山川宗玄師「無門関」(3)

  4)第十五則 洞山の三頓

原文:
 雲門、因みに洞山の参ずる次で、門、問うて曰く「近離(きんり)甚(いず)れの処ぞ」。

(洞)山曰く「査渡(さと)」。

(雲)門曰く「夏、甚(いず)れの処にか在る」。

(洞)山曰く「湖南の報慈(ほうず)」。

(雲)門、曰く「幾時か彼(かしこ)を離る」。

(洞)山曰く「八月二十五」。

(雲)門、曰く「汝に三頓(とん)の棒を放(ゆる)す」。

(洞)山、明日に至って却って上って問訊(もんじん)す。「昨日、和尚三頓(とん)の棒を放(ゆる)すことを蒙る。知らず、過甚麼(とがいずれ)の処にか在る」。

(雲)門曰く「飯袋子(はんたいす)、江西湖南便(すなわ)ち恁麼(いんも)にし去るか」。

(洞)山、此(ここ)に於いて大悟す。 

現代語訳:

 洞山が独参した時、雲門は「そなたは一体何処から来たのか」と聞いた。

洞山「査渡(さと)から来ました」。

雲門はさらに、「この夏安居はどこで過ごしたのか」と聞くと、

洞山「湖南の報慈(ほうず)寺です」。

雲門「幾時そこを出てきたのか」

洞山は「八月二十五日です」

雲門は「お前のような奴には六十棒を食らわしてやりたいところだがその価値もない」と言った。洞山は何故そう言われたのかちっとも分からなかった。

 まんじりともせず夜を過し、翌日の朝を待って、雲門の部屋に行って尋ねた

「昨日、和尚さんは「『六十棒を食らわしてやりたいところだがその価値もない』と言われました。一体私のどこが間違っているのでしょうか」。

すると雲門は言った、「このごくつぶし野郎め、江西だの湖南だのと、一体お前さんは何を探してうろついておったのじゃ」。

 洞山はそのとたん大悟した。

 山川師の解釈:・・・・洞山が雲門にいろいろ聞かれてそのつど素直に答えていることを。「情けない」と人は色々評しておりますが、そう素直に答えた洞山の心境を、私は非常に愛したいと思います・・・・

 筆者の感想:山川師はぞれぞれの提唱の中で、次から次へとさまざまなエピソードを追加していますが、それらがこの公案とどうつながるのか、筆者にはわかりません。この公案も「〈本当の我〉に気付け」と言っているのです。つまり第七則 趙州洗鉢と同じなのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です