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旧統一教会問題(その2)

宗教リテラシー(1)

 NHKテレビ「心の時代」で「問われる宗教と”カルト”」と題する討論会を視聴しました。例の旧統一協会問題が発端で、これまでシリーズとして放映してきたものです。筆者はそのすべてを見ました。これまでの番組で、読者からのコメントの中でいちばん多かったのが「(この番組を通じて)宗教リテラシーをはっきりしてほしい」というものだったとか。今回はそのためのものです。宗教リテラシーとは「宗教とはいかにあるべきか」という意味でしょう。

 いずれも宗教学者の島薗進さん、櫻井義秀さん、小原克博さんなどが中心メンバーで、今回は批評家・随筆家の若松英輔さん、清心女子大の井上まどかさん、神話学が専門で国学院大学教授の平藤喜久子さん等を加えた人たちによるものでした。どなたもとても紳士的で、知的な討論でした。

 島薗進さんは、東京大学理科三類へ入学するも医学部への道を進まず、文学部宗教学科へ移った人。東京大学名誉教授。宗教学者。元グリーフケア研究所所長。旧統一教会やエホバの証人などに対し批判的です。

 櫻井義秀さんは、北海道大学教授で宗教社会学が専門。35年にわたって日本脱カルト運動を進め、現在協会理事。
 小原 克博さんは、日本の牧師で宗教学者、同志社大学神学部教授。2024年より同志社大学学長。専門は、比較宗教倫理学、キリスト教思想。

 若松さんは、最近、いろいろな宗教番組に出演されています。この番組で「私は1年前にもと居た大学を辞めました。大学当局からの強い圧力を感じたからです」とおっしゃっていたのには驚きました(元東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授でした)。

 まず、宗教リテラシーとは、前述のように「宗教とは何か。宗教はいかにあるべきか」という意味です。「人はなぜ簡単にカルト教団へ入ってしまうのか」と、最初に櫻井義秀さんがおっしゃっていたのが印象的でした。宗教リテラシーがはっきりしていればそういう悲劇は起こらなかったはずだという意味でしょう。あとで述べますがこれが筆者の今回のコメントの中心テーマです。

 番組では、「宗教とはなにか」を子供の時から自然に身に着けさせるとかが大切だと話が進められました。井上まどかさん(清心女子大学準教授・近現代のロシア宗教史が専門)が言うには、ロシアは多民族国家のゆえにさまざまな宗派があり、小学4年生の選択必須科目として、ロシア正教・イスラム教・仏教、ユダヤ教などの伝統仏教・世界宗教文化の基礎(略)・世俗倫理のいずれかを取ることになっているとか。ちなみに世俗倫理とは、(親が)上記の宗派に属さない子供たちのためのもので、〈道徳〉といったものでしょう。小原さんのドイツでの「宗教や道徳の問題について子供たちに討論させる」という発言が新鮮でした。つまり、「上から一方的に押し付けるのではない」という国家や親の意図ですね。島薗さんは、日本の多くの幼稚園はキリスト教系や仏教系のものが多く、幼時から自然に信仰の形が身に付いていることが紹介されました。小原さんは小中高校での宗教教育の難しさの理由として「日本では、憲法で『宗教教育を行ってはいけない』という規定がある(註1)が、その範囲内で考えていくと言っていました。その代わり〈道徳〉がありますが、カルト宗教の問題まではカバーできないでしょう(筆者)。註1にも書きましたように、戦前の国家神道教育の弊害が大きかったために少しナーバスになっていたのではないかと思います。

註1 わが国の憲法第20条第3項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあります。戦前からの国家神道教育の弊害があったためです。

 私はこの番組を「なるほど、なるほど」と視聴していましたが、途中で「アッちがう」と気が付きました。

ロシアは敗れ、国は崩壊する(2)

 NHKテレビ「ロシア衝突の源流」で、オクスフォード大学のアンドレ―・ゾーリン教授は、

・・・・世界を平和に保つために重要なことは、指導者たちが現代の問題に対する答えを歴史に求めないことです。歴史的に自分たちの土地かどうかを考えてみても不満しか生まれません。あなたの国が他の国に迫害されたかどうかを考えても憎しみしか生まみません。歴史が国際政治の議論の中心になってはいけないのです。国の指導者が歴史を政治に利用し始めた時、戦争の前触れになるのです。専門家の仕事は戦争の道具にしないことです。歴史は学問として冷静にとらえ、憎しみや恐怖を生まないようにしなければならないのです・・・・

と言っています。まことに傾聴に値すべき言葉ですね。最近、わが国でいろいろな問題が起こるとすぐに「専門家」のコメントが出ますが、彼らの言うことと次元が違います。

 一方、ケンブリッジ大学のリチャード・ネッド・レボー教授は戦争学の教授です。両親がナチスによって殺され、孤児になったのを、幸いにもアメリカ人夫婦の養子になったという歴史がある人です。「戦争はなぜ起こるのか。もう二度と起こさないためにはどうしたらいいのか」それが戦争学を50年以上にわたって研究してきた強い動機になったと言うのです。

 レボー教授は言います。

・・・・・20世紀になって大国が負けるようになったのです(註1)。戦争は相手に犠牲を強いるだけでなく、自分たちもそれに耐えなければなりません。そのとき国民の心の支えになるのがナショナリズムです。ウクライナ人は今、こうしている間にもロシアとよく戦っています。戦って死ぬ覚悟があるからです。ロシア兵にはそんなものはありません。戦争はもう二度と起こしてなならないのです。近代兵器の発達により犠牲があまりにも大きくなってしまったからです。しかし、周囲の反対を押し切って戦争を進めても、世界から孤立するばかりです。プーチンは、自らをピョートル大帝や、エカテリーナ女王、そしてスターリンのようにロシア帝国を築き上げる使命を持っていると思っています。しかし現実はその逆で、プーチンは今ロシア国家を破壊しているさ中なのです・・・・・。

 私はこのレボー教授の言葉を何度も繰り返して視聴しています。戦争学の専門家ですからさすがに説得力があります。そしてウクライナの人々に「もう少し頑張ってください。夜明けは近いのです」と言いたいのです。

註1アメリカがベトナムに負け、ソ連はアフガニスタン侵攻から撤退しました。

ロシアは敗れ、国は崩壊する(1)

 ロシアのウクライナ侵攻は、「100年前ならいざ知らず」と驚く一方、事態がなかなか好転しないのをもどかしく思う毎日ですね。ごく最近の、NATOが7兆円の支援を発表したことと、アメリカやフィンランドが最新鋭の戦闘機F16の供与を始めたとの報道に救われる思いがします。筆者もこの問題に重大な関心を持ち、さまざまな報道を真剣に学んでいます。以下は、ウクライナ侵攻が始まった直後(2022/4/8)のNHKテレビ「ロシア衝突の源流」をまとめたものです。禅塾の読者の皆さんにもぜひ知っていただきたいと、アップさせていただきました。

 番組ではまず、「ロシアが如何にして大国主義になり、周辺の国々を征服して来たか」について説明されました。おもにイギリスオクスフォード大学教授アンドレー・ゾーリン教授(専門はロシア史)の解説でした。

 それによりますと、ロシアは歴史的に外敵の侵入に悩まされてきたと言います。1223年以来のモンゴル帝国による征服は、じつに250年に及ぶもので、モンゴルへの絶対服従と経済的搾取が行われたのです。さらに1822年のナポレオン軍の侵入や1941年のドイツ軍の侵攻がありました。加えてロシアとオスマントルコとの間にも17世紀から19世紀にかけてたびたび戦争が行われています。原因の一つに、ロシアと外国の間には険しい山脈という防御線がないという地政学的なものがあったのです。ナポレオン軍の侵入によるロシア人民の死者は21万人、第二次大戦でのロシア人死者はじつに2100~2800万人という膨大なものでした。今次大戦で完敗した日本人の死者が310万人であることを思えば想像を絶する数値ですね。

 ナポレオン軍やドイツ軍にかろうじて勝ったのは、「国の広さ」だったのです。フランスやドイツから食料や武器を輸送するには長大な距離を経なければなりません。このためロシアはピョートル大帝やエカテリーナ女王以来軍備を拡充し、周辺国を征服して「国を広げ」るのに全精力を注いできたのも頷ずけます。現在も激戦が続いているマリウポリやドンバスは、「不凍港があり、地中海へも通じる黒海へ進出したい」というエカテリーナ女王の意志により征服された土地なのです。

 ウクライナ侵攻に当たってプーチン大統領は、「ウクライナは民族的、文化的にロシアの一部だ」と主張しました。これが詭弁であることは、ウクライナはまぎれもなく独立国家であることからわかります。1991年のソ連邦崩壊後、国民投票を行い、90%以上という圧倒的多数によって賛成され、8月24日に独立宣言をしています(在日ウクライナ大使館HPより)。

 NATO(北大西洋条約機構)が成立した時、ロシアはそれに対抗してワルシャワ条約機構を結成しました。プーチン大統領は「ウクライナがNATO に加盟すればロシアの安全が脅かされる」と、たびたび口にしますが、ワルシャワ条約機構からその後、ルーマニア、チェコ、ブルガリア、ポーランド、ハンガリー、アルバニアが次々と脱退し、NATOに鞍替えした事実を考えれば、どちらに「正義」があるかは明かでしょう。プーチンの「恐れ」には手が付けられないのです。(次回に続く)

神(心)霊現象と私(4)

 柴田さんがおっしゃるように、私は心霊とコンタクトして嬉しいことなど一つもありませんでした。ただただ不快な体験でした。しかし、「この独特の不快感はなんだろう。よく頭に刻んでおこう」と考えました。今でもそれを再現できます。あとで考えれば、私にとって全く新しい世界でしたから、受け止めようと思いました。研究者とはそういうものです。

 私がその神道系団体に属していると知って、親しい後輩が「恩師と一緒に話をしよう」と言ってくれました。心配してくださるのは当然でしょう。当時はオーム真理教事件の記憶がまだ消えない時代でしたから。私は忠告をありがたく拝聴しましたが、気持ちを変えることはありませんでした。ただ、恩師は視野の広い人でしたから「そういう世界もあろう」と、何もおっしゃいませんでした。

 前にもお話したように、その教団では霊能開発修行をしていました。私も10年にわたってそれに参加しました。別に霊能を開発したかったからではありません。その教団へ入ったら、そこでは霊能開発をしていたからです。

 霊能開発は進みました。素質も少しはあったようです。しかしその結果、毎日、四六時中、霊障(!)に悩まされました。除霊の方法も学んでいましたが、追いつきません。大学での勤務中にひどい霊障を受け、教団へ駆けつけたことも。たんなる霊魂でなく、もっと上位の〈〉とコンタクトした結果だとか。

 私は教祖に相談しました。教祖が霊視すると、「あなたはあと一歩で霊能者になる」と。私は教祖に止めていただきました。私の本務は研究と教育です。霊能者の仕事は片手間にすることではありません。それなりの厳しさがあり、責任もあるのです。教祖には私の気持ちを十分わかっていただき、霊能者への扉を閉めてくださいました。

 世の中には霊とコンタクトすることを喜ぶ人がいるようです。その極端な例が新々宗教の教祖になることでしょう。しかし、多くの場合、それは大きな心得違いです。よくそういう教祖は「神が私のところへ御降臨になった」と言います。しかし、じつはその大部分は神を僭称する低級霊なのです。信者は「奇跡を起こしていただいた」とか、「問題が解決した」と言います。しかし、そんな霊験など、少しでも〈ましな〉低級霊にとっては簡単なことなのです。「もっとも深い罪とは、低級霊と一緒になって世を惑わすことだ」と聞いたことがあります。これまでにも多くの霊能者が死後深い闇の中で苦しんでいるはずです。

 もちろん正しい神霊とコンタクトできる人もいます。ちなみにそれを見極める一つの基準は、「神を金儲けの手段にするかどうか」でしょう。本来、霊能力は無料で人のために発揮するものなのです。もちろんその霊能者たちが専従になれば、最低限の生活費は保障されるべきです。しかし、いま多くの場所で目にする新々宗教の神殿の壮麗さには啞然とするばかりです。いえ、伝統仏教でさえ、壮大な仏殿と金ぴかの法衣にも驚かされます。キリスト教でもイスラム教でも同じです。無一物で粗末な着物を着て教えを説いた釈迦を思い出してください。いや、釈迦は特別な人だと思わないでください。良寛さんも百カ所もかがった衣を着て、飯を乞うて(乞食と言っています)一生を送った人です。

 柴田さんいかがでしょうか。これが私の、神(心)霊に対する向き合い方です。

神(心)霊現象と私(3)

 すぐれた思想家である小林秀雄さんは心霊現象について「あたりまえなこと」と言っています(「人生について」文春文庫など)。霊的体験もされています。その態度が小林さんの思想の幅と奥深さをもたらしたのだと思います。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンや、民俗学者の柳田国男さんは、小林さんが尊敬する人たちですが、いずれも心霊現象について柔軟な受け止め方をしているのです。

 「知の巨人」立花隆さんも、神の世界や死後の世界の有無について徹底的に調べました。立花さんの「知への欲求」が、それらを学ぶ強い衝動になったのでしょう。そのため、「脳の特定の場所に弱い電流を流すことにより、神秘体験ができる」との言葉を信じ、わざわざアメリカの某医学研究所まで行きました。結局、その体験は得られませんでしたので、立花さんは「これでこの問題は卒業した」と言っています。しかし、立花さんは入口を間違えたのです。もし私と同様の入り口から入っていれば、同じ体験をしたはずです。それがなかったので、立花さんの思想の幅は広がらなかったと思います。惜しいことです。

 じつは、私が宗教団体に入っていることを親しい後輩が心配してくれました。そこで共通の恩師に働きかけて一席を設けて下さったのです。後輩の心配はもっともです。当時はオウム真理教事件で騒がしい時でしたから。ただ、そのとき恩師は「穏やかに見守る」という態度でした。恩師はきわめて寛容な人柄で、新しい思想にも柔軟な受け止め方をする人でしたから。けっきょく私は後輩の心配には応えませんでした。その結果、今に至るまで神や神(心)霊現象に強い関心を持ち続けています。それが禅と神を結びつけてくれたのです。それはとてもいいチャンスだったと思うのです。

 もちろん、柴田さんは自由です。