エヴェン・アレクサンダーの経験
親しい友人を次々に亡くし、死が現実のものとして感じられる筆者にとっても、死後の世界があるかどうかは重大な関心事です。・・・・平安時代には、描かれた阿弥陀如来像の指のところに小さな穴を開け、そこから延ばした糸を死に瀕した人たちが握るという儀式がよく行われました。今でもその絵が、糸の切れ端まで付けたままで残っているものがあります。
エベン・アレグザンダー(Eben Alexander III、1953~)は、元米ハーバード大学の脳神経外科医で、自身が遭遇した臨死体験を通して天国は実在することを、さまざまな場で発表しています。
アレクサンダーの体験:
・・・・闇でありながら視界が利く不思議な世界、子宮の中にいるような遠くから響く音と振動、グロテスクな生物が吠え立ててくる。そこに上から美しい光が闇を崩壊してゆき、美しい旋律が聞こえてくる。光の隙間が開いた瞬間、エベンは空を飛んでいた。「なんて美しい所なのだ」気づくと横に見知らぬ女性が「あなたはいろいろな人々に深く愛されています。決して一人ではありません。お帰り頂いた方がいいでしょう・・・・
その後、不思議な世界を回りながら、なんとも安心できる暗闇に降りて行き、生還したと言う。 (「プルーフ・オブ・ヘヴン–脳神経外科医が見た死後の世界」(Proof of Heaven: A Neurosurgeon’s Journey into the Afterlife)。
アレクサンダーのこの主張は、死後の世界が実在することをはっきりと示したものとして大きな反響を呼びました。これまでさまざまな米内外の教会、病院、医学大学院、学術シンポジウム等で講演を行っています。
筆者のコメント:アレクサンダー博士のこの体験は、いわゆる臨死体験として、今でも、さまざまな人たちにの経験が語られています。ただ、批判も少なくありません。たとえば「それらの体験は、超常現象などではなく、人間の脳の奥深くに生命維持のために生まれながらに持っている能力だ」という、反論もあります。「人類が遠い昔から、死の恐れを逃れるための本能だ」と言うのですね。ちゃんとした科学者によるものです。筆者にはよくわかりません。
いずれにしましても、「死んだら自分というものは無になる」と言うのは恐ろしい言葉です。それを晴らしてくれるのですから誰にとっても「他人事ではない」でしょう。
要望にお応え頂きありがとうございます
もしもあの世があったら1〜3を読みました。
こんなのこと言ったら根も葉もないのですが、私はやはりあの世のことはわからない。と思いました。
私ごとではありますが、最近以前やっておりました弓道をはじめました。
そこである高段者の方から禅につながる面白いお話をききました。
「わたしは正射をめざして三十年重ねてきたが未だに正射には至っていない。いつになったら至れるのかはわからないが、これからも一射一射正射をめざして重ねてゆこうと思う」
わたしはあの世のことを考えるより、命続く限り最後の一瞬までこの世を正しく認識できるよう日々を重ねてゆきたいと思いました。
柴田様
良いお考えだと思います。私の友人であり、熱心な読者でもある人も「神のことやあの世のことは分からない」と言っていました。そのとおりだと思います。
やはり「体験できたかどうか」でしょう。すぐれた思想家の小林秀雄さんは「目に見えない世界」についても柔軟な考えをお持ちでした。そしてそのことが小林さんの思想の幅の広さと奥深さの基盤になっていると思うのです。
立花隆さんは霊的世界についても深い関心を持ち、アメリカまで行って体験しようとしましたが、「結局ダメだった」と言っていました。窓口を間違えたのです。それが「知の巨人」の限界だったと思うのです。
柴田さんとのやり取りは、他の方にも参考になると思いますので、ぜひブログとして取り上げさせてください。