臓器移植は、言うまでもなく人の生死に関わる重要な問題です。先頃NHKスペシャルでも「家族が最期を決めるとき〜脳死移植 命めぐる日々〜」が放映されました。
本人に提供の意思がなくても家族の承諾で臓器提供できるよう「臓器移植法」が改正されて11年で662例、法改正前の8倍になったとか。たとえ脳死状態になったことがデータの上ではっきりしても、「まだ生きられるのではないか」と家族が思うのは当然でしょう。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかず、結局は臓器移植に進みます。決断の理由は、「本人が、いろいろな人の一部になって生きているという思い」、そして「提供された人たちの助けになっていること」とのこと。しかし、家族の悩みはその後も続いているようです。最大の葛藤は「提供を決めた時本人に死亡宣告をしてしまったという申し訳ない気持ち。本当にこれでよかったのかのかと自問自答するばかり、答えは見つかりません」と言っていました。痛ましいことですね。
当番組では、「臓器提供を決断した家族」と、「断った家族」の三つのケースが紹介されました。どれも胸を打たれるものでした。とくに筆者の印象に残ったのは、ある消防士のケースです。45歳で亡くなったその男性は、救急救命士として生きがいのある人生を送っていましたが、危険物取扱課へ配置換えになってしまいました。妻の米山(こめやま)順子さんの言葉:
・・・家へ帰ってもぐったりしていることが多くなった。可愛がっていた子供たちに対しても必要以上に厳しくなった。これではお互いに悪影響を与えるようになるので、一度距離を置いた方がいいんじゃないかと、男性とは別居した・・・。そして男性は自死してしまったのです。
そして順子さんは臓器移植に踏み切りました。決断の理由を順子さんは、「彼が以前、何気なく語った『(僕が脳死状態になったら)臓器提供してくれ、たとえ親戚から鬼嫁と謗られようとも』」と。救命救急士としては自然な感情かもしれませんね。しかし順子さんはその後深く悩みます。「私が殺したんだなあと言う思いは一生抱えて生きて行くんだなー。あの時家を出なければという想いはあります」と。さらに順子さんは言います「臓器提供を決断したということは、彼と重ねた時間があったからこそ、彼の思いを聞いていたからこそ。聞くことができたのはたのは何気ない日常の中でたくさんの会話を交わしていたからでしょうね。おだやかな時間でしたね。今思えば何気なくありふれていて、その時はその時間が特別なものだなんてこれっぽちも思わなかった。今思えばそんな日常がものすごく大切なものだったんだなー・・・」。順子さんは以前から看護師として働いていましたが、その後通信制大学に編入し、学びを深め、社会の変化による悲嘆の癒しにくい現状、日本の移植医療、ドナー家族の現状を知り、一般社団法人臓器移植ドナー家族「くすのきの会」を立ち上げました(註1)。
筆者は、これらの順子さんの言葉を聞いていて、だんだん不安になっていきました。このように順子さんの考えは理路整然として「よどみ」がありませんね。臓器移植ドナーの会を設立したのも、論理的思考の結果でしょう。頭のいい人のようです。しかし、筆者は「それがいかんのです。それがご主人を死に追いやったのです」と叫びたくなりました。
たしかに順子さんは「私が殺したんだなあ・・・」と言っています。そのとおりなのです。しかし、残念ながら順子さんは、まだよくわかっていません。ご主人を追い詰めたのは「(しばらく)別々に暮らそう」との論理的思考に基づく提案だったのです。
NHKは、順子さんが「くすのきの会」を立ち上げていたことには少しも触れませんでした。筆者にはその理由がわかるような気がします。NHKも何か違和感を感じたのでしょう。
つらい思いを持ち続けている順子さんを鞭打つような言葉は、筆者もつらいですが、順子さんが、人間のすべてを論理的に割り切ろうとする気持ちが強いことをはっきり認識し、深く反省しなければ「くすのきの会」もうまく行かないのでは?不条理なものが人間なのだと思います。
臓器移植は、言うまでもなく人の生死に関わる重要な問題です。先頃NHKスペシャルでも「家族が最期を決めるとき〜脳死移植 命めぐる日々〜」が放映されました。
本人に提供の意思がなくても家族の承諾で臓器提供できるよう「臓器移植法」が改正されて11年で662例、法改正前の8倍になったとか。たとえ脳死状態になったことがデータの上ではっきりしても、「まだ生きられるのではないか」と家族が思うのは当然でしょう。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかず、結局は臓器移植に進みます。決断の理由は、「本人が、いろいろな人の一部になって生きているという思い」、そして「提供された人たちの助けになっていること」とのこと。しかし、家族の悩みはその後も続いているようです。最大の葛藤は「提供を決めた時本人に死亡宣告をしてしまったという申し訳ない気持ち。本当にこれでよかったのかのかと自問自答するばかり、答えは見つかりません」と言っていました。痛ましいことですね。
当番組では、「臓器提供を決断した家族」と、「断った家族」の三つのケースが紹介されました。どれも胸を打たれるものでした。とくに筆者の印象に残ったのは、ある消防士のケースです。45歳で亡くなったその男性は、救急救命士として生きがいのある人生を送っていましたが、危険物取扱課へ配置換えになってしまいました。妻の米山(こめやま)順子さんの言葉:
・・・家へ帰ってもぐったりしていることが多くなった。可愛がっていた子供たちに対しても必要以上に厳しくなった。これではお互いに悪影響を与えるようになるので、一度距離を置いた方がいいんじゃないかと、男性とは別居した・・・。そして男性は自死してしまったのです。
そして順子さんは臓器移植に踏み切りました。決断の理由を順子さんは、「彼が以前、何気なく語った『(僕が脳死状態になったら)臓器提供してくれ、たとえ親戚から鬼嫁と謗られようとも』」と。救命救急士としては自然な感情かもしれませんね。しかし順子さんはその後深く悩みます。「私が殺したんだなあと言う思いは一生抱えて生きて行くんだなー。あの時家を出なければという想いはあります」と。さらに順子さんは言います「臓器提供を決断したということは、彼と重ねた時間があったからこそ、彼の思いを聞いていたからこそ。聞くことができたのはたのは何気ない日常の中でたくさんの会話を交わしていたからでしょうね。おだやかな時間でしたね。今思えば何気なくありふれていて、その時はその時間が特別なものだなんてこれっぽちも思わなかった。今思えばそんな日常がものすごく大切なものだったんだなー・・・」。順子さんは以前から看護師として働いていましたが、その後通信制大学に編入し、学びを深め、社会の変化による悲嘆の癒しにくい現状、日本の移植医療、ドナー家族の現状を知り、一般社団法人臓器移植ドナー家族「くすのきの会」を立ち上げました。
筆者は、これらの順子さんの言葉を聞いていて、だんだん不安になっていきました。このように順子さんの考えは理路整然として「よどみ」がありませんね。臓器移植ドナーの会を設立したのも、論理的思考の結果でしょう。頭のいい人のようです。しかし、筆者は「それがいかんのです。それがご主人を死に追いやったのです」と叫びたくなりました。
たしかに順子さんは「私が殺したんだなあ・・・」と言っています。そのとおりなのです。しかし、残念ながら順子さんは、まだよくわかっていません。ご主人を追い詰めたのは「(しばらく)別々に暮らそう」との論理的思考に基づく提案だったのです。
NHKは、順子さんが「くすのきの会」を立ち上げていたことには少しも触れませんでした。筆者にはその理由がわかるような気がします。NHKも何か違和感を感じたのでしょう。
つらい思いを持ち続けている順子さんを鞭打つような言葉は、筆者もつらいですが、順子さんが、人間のすべてを論理的に割り切ろうとする気持ちが強いことをはっきり認識し、深く反省しなければ「くすのきの会」もうまく行かないのでは?不条理なものが人間なのだと思います。