読者の中にはかなり禅を学んでいる方もいらっしゃいます。そこで一つの禅問答を取り上げ、皆さんの解釈をお聞きしたいと思います。
1)景徳伝燈録巻十四には、中国唐時代の龍潭崇信(?~838)と天皇道悟(748-807)の禅問答が書かれています。
龍潭崇信が天皇道悟に弟子入りして、長く近くに勤めていたが、師匠から何の教えも受けなかった。そこである日尋ねた。
龍潭「こちらに来まして和尚様から何か心要(しんよう、大切な教え)について受け賜りたいと思っていましたが、まだ何の示教を受けておりません」
道悟「お前がこちらへ来てから毎日毎日心要を指示しないときはない」
龍潭「?」
道悟「お前がお茶を持ってくれた時、わしはそれを受け取るではないか。ご飯時にはお膳を持ってきてくれるが、それも頂戴する。それからお前がお辞儀をして下がるとき、わしもまた首を下げる。心要指示のところがどこかとお前は尋ねるが、こんなふうに朝から晩まで、のべつに指示してるではないか」
龍潭「・・・・・」
道悟「見(看)るときはすなわち直下(ぢきげ:即座)に見よ。思わんと擬(す)れば即ち差(たが)う(見則直下便見 擬思即差)」(祖堂集五龍潭崇信章)
筆者のコメント:この問答で龍潭は悟りに至ったと言います。このやり取りの真意は?鈴木大拙博士はこれを「即非の論理」と言っています。