禅語(3)而今(にこん)

禅語(3)而今(にこん、今ここに)

 作家の中野孝次さん(1925-2004)の座右の銘が「而今」でした。 禅を学ぶ者にはなじみの言葉ですね。これまでほとんどの禅師や仏教研究家がその意味を、
 ・・・過去はもう過ぎたのでこだわるな。未来はまだ来ないので心配するな。今を大切に、今だけのことを考えなさい・・・
と解釈しています。しかしこの言葉の真意はまったく別なのです。
 
 このホームページで「空とは見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)という一瞬の体験だ」とくりかえしお話しています。今回のブログはそれに関連するものです。それを念頭にして「而今」の意味を考えてください。この言葉の本来の意味は、「体験(現象)が起こるのは、今ここでの一瞬であり、ものごとはその時だけ現われる」です。生きている間に次から次へと一瞬の体験(現象)が続くのです。当然ですね。まさにそうとしか言いようがありません。道元も「正法眼蔵・現成公案編」で、

 ・・・たきぎ(薪)はひ(灰)となる。さらにかへりて(返りて)薪となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさき(先)と見取すべらかず。知るべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後際断せり。灰は灰の法位に住して、後あり先あり。かの薪、灰となりぬるのち、さらに薪にならざるがごとく、人の死ぬるのち、さらに生とならず、しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆえに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。これゆえに不滅という。生も一時のくらゐ(位)なり、死も一時の位なり、例えば冬と春との如し。冬の春となるをおもはず、春の夏となるといはぬなり・・・

(筆者訳:薪が燃えて灰になるとか,薪は先、灰はのち、生きているものが死ぬ、と考えるのは普通の見方である。しかし正しい観方によれば、薪とか灰とか云う物があるのではなく、「私達がそれらを観る」という体験そのものがあるだけで、それが真の実在なのだ。だから、薪を観る体験も、灰を観る体験も、その一瞬、「今」だけだ。その時が過ぎればそれらの体験が直ちに消えるのは当然だ。だから生とは、一瞬一瞬の「今ここ」の生(なま)の体験の連続であり、死も同様の体験なのだ。つまり、死と生とは別の体験なのだ。春は春の体験、夏は夏の体験と同じことだ)

と言っています。なかなか難しい言葉ですが、要するに、
 ・・・見る(聞く・・・)という、今、ここの一瞬の体験にこそモノゴトの真実が現れるのです。過去は消えた、未来もない。あるのは今この一瞬だけなのです。「生き方」の問題などではなく、事実そのものを言っているのです。事実の正しい認識があってこそ、生き方の指針も道徳も成り立つのです・・・

これこそ而今(いま、ここ)の正しい意味なのです。

 これまで、ほとんどの禅師や仏教研究家が上記のような解釈をしていました。それがどれほど多くの人が禅を学ぶ上での障害になってきたかわからないのです。「禅はわかったか、分からないかの世界」とはこういうことなのです。

地獄を見た人は神に出会う(1,2)

地獄を見た人は神に出会う(1)

 「神の存在を信じられるかどうか」が、信仰の一つの分かれ目になっているようです。「神も仏もあるものか」と、大病のあまりのつらさに叫んだ瀬戸内寂聴さん、東日本大震災の惨禍を目撃した釜石の僧侶芝崎恵應さんは論外です。ただちに仏の道を説くのを止めるべきでしょう。そんな資格はありません。
 筆者がここでお話しているのは、もっと真摯に神仏を求めている人たちのことです。「神が実在することが実感できないから、今一つ信仰の道へは入れない」とか、「神仏が実在することを証明してくれたら信仰に入る」と言う人は少なくありません。筆者もある人から直接そう言われたことがあります。その人たちの気持ちはよくわかります。現代でさえ、いわゆる淫祠邪教はいくらもあるからです。財産をすべて剥ぎ取られ、その団体の雑役夫になっている人は数限りなくいます。もちろんこれらも今回のお話の論外です。

 しかし、死ぬほどの苦しみに出会った人は、じつは神のすぐそばに居ることに気が付かなければなりません。願ってもないチャンスなのです。瀬戸内寂聴さんや芝崎恵應さんは、この貴重なチャンスを自ら放棄してしまったのです。筆者はある人が、長い苦しみの果てに信仰の真髄を得たことを知っています。その間の心の遍歴を書いたお手紙を読んで感動しました。キリスト教を通じてでした。
 キリスト教や仏教がなぜ現代の日本人にすなおに受け入れられないのか。仏教に関しては、これまでその病根についてなんどもお話してきました。キリスト教についても、ほとんどの人はたんなる生活習慣の一部になっているに過ぎないでしょう。浄土の教えやキリスト教はすばらしいのですが、そのほんとうの良さがわかっていない人が大部分なのです。

 佐藤初女さんをご存知でしょうか。弘前市で自宅を開放し、重い病気や家庭内の不和、事業や受験の失敗など、さまざまな悩みを抱えている人たちを受け入れ、心のこもった食事を提供して来た人です。自殺を考えている時、知人から「だまされたと思って行きなさい」と諭され、訪れた人もいるそうです。後に多くの支援者の協力により、車で一時間の岩木山の麓に「森のイスキア」という施設を建て、悩める人たちの心の支えになりました。佐藤さんは敬虔なキリスト教信者で、信仰に裏付けられた活動でした。「でした」と過去形で書きましたのは、惜しくもつい先月亡くなられたからです。94歳でしたからその人生の尊さは十分果たされたでしょう。

 佐藤さんは17歳のとき結核に掛かり、じつに17年間もの闘病生活を送りました。青春のすべてが病苦との戦いだった、と言ってもいいでしょう。しかし佐藤さんは、「神も仏もあるものか」の方向へは行かず、一生掛けてキリストの教えを体現したのです。「地獄を見て神に出会った」のですね。
 ここに真の信仰者のすごさがあります。この佐藤さんの活動を聞いて、「神が存在する証拠を見せてくれたら信仰する」と言う人たちはどう感じるでしょう。佐藤さんの生きてこられた道のりは、神は見えなくても聞こえなくても実在されることの、なによりの証拠ではないでしょうか。

地獄を見た人は神に出会う(2)
 前回お話した佐藤初女(さとうはつめ)さんは、17歳のときからじつに17年間も結核を患った人です。青春の大切な時期すべてと言ってもいいでしょうね。その佐藤さんは「私は死を恐れるとか、恐れないとか、そのような気持ちはありません。現在刻まれている一瞬一瞬を真摯に受け止めることが死の準備となると考えています」とおっしゃっていました。次は「おむすびの祈り」(PHP出版)に書かれた言葉です。
 佐藤さんは40年以上、悩みを持つ人を受け入れ、食事を共にし、お話を聞いてきた人です。夜中に電話があるかもしれないからと、枕元に電話機を置いて寝たとか。突然夜半に玄関の戸をたたかれ、「こわかったけど、その人には切羽詰まった事情があるのだろう。もし神様だったら受け入れるだろう」と、扉を開けたそうです。「つらいと思ったことはありませんか」との質問に対し、しばらくためらったあと、恩師であるカナダ人神父の言葉、
 ・・・奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う、犠牲の伴わない奉仕は秦の奉仕ではない・・・
が心に深く残っているとおっしゃっていました。40年以上も人のために奉仕を続けることがどれほど大変なことか、察するに余りありますね。佐藤さんは、17年もの闘病の間に信仰が深化し、この奉仕活動につながったのだと思います。筆者はこのお話を聞いて、「人生にはムダはない。神さまはムダはなされない」と思いました。
 佐藤さんは病を押して、友人のためになろうと向かう電車の中で出会った不思議な体験について書いていらっしゃいます。
・・・そのとき座っていた向かいの窓のあたりに濃い白い霧のようなものが流れるのを見ました。何か書いてありますので目を凝らしますと『友のために命を捨てるこ。とほど尊いものはない』とありました。しばらくして恩師から手紙をいただきましたが、その中になんと同じ言葉があるではないですか・・・
というものです。もちろん筆者はこの佐藤さんの神秘体験を信じます。

 同じく、敬虔なキリスト教信者であり、「長崎の鐘」や「この子を残して」(中央出版社)の著者永井隆博士(1908-1951) は、原爆に被曝する前から、長崎医大の放射線医学教授として、X線やラジウム照射医療従事者として勤務していました。そしてその深刻な職業病である、慢性骨髄性白血病や悪性貧血の症状が重くなり、余命3年と診断されました。永井博士は、その夜すぐに夫人にすべてを打ち明けたとか。ともに敬虔なクリスチャンであった夫人は、「生きるも死ぬるも神様のみ栄えのためにね」と答えたと言います。その夫人は原爆で二人の幼い子供を残して、わずか数片の骨になってしまいました。
 
 次は筆者の知人から聞いた話です。知人の娘さんの義父も熱心なキリスト教者だったそうです。がんに侵され、余命1ヶ月と言われた時に見舞いに行くと、淡々と読書をしていたのを見て驚いたそうです。

 ご紹介したお話はいずれも、本物のキリスト者ならではの言葉ですね。筆者が「キリスト教はすばらしい教えだ」と思っているのはこういうエピソードからです。神様が実在されることのなによりの証拠ではないでしょうか。

道元と他力思想(1,2)

道元と他力思想(1)
 
 生死の問題は人間最大の課題でしょう。釈迦の最初の教え(初転法輪)以来、仏教は自力信仰を旨としました。道元禅は、その究極の姿でしょう。「正法眼蔵随聞記」には、道元の宋での師匠如浄の道場での厳しい修行のありさまが伝えられています。たとえば、夜遅く坐禅をしている時、つい居眠りしてしまった修行僧の頭を履(くつ)で激しく叩いたとあります。それと対照的なのが法然の他力思想ですね。一切の修行は要らず、「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」と言うのですから。仏教史を勉強していますと、この思想はまったく法然の独創であることがわかります。たしかに浄土思想の根本経典は、「無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経」の、いわゆる浄土三部経で、大乗経典の初期に成立したものです。しかし、はっきりと他力思想として確立したのは法然なのです。いずれくわしくお話します。
 道元禅は代表的な自力思想だとお話しました。しかし、道元は自力とか他力とかには少しもこだわっていません。「正法眼蔵・生死巻」に、

・・・ただわが身をも心をも、はなちわすれ(放ち忘れ)て、佛のいへ(家)になげいれて、佛のかた(方)よりおこなわれて、これにしたがひ(従い)もてゆくとき、ちから(力)をもいれず、こころをもつひやさず(費やさず)して、生死 をはなれ(離れ)佛となる。たれの人か、こころにとどこほる(滞る)べき・・・

とあります。弟子の一人から重要な「生死の問題」についてたずねられた時の言葉と言います。「生死のことは一切仏さまにお任せしなさい」と言うのです。まごうことなき「他力思想」ですね。

暁烏敏 「みなさん、ここで今すぐ死ねるか?」

 暁烏敏(1877-1954)は浄土真宗の僧侶で清沢満之の弟子です。浄土真宗は言うまでもなく他力本願の教えですね。「歎異抄講話」(講談社学術文庫)、「清沢満之集」(岩波文庫)など著書多数。清沢満之とともに、明治以降の浄土真宗宗教史上著名。ただ戦争協力と多彩な女性遍歴により批判も多い人です。

 以下は、筆者がNHKテレビ「こころの時代」で西川玄苔師が語っていた、暁烏敏の講演についての思い出です。

 ・・・それが雪の降る日だった。その寺は半部建てだった。屋根が半部で雪がさっと舞っている堂には大勢坐っていた。暁烏先生は、目がご不自由で、誰かにずっと引っ張って貰って、頭に白い頭巾を掛けてこうずっと出て見えた。その姿がなんとも言えん神々(こうごう)しいんですよ。私は遅れて行ったからもういっぱいで坐れんので、欄干の上に掴まって立って見ておった。あれは尊いお方だな、とその姿を見て思った。ずっと台の所に見えて、それで台の所に座られて、マイクがあって、それで聴衆を見てね、パンパンパンと台を叩いて、「みなさん、ここで今死ねるか!」「ここで今死ねるかね!」と開口一番こう言われた。ドキッとした・・・・。

法然、親鸞の教えを心の底から信じていた人の言葉です。「みなさん今すぐ死ねるかね」とは強烈な言葉ですね。筆者は数年後に、「ハッと」その意味がわかりました。他力本願思想の神髄の言葉だったです。

道元と他力思想(2)浄土思想の原点に戻るべきだ

  釈迦の教えの最初から仏教は厳しい自力が根底にあります。釈迦が最初に説いた教えが、 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の八正道の修行を果たすことにより涅槃(絶対安心立命の世界)に至る道です。また、よく知られた六波羅蜜とは、布施、持戒、精進、忍辱、智慧の六つの修行によって彼岸(悟り)に至るというものです。これに対し法然の浄土思想は「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」という他力本願思想であり、仏教思想の中ではきわめて特異なものです。

 禅では、仏教諸派の中でも特に厳しい修行が中心になっていることはよく知られています。道元の弟子で永平寺2世の孤雲懐奘によって書かれた「正法眼蔵随聞記」には、道元の宋での師如浄による厳しい指導の様子が伝えられています。すなわち、夜遅くまでの坐禅・瞑想で、つい居眠りをしてしまう修行僧の頭を沓(くつ)で力まかせに殴ったというのです。晩年如浄が、弟子たちに「今までは済まなかった。これも諸君のためであるとわかって欲しい」と言った時、弟子たちは皆泣いて感謝したということです。もちろん弟子の道元が開いた永平寺での修行も厳しかったでしょう。

 しかし、道元はけっして修行に凝り固まった人ではありません。以前お話したように、他力思想もけっして否定していないからです。すなわち、「正法眼蔵・生死巻」には、 
 ・・・ただわが身をも心をも、はなち(放ち)わすれて、佛のいへ(家)になげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひ(従い)もてゆくとき、ちから(力)をもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほる(滞る)べき・・・

 曹洞宗東海管区教化センターのホームページでは、この道元の言葉を、
・・・生死は仏の御生命であり、真理であります。これを厭い捨てようとすれば、仏の御命を失うことになります。生死の問題に執着すれば、仏の御命を失うことになります。生死を厭うことも慕うこともなくなればそれは仏の心、つまり真理の世界にいるのであります。身心を投げ出して生死に執着せず・・・仏におまかせし、仏さまに導びかれてゆくならば、己は力をも入れず、心をも働かさなくて、それでいて生死を離れることができ、仏となるのであります・・・
と解釈し、道元の死生観だとしています。

 しかし、これはまぎれもなく他力思想ですね。道元が浄土思想をもわがものとしていたことの重要さに気が付かなければいけないのです。さらに法華思想も尊重していたことは、「正法眼蔵」に「法華転法華巻」があることからもわかります。つまり、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と他宗を激しく排撃した、日蓮とはおよそ次元の違う境地に居たのでしょう。その上で「只管打座」の教えを説いた人なのですね。それにしても、
 ・・・ただわが身をも心をも、はなち(放ち)わすれて・・・
なんとすばらしい言葉でしょう。筆者も心から安心します。

 筆者が、禅塾を開いている傍ら、浄土思想や唯識思想、あとからお話する法華思想、さらには、キリスト教やスピリチュアリズムなど、幅広く宗教を学んでいることは、ブログからおわかりいただけると思います。宗教を幅広く、そして深く学ばなければ、禅そのものも理解できないと思うからです。

唯識と禅(1- 3)

唯識と禅(1)

 これまでに、モノゴトには二つの見かたがある。一つは「モノがあって私が見る」という唯物論的見かた、もう一つが、「私がモノを観るという体験が重要だ」という観かたです。「空」の観かたです。「モノがあって私が見る」のは、私たちにはごく当然の見かたですね。しかし、じつはそういう見かた、つまり唯物的な見かたが「あたりまえ」になったのは、まだ高々200年くらいのことなのです。すなわち、17世紀後半から起こったヨーロッパの産業革命、それに刺激されて提唱されたマルクス(1818-1883)やエンゲルス(1820-1895)の思想以来なのです。つまり、私たちはこれらの思想に染まっているだけなのです。
 
マルクスやエンゲルスの時代より100前、同じドイツのカント(1724-1804)以来、ドイツには観念論哲学と呼ばれる思想の系譜があります。それを一言で言いますと「モノなどない。私がモノを観るという体験だけがある」と言うのです。次の二つの例で説明します。たとえば、

 1)ここにリンゴが一つあります。今、AさんBさんCさんがそのリンゴを見ているとします。当然、三者三様に見えているはずです。Aさんの見ている「赤い色」はBさんの見ている「赤い色」と同じでしょうか。Bさんが嗅いだそのリンゴの香りは、Cさんが嗅いだ香りと同じでしょうか・・・。つまり、このリンゴは唯一絶対の存在と言えないのです。それは機械的に観察した場合でも同じです。機械によって観測値が少しづつ違うのです。
 2)ここにリンゴが二つあります。二つとも同じ木に「なった」モノです。色も、味も香りも(少しずつ違うかもしれませんが、ここではシムレーションと考えてください)、そしてなによりも遺伝子がまったく同じです。それらを私たちは「同じリンゴ」としか言いようがありませんね。本当はリンゴA、リンゴB、リンゴCと呼んで区別すべきなのに。
ここに唯物的モノの見かたの限界があるのです。一方、「モノを私が見るという体験こそが実在」とすれば、AさんBさんCさんそれぞれの体験ですから、リンゴA、リンゴB、リンゴCと呼んで区別する必要はありません。これが、「体験こそが真の実在だ」という思想です。

 この考えは、この考えはわが国の西田幾太郎にも受け継がれ、発展しました。西田は「純粋経験」とか「直接経験」と呼んでいます。今、西田はドイツ観念論哲学の系譜を継ぐもの、とお話しました。しかし、西田は「旧制高校生の頃、そういう考えを持った」と言っています。つまり、ドイツ観念論哲学とは独立した思想なのです。西田の非凡さが窺われますね。

 もうおわかりでしょう。これらの思想は、禅の「空」思想と同じですね。思想というものは洋の東西に関わらず発生するものなのでしょう。ただし、禅にはこれらの思想と決定的な相違があります。「モノもある」とみなすからです。「色」ですね。
 唯識思想は仏教の一宗派で、大乗仏教の初期からありましたが、紀元後5世紀頃、無着、世親の兄弟によって確立されました。くわしくは後ほどお話しますが、一言で言いますと、「モノなど無い。この世のすべては人間の認識作用の結果だ。ついには、その心さえ無くなる」というものです。つまり、唯識思想も観念論哲学や西田の哲学の系譜ですね。

唯識と禅(2)

「モノを観るという体験も、もう一つのモノゴトの観かたである」と言われても、「私があってモノを見る」というこれまでの見かたから、簡単には切り替えることはできませんね。ではこう考えてはいかがでしょう。それは唯識思想です。

 唯識(ゆいしき)思想とは文字通り、「ただ心だけがある」という考え方です。すなわち、あらゆるモノの存在は、一人ひとりの人間の唯(ただ)八種類のによって成り立っているという大乗仏教の考え方の一つです。八種類のとは五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、そして第六の「(識)」と、深層の末那識(まなしき)、さらに阿頼耶識(あらやしき)を指します。末那識とは、「自分であることの認識」です。あらゆるモノが個人のでしかないのならば、モノというものは主観的な存在であり、客観的に存在するのではないと言うのです。

 唯識思想の前提は「一人一世界」、つまり「この世は自分だけの世界であり、その外に出ることは決してできない」です。たとえば、いま鳥の声が聞こえたとします。その時、鳥というものが自分の外にいて、鳴いた声が耳に届いて私が認識したのではないと言うのです。それは単なるであり、人間の深層の心(阿頼耶識)の中にしまわれていた種子(しゅうじ、メモリー)がその縁をきっかけにして芽吹き、表層にある耳識(耳による認識)を刺激して「聞こえた」と言うのです。つまり、「阿頼耶識の中の鳥を生じる種子と、耳という感覚器官を刺激する種子と、聞くという聴覚を生じる種子とが一斉に芽を吹いた」とするのです。つまり、この唯識説では「自分の外に鳥という実体はない」と言っているのです。それゆえ、当然認識は個人のものであり、他人の認識とは違います。

 耳識のほかに、視覚は眼識、匂いを嗅ぐのは鼻識、味わうのは舌識、感触を身識と言い、合わせて五識とします。いわゆる五感ですね。これら五識は、単なる感覚だと言うのです。それらの感覚を識別し、判断するのが意(識)であり、私たちがふだんやっている認識作用ですね。唯識思想では、これらの他に深層に「自分の認識である」と判断する末那識、そしてその奥に阿頼耶識があると言いいます。この末那識は「自分が他人ではなく、犬でも花でもない」という意識です。
 阿頼耶識に蓄えられている種子は前世や、現世でこれまでに蓄えられたとしています。それゆえ、別名「蔵識」と言い、それら種子によって、現在や未来の事象が生じると言います。つまり、ここでは釈迦が否定した輪廻転生説が使われているのです(註1)。

 さらに阿頼耶識は、表層の識と情報をやり取りすると言います。すなわち、まず、具体的に現れた表層的な心を現行(げんぎょう)と呼び、「種子が現行を生じる」(種子生現行)とします。逆に現行は阿頼耶識の種子を変質させると言いいます。つまり、他人を愛したり憎んだりする表層の心の有りようが、深層の心である阿頼耶識に影響を与えると言います。これを現行は種子を熏(くん)じる(現行熏種子)と言います。

註1 釈迦は輪廻転生について「無記」と言ったとされています。「そんなことは考えるな」と言う意味です。その理由は、釈迦の思想は、あくまでも現世の苦しみを解決するためのものですから、「よくわからないこと(形而上的なこと)」を前提にして議論することは、実りのない議論になりかねないからです。ただ、輪廻転生の思想は、宗教を考えるとき、非常に重要な概念です。なぜなら、輪廻転生は「魂」の問題、「神」の問題を考える時のキーワードになるからです。以上、唯識説は釈迦の教説とは明らかに違うのです。唯識思想についての筆者のコメントは次回示します。

唯識と禅(3)筆者のコメント

 たしかに唯識思想の「一人一世界」の概念は大切です。私たちは「だれでも同じものは同じように見ている」と思っていますが、それは単に習慣的にそう考えているだけで、錯覚に過ぎません。つまり、「他人」が見ているリンゴの姿は、「私」が見ているリンゴの姿と同じではありえませんね。本来、他人は他人、自分は自分であるはずなのに、つい同じとみなすところが、他人との比較や競争、そしてそれによる苦しみの根となるはずです。「一人一世界」の唯識思想はそこに気付かせてくれるのでしょう。とても重要な指摘ですね。
 しかし、唯識思想には大きな問題点があります。
 
 問題点その1)
 前回、
 ・・・唯識思想では、いま鳥の声が聞こえたが、その時、鳥というものが自分の外にいて、鳴いた声が耳に届いて私が認識したのではない。それは単なる縁であり、人間の阿頼耶識(あらやしき)、つまり深層の心の中にしまわれていた種子(しゅうじ、メモリー)がその縁をきっかけにして芽吹き、表層にある耳識(耳による認識)を刺激して「聞こえた」と言う・・・

とお話しました。しかしこの論法は、仏教の基本的概念の一つである縁起の法則に引きずられたものに過ぎない、と筆者は考えています。縁起の法則とは、「ある出来事には必ず原因がある」という考えです。つまり、唯識思想は縁起の法則を便宜的に使って「鳥の声音はによって生じたものであり、声それ自体はない」としたかったのでしょう。それではこの場合の「縁とはなにか」がわかりません。
 さらに、唯識思想は仏教の空の思想も援用して「モノという実体はない」と言っているのだと思います。さらに、唯識思想は仏教の無常の概念も使って、「モノは常に変化するから実体はない」としたのでしょう。

 つまり、唯識思想は空や縁起や無常や空の思想の発展形ではなく、変質したものなのです。要するに、唯識思想には原理的な無理があると思います。これがこの思想がその後わが国では発展しなかった理由でしょう。

 問題点その2)
 この思想は、阿頼耶識にはすべてのモノゴトについての種子(しゅうじ)が蔵されているとの前提に立っています。ではそれらの種子はどこから来たのでしょうか。「それは前世、およびその人のこれまでの人生で経験したモノ」と言います。
ここでさらに二つの問題が生じます。

 2)-1 それなら、今まで経験したことのないモノが目の前に現れたらどうでしょう。阿頼耶識にはその種子はありませんね。とすれば当然、見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、味わうこともできないはずですね。そもそも、「(前世および)これまでの人生で経験した」と言っても、それらの最初の経験以前にはそれらの種子はなかったはずです。たとえば近代文明に接したことのない人がテレビやラジオを見たり聞いたりしても認識できないことになります。
 2)-2「前世(およびこれまでの人生)で経験した」と言うなら、輪廻転生を前提にしていることになります。釈迦は輪廻転生を否定したのではないでしょうか。
 たしかに、
 ・・・「仏教も教えを広めるにあたって(つまり大乗仏教では:筆者)、インド古来からの輪廻の考えを取り入れた」とか、「唯識思想は、阿頼耶識(深層心理)が輪廻することで、無我だけど輪廻するという世界を解き明かした思想だ」・・・
という考えもあります。しかし、上記のように「空」の思想を下敷きにしている唯識で、「阿頼耶識(意識)が輪廻する」とはどういうことでしょう。「意識という実体がある」というのでしょうか。それとも「実体のない意識が輪廻する」と言うのでしょうか・・・。

「仏教の経典をあれこれ読むと泥沼に入る」とはこういうことなのです。

 問題点その3)
 唯識思想が発想されたのは、上に述べたように、やはり苦しみから救われるための理論的根拠としてでしょう。しかし、やはり人やモノはまちがいなく実在するのです。東日本大震災や熊本大地震で大切な人を亡くした遺族に「あの人の実体はなかったのです」とい言っても納得するはずがありませんね。それでは心の癒しにはなりません。やはり、唯識思想には無理があるように思います。禅では「人やモノは実在する」とみなします。「色(しき)」です。「色と空という二つの見かたで観たものこそ実体だ」と言うのです。ここが禅のすばらしいところなのです。

東日本大震災と僧侶の活動(2,3)

東日本大震災と僧侶の活動(2)

 以前、東日本大震災後の被災者の心のケアに挫折した誠実な僧侶についてお話しました。あの人たちは、奈良の有名寺院のエリート僧でした。今回は、被災地そのものの僧侶たちのその後についてご紹介します。

 先日の「NHK特集こころの時代」で、東日本大震災の現地の僧侶3人の、この5年間の活動を放映していました。一人(51歳)は釜石市の高台にある自分の寺から、すさまじい津波の威力を目にしていた人です。流されて助けを求める人たちに何もしてあげられなかった・・・。「遺族に『神も仏もあるものか』と言われて、そのとおりだ思いました」・・・。言いも言ったり、ですね。言霊(ことだま)と言う言葉があります。その一言で、僧侶としての根本がくずれてしまいました。あとで長女にたしなめられていましたが、それで済む話ではありません。残った寺を被災者(多い時には700人)に開放したのは当然でしょう。町は全滅したのですから。蓄えてあった米を提供したのは評価されるでしょう。しかしそれが何十俵もあったとは思えませんが。その後、地域の人の事業の再開の背中を押したり、避難住宅を訪ねて話を聞いたりしていると言っていました。

 もう一人(43歳)は、被災者たちの心のケアになすすべもない自分を知り、「プロとして、宗教家として僧侶として、和尚としていろいろな意味で眼が覚めた」と言っていました。この人も「言いも言ったり」です。その後、1000人を越す地域の死者一人ひとりの経歴や遺族の思い出をまとめた冊子を作る取り組みをしているそうです。評価されることですね。

 もう一人のケースは、福島第一原発の近く、最近ようやく避難解除準備地区に指定された地域にある寺の住職(41歳)です。家族は、事故後3日目に福井県へ避難させ、自身は車で2時間かかる仮住まいから毎日「通勤」しているとか。17もの府県に分かれて避難してしまった檀徒の法事のため、できるだけ訪れており、そのための車の月間走行距離は2000キロにも及ぶと。さらに、最近は、月に2回、「寺の掃除デー」を発案し、バラバラになった檀徒たちが集まって旧交を温める機会を作ったそうです。それはそれで有意義な取り組みでしょう。しかしそれを見ていて、崩壊しそうになっている信者組織をつなぎ留めるための取り組みのような気もしました。

 今度の大震災で津波や火災によって失われた寺も少なくないと言います。それも含めて、檀徒がこんなに広範囲に分散してしまった現在、寺の経済そのものも危機的状況にあると思われます。
葬式など法事からの収入も激減したでしょう。これらの僧侶たちが集まって「被災地仏教会」を立ち上げたそうです。そこでの話を聞いていますと、住民のケアの問題はもちろんですが、自分たちの寺の経営再建問題のようにも聞こえました。それはそれで当然でしょうが。

 それにしても、「神も仏もあるものか」との、僧侶としての資質を疑われるような言葉を吐いた人や、「プロとして、宗教家として僧侶として、今まで何をしてきたのか、気付かされました」とかっこつけて言った人など、今までの僧侶としての活動がまさに「葬式仏教」だけであったことを露呈してしまいました。いま各地で葬儀は家族葬でこぢんまりとやる家が増えています。ネット僧侶派遣事業が増えていることは、檀家制度が急速に滅んで行く一因となるでしょう。

 筆者は以前、日本の仏教は形骸化したとお話しました。こんな状態になってしまった日本仏教に、いざと言う時、人々へ仏教の心を伝えることなど到底できないでしょう。浄土の教えはすばらしいのですが。

 前回お話した「NHK特集こころの時代」で紹介された東日本大震災を経験した僧侶の話は、NHK「こころの時代 苦とともにありて。挑む僧侶- 被災地に希望を」で改めて紹介されました。前回報道された3人の僧のうち、「神も仏もあるものか」と言った僧は、第2回目には省略されていました。さすがにNHKも再録するのを憚られたのでしょう。その代わりに別の僧、Kさんの体験と考えが紹介されていました。Kさんは副住職として父親を助ける一方、近くの市で長く環境対策課の課長だったそうです。そして震災後つぎつぎに仮安置所に運び込まれて来る遺体の付き添いを買って出たとか(最終的に運び込まれたのは1000体近くになりました)。それは僧侶でもあるKさんなら当然の行動でしょう。

 Kさんは後に名取市としての慰霊祭を行うことを進言し、実行されました。「葬儀は亡くなった人のためばかりでなく、残った遺族の心を癒すための意味がある。1回ごとに一皮ずつ苦しみが取り除かれて行く」筆者はそうとは思えません、突然大切な人を失った家族のほんどが「5年過ぎようがが悲しみが消えることはない」と言っています。そのとおりでしょう。ましてや葬式や年忌という儀式にどれだけの力があるのか、きわめて疑問です。もっと驚いたのはKさんの「葬式仏教のどこが悪いのか」の発言です。Kさんは葬式仏教の意味を取り違えているのです。葬式仏教と言う言葉は僧侶にとってまことに耳の痛いものでしょう。だからといってここを先途と手前味噌の発言をしてどうするのでしょうか。人々が日本の仏教を葬式仏教と言って批判するのは、「葬式しかしない仏教」だからです。この番組では、Kさんの言葉がかなり多くの部分を占めていました。筆者のこの感想に、Kさんは「講演もしている」と反論するでしょう。その講演の一部も紹介されていました。しかし、番組や講演全体を通じて筆者の琴線に触れるKさんの言葉は一つもありませんでした。たまたま同じ番組を見ていた友人も、同様の感想でした。

 Kさんは早期退職し、お寺の隣に開設した保育園の園長として専念しているそうです。番組では「大きな被害を受けたふるさとの未来を担う命を大切にして行くため」と言っていました。しかし、筆者はそれを素直には受け取れません。寺が副業として幼稚園を経営するのはよくあることです。筆者の近所にもいくつもあります。けっしてそれを否定しません。しかし、大震災の「苦と共にあったから」ではないでしょう。彼らの生活のためです。
 要するにこの番組は、「震災から立ち上がる僧侶」という「最初から結論ありき」の番組だったと思います。前回お話した、あとの二人の僧侶(誠実そうな人だったですが)の活動も、地域住民の力になるというより、「バラバラになった檀家をいかにつなぎとめるか」だったと思われてなりません。