利休 茶の湯と禅(1,2)

利休 茶の湯と禅(1)

茶の湯が禅と深い関わりがあることはよく知られています。「利休百首」に、
茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし
という有名な句があります。その解釈を試しにネットで調べてみますと、

1)一般にこれは、「茶の湯は、湯を沸かし、茶をたて、ただ飲めばいいのです。決して敷居の高い世界ではありませんよ」と解釈され、利休が推進したとされる茶の湯の庶民性を窺わせるものである。もう一歩踏み込んで考察すると、「(確かに)茶の湯は湯を沸かし、茶をたて、飲むということですが、(客の様子やその時や場に応じて)適宜湯を加減したり、分量を調節したりする心遣い[気働き]が肝要なのです」と考えられる。つまり、この点をふまえると、「茶の湯は湯を沸かし、お茶をたて、飲むという、当たり前のようなことであっても、それを当たり前のこととして行うということは決して容易いことではありませんよ。だから、しっかりと精進しなさいよ」ともとれる・・・。
2)(ある茶道教室HP)この言葉を読むと、「ただ湯を沸かして茶を点てて飲むだけ」
ならば、お作法もお稽古もいらないのでは?そう思われるかもしれませんね。この「ただ」は奥が深い!ただなんとなく、気軽に、のどを潤すために美味しいお茶を飲むだけだったらこんなに茶道が長く続くことはなかったことでしょう。私も茶道を長年続けてこなかったと思います。
3)(別の茶道教室HP)茶の湯は難しく考えずにただお湯を沸かし、お客様に差し上げ、自らもいただく、というシンプルな行為であることを言っています。そこに込められている含蓄はみなさんにも伝わるかと思います。シンプルな行為ほど実は厳しく難しいもの。利害関係や欲といったものが何をするにもついてまわるからです・・・。
4)確かに、この歌の通りなのだろう。お湯を沸かして、お茶を点てて、いただくのみと。この当たり前のことがどれだけ行うのが難しいかということは、この道に入った人は誰でも感じることだろう。その湯はどのくらいの温度であればお茶がおいしく点てられるのか、どのくらいの茶筅さばきであれば美味しいお茶が点てられるのか、どのように飲めばおいしくいただけるのか、すべては実践、実践を通じて体得するものであろう。また、たまたまいい湯が沸かせても、いいお茶が点てられても、それは再現性はほとんどないものなのではないか。つまり、お湯もお茶も一期一会。げに深きは茶の湯かな・・・。
5)・・・一椀のお茶を差し上げるために お茶の点前があります。一見堅苦しいと思える点前ですが、その姿は実に無駄のない動き、美しい形となって完成されています。しかし、ただの手順や形というだけではありません。 呼吸を整え、タイミングを計らい、心から茶碗や道具を清め、お茶を点てる心が 型と合致して、亭主と客人との間に心と心の交流ができあがる、これを目的としているのです・・・。

などとあります。しかし筆者はすべてまちがいと思います。じつは利休の心境はさらに一段上だったと思うのです。いかがでしょうか。

利休 茶の湯と禅(2)

利休自身が禅に深い造詣を持っていたことは、大徳寺の古渓宗陳に参禅して、悟道の印可を受けていたことからも明らかです。当然、利休の茶の湯も禅の心に裏打ちされていたことでしょう。それは、前出の「利休百首」から、さらに以下の二つの高弟の聞き書きから伺われます。すなわち、
・・・「茶の湯は禅宗より出でたるによりて、僧の行ひを専らにするなり。珠光、紹鴎、みな禅宗なり」「此の中すべて茶の湯風体は禅なり」「数奇者の覚悟、全く禅をもってすべきなり」(以上「山上宗二記」熊倉朝夫校注 岩波文庫)。
(1)でお話した「茶の湯とは・・・」についての現代の茶道関係者たちの解釈(註1)は、禅の心にそぐわないと思います。それは、「南方録」(高弟南坊宗啓の利休からの聞き書き。筒井紘一 淡光社)にある、
・・・わびの本意は、清浄無垢の仏世界を表して、この露地草庵に至りては、塵芥を払却し、主客ともに直心の交なれば、規矩寸尺、式法等あながちにいふべからず。火をおこし、湯をわかし、茶を喫するまでのことなり。他事あるべからず。これすなわち仏心の露出する所なり・・・茶一道、もとより得道の所、濁りなく出離の人にあらずして話がた(難)かるべし。未熟の人の野がけふすべ茶の湯は、まねをするまでのことなり。手わざ諸具ともに定法なし。定法なきがゆへに、定法、大法あり。その子細はただただ一心得道の取りおこない、形の外のわざなるゆへ、なまじゐの茶人構えて構えて無用なり。天然と取行ふべき時を知るべし・・・(註2)。
からも推定されます。規矩寸尺、式法(きまりごと:筆者)等あながちにいふべからず。手わざ諸具ともに定法なしとはっきりと言っているのです。
筆者は最近、織部茶碗を作りました。古田織部(重然・しげなり1543‐1615)は利休七哲の一人で、織部焼の創始者です。実際に作ってみて織部の精神を垣間見ることができました。それは「自由」です。織部焼はそれまでのすべての陶芸に「決まり事」があったのを越えて自由だったと思います。筆者は作っている途中でそれに気付き、計画を変更して、表面に文字も書きました。
このことは、やはり禅の達人である良寛さんの評伝についても言えます。すなわち、以前のブログで、「北川省一さんなど多くの良寛さん研究者が、『良寛は越後へ帰ってから衆生済度を行った』と言うのは的外れである」とお話したことと似ているのです。禅ではそういう解釈を「はからい」と言って嫌います。利休も良寛さんも「その心になりきっている。ただそれだけだ」と言っているのです。それが禅の心だと思います。茶道に家元も茶室も無用です。ましてや高額な免許料や月謝など、利休の精神にとは別のものです。
註1ネットにいろいろ出ています。
註2「南方録」も江戸時代に別の禅僧が追加したため、禅に傾き過ぎているとの説もあります。しかし、筆者はなにより南坊宗啓は高弟でしたから、利休の精神も伝えられていると思います。

良寛さん法華転・法華讃(6)

 筆者の感想

 要するに法華経の主旨は1)諸法実相(自然のすべては仏の姿や声の現われであること、2)人にはすべて仏としての本性があることでしょう。たしかにとても大切なことですね。道元や良寛さんが法華経を尊重していることや、「正法眼蔵」に法華経の思想がたくさん入っていることから禅と法華経には深いつながりがあることは容易に想像されます。

 しかし筆者は法華経を知る前からこれらのことを実感していました。すなわち、
 1)筆者は生命科学の研究に従事していたあるとき、遺伝子DNAの構造をながめていて、突然「いのちは神(仏)が造られた」と直感しました。生命だけではありません。山も川も、宇宙のすべてが神によって造られたにちがいないのです。法華経で言う「諸法実相」ですね。
 2)「造られた」ということは、裏を返せばそのまま私たちは神(仏)だということです。神につながる「本当の我(霊魂)」が人間の本体であると筆者は考えるのです。このことはこのブログシリーズでなんどもお話しました。神(仏)がお造りになった人間を愛おしみになるのは当然でしょう。母親が我が子を本能的に愛するように。これが本当の他力思想なのです。法然は、浄土三部経などで得た知識からではなく、直観的にこのことを理解したのでしょう。私たちはこのことをはっきりと認識し、ただただ、神仏の恩寵に感謝すればいいのです。法華経で言う「人間の本性は仏(神)」ですね。

 神仏は殺人の罪を犯した者さえ、そして自死した者でも救って下さるのです。よく、自死した者は煉獄に落とされ、永久に救われないという話がありますが、そんなはずはありません。それでは「すべての人を救う」という神仏の御心に反するからです。それはたんなる警告、仏教で言う抑止(おくし)に過ぎません。輪廻転生、つまりくりかえされる生まれ変わりが心の成長のためだとすれば、まあ「一回休み」でしょう。

 このように、法華経はたしかに優れた経典ですが、「特別な経典」ではないと筆者は考えています。日本には法華経に依拠する新々宗教がいくつかあります。以前それらについて調べてみたことがありますが、相互の攻撃があまりに過激であることを知り、調査をあきらめました。