘊世間の私)」とは、「私たち衆生の身の回りに次々に起こる出来事は、いずれも原因と条件によって起こっては消えていく仮の現象であり、それらを経験する私も仮の私だ(魚川氏は経験我と呼んでいます)」という意味ですね(縁起の法則)。凡夫はそれらを苦(渇愛と怒りと貪欲)と結び付けてしまうから問題なのです。

 ブッダやその高弟などの悟った人たちは、それらの経験を「仮の姿である」と見極め、苦につなげなかったのですね。もちろんブッダも年老いて病気になって死にました。そして悟った後もブッダの経験我は、当然、念々に生滅している現象を認知していました。しかし、ブッダは、それらを「あるがままの現象」として受け止め、さらりと流していたのでしょう(註1)。そして、老化も病気も死も、あるがままに受け止めて逝ったのだと思います。魚川さんの論旨はよくわかります。しかし、モノゴトを体験し、感じているのは本当に経験我だけなのか。筆者のこの辺の解釈は少し違います。それについてはこのシリーズの最後にお話します。

註1ブッダは「我という本体(魚川さんの言う実体我、魂)の有無については「無記(沈黙)」を通しましたから、老化や病気や死を自覚したのは、その時々のブッダの経験我というこになりますね。

追記:この方の以前のご質問に、
・・・『PALI(パーリ語:筆者)-ENGLISH DICTIONARY』の[Rūpa(色:筆者)]には form, figure, appearance, principle of form, etc., と記されている。「色」は、姿や形などの意で、認識や認知の内容であって、認識や認知の対象としての「姿形が有る物」では無いと言える・・・

とありました。上で「五蘊」が出てきましたのでついでにお話します。五蘊(色・受・想・行・識)とは、人間の認識作用のことです(以前のブログでお話しました)。あなたのおっしゃるform, figure, appearance, principle of form(つまり外観・見かけ)は(これらの感覚器官がとらえた姿。たとえば、眼が捉えて網膜に写った姿)です。仏教関係の辞書を引くとき大切なことは、「辞書の編者が仏教をちゃんと理解できているかどうか」です(辞書というものはすべてそうでしょう)。けっして絶対ではありません。筆者は、そういうものもいったんすべてゼロにして仏教を考え直しています。

註2 筆者は、以前のブログで「色には、眼・耳・鼻・舌・皮膚・意の人間の感覚器官(六根)と、その対象(六境、たとえば眼で見る山)も含む」とお話しました。筆者が悪いのではありません。五蘊で言う色と、色即是空で言う色はちがうのです。従来の仏教学ではそこがあいまいなので、そう表現するしかなかったのです。

東洋的な考え方(5‐1,2)

東洋的な考え方(5ー1)

 いま西欧の人達から東洋的なモノゴトの考え方に大きな関心が寄せられています。ヨーロッパでも激しい競争社会は勝ち組と負け組をはっきりと分け、貧富の格差はますます広がっています。そしてテロによる無差別大量殺人の要因の一つにもなっているのです。競争原理は戦後日本人の考えにも大きな影響を与え、偏差値が良い学校、大会社への将来を決めるなど、あたかも人間の価値を決める尺度にさえなっています。それが子供たちの無気力や引きこもり、さらには校内暴力を引き起こしているのです。「殺したかったから殺した」という、あの異様な犯罪を起こした元女子学生も、おそらくあまりに強かった親の期待に自分を完全に喪失してしまったのでしょう。

 それら西欧人の考えの元になっているのが、「人間と自然とを対極的なものとしてとらえる」という思考法にあるのです。ヨーロッパでは、自然の厳しさもあって、自然とはコントロールするもの、克服するものとの考えが強くありました。それが現代の自然破壊を生んできたのはご承知の通りです。サハラ砂漠のような荒廃そのもののような土地も、2000年前は緑野と森林地帯だったのです。西洋における哲学や自然科学の発達も、「人間と自然とを対極的なものとしてとらえ、対象を分析する」という、唯物思考に基づいています。

 日本は温暖多雨で森林の再生能力も高い国です。そのため、日本人は常に緑の山々や木々に取り巻かれてきました。自然を克服するという発想など昔からなかったのです。神とは山や木などの自然神であることからもよくわかりますね。その日本人が、自然は人間と対立するものでないという東洋思想をごく自然に受け入れたのは当然かもしれません。日本人は、なんとしても、少しでも早く、東洋思想という宝物を持っていることに目覚め、それらを活用して子供も大人も生きいきと学び働ける社会に変えて行かなければなりません。学校の成績などが人間の評価の基準ではなく、一人ひとりが自己を大切にし、個性をいっぱいに伸ばせる社会にするには東洋思想こそが重要なのです(註1)。

 筆者は自然科学の研究者として生きてきましたが、もちろん研究法は西欧の唯物思考に則っています。以下にこの西洋的思考と、筆者が個人的に学び、経験して来た東洋的思考との根本的相違についてお話していきますが、唯物論で生きて来た人間として、かえって禅などの東洋的考え方をお話する資格があるように思えます。

註1 槇原敬之さんの「世界に一つだけの花」は、とてもいい歌だと思います。
 ・・・ぼくら人間はどうしてこうも比べたがる?一人一人ちがうのに、その中で一番になりたがる?そうさぼくらは世界に一つだけの花。一人ひとりちがう種を持つ。その花を咲かせることに一生懸命になればいい・・・

東洋的な考え方(5-2)

 では東洋的な思考とはどんなものでしょうか。東洋では人間と自然を決して対極的なものとは捉えません。常に人間は自然の一部として考えています。たとえば人口の庭の「借景」として後ろの山や木々を借りることはよく行われてきました。このシリーズでお話している禅思想はこの考えの究極的なエッセンスです。すなわち、いつもお話しているように「空」とは一瞬の体験です。そこにあっては観る私もその部分、観られる対象もその部分なのです。「体験の主観的部分と客観的側面」と言ってもいいかもしれません。「モノがあって私が見る」という、西洋の伝統的な見かたとははっきりと違いますね。

 自由という言葉について考えてみましょう。西洋で言う自由とは、「他からの束縛を離れる」という意味ですね。「親や学校の監督から離れる、夫の束縛から解放される」というように、常に「私と相手」という対立的構図から発想されています。ところが東洋思想でいう自由とは、自(みづか)らに由(よ)ることを意味します。つまり、自分の足で立つこと、自立することです。この自由の境地から、自己を確立し、自分の本当の価値を知ることになるのです。

 つぎに自然はどうでしょう。欧米的な考えでは、人間と対置される周りの環境ですね。しかし東洋では自然は「じねん」と呼ばれていました。「じねん」とは「おのずから(自ら)しか(然)る」という意味です。もともと中国の荘子(BC369?-286?)の思想です。

「天地は我れと共に生じて、万物は我れと一たり」(「荘子・斉物論篇」)
「道を以て之を観れば、物に貴賤なし」(「荘子・秋水篇」)

つまり、本来的にそうであること、本来的にそうであるもの。あるがままのありかた。まさに人間と自然を一体化する思想、すなわち外界としての自然界や、人間と対立する自然界という概念ではなかったのです。客観的な対象物としての自然への意識はあいまいで、その意味で人と自然の一体感は強かったのです。たぶん福沢諭吉のような先人たちが、幕末から明治にかけて、西欧文化を理解するために、Natureという英語に自然という漢字を当てて、「しぜん」と読むように翻訳してしまったのです。福沢諭吉が偉大な先覚者であることは言うまでもありませんが、
日本の伝統的考えを十分に理解してたとは思えません。賀茂真淵、本居宣長、熊沢蕃山、平田篤胤、荷田春満などは日本の誇るべき思想家です福沢諭吉は日本の思想には疎かったようです。