飯田史彦さんについての疑問(1-3)

死後の世界と生まれ変わり(5)-飯田史彦さんについての疑問(1)

  飯田史彦さん(1962‐)は福島大学経済学部経営学科教授。「生きがいの創造」「同II」「生きがいの本質」(PHP文庫)など著書多数。さらに活発な講演活動もしている人です。とくに、飯田さんの「生きがい・・・」シリーズは全部で130万部以上の大ベストセラーになったということです(「生きがいの創造」での著者紹介から)。それだけこのシリーズで紹介した「人は死んでも魂は不滅」とか、「いつかまた死者に会える」、「生まれ変わってまた家族になれる」などの言葉が、多くの人に死の不安や家族を失った悲しみを癒してくれると受け取られたからでしょう。しかし、筆者はこの飯田さんの発言に強い疑問をもっています。それをお伝えするのが今回以降のお話です。

 飯田さんのこれらの著作を読んですぐ気が付いたのは、これらのシリーズの随所に「批判に対する予防線」や「自己弁護」が目立つことです。もちろんその理由の一半は筆者にもよくわかります。飯田さんのような大学の研究者が、スピリチュアリズムについて話すのには、学内外からの大きな抵抗があるからでしょう。「いったいそんな不確かなことを大学教師が言っていいのか」とか、「それらの発言はあなたの研究とどういう関係があるのか」とか、「沢山の著書を出しているが、大学での研究や講義に差し支えないのか」などの批判です。筆者も研究者でしたからから、それらの批判があることはよくわかります。飯田さんのさまざまな「予防線」や「自己弁護」は、恐らく著書を発表する以前からたくさんの指摘があったからでしょう。

 しかし、飯田さんのさまざまな発言や活動については、それらを越えた本質的な疑問があるのです。つまり、飯田さんの言動の根拠が正しくないからです。じつはご本人もそれを感じているらしく、「生きがいの本質」では、「まちがっていたかもしれない」と反省しています。しかし、それも自己批判ではなく、たくみに論理のすり替えをしているのです。
 
 飯田さんに対する筆者の疑問は次のようなものです。

 1)飯田さんの所説の独創性
 飯田さんの初期の著作「生きがいの創造」「同2II」HP 文庫)を読んで、まず筆者が感じた重要な疑点は、「はたして飯田さん自身もブライアン・L・ワイス博士らのような「退行催眠による前世療法を実践しているかどうか」です。それがなければ、同著は科学研究報告書ではなく、独創性もない、たんなるお話になってしまいます。筆者はもちろん飯田さんが医師でないことは承知しています。しかし、専門医と共同研究をし、現場に立ち会い、結果の判断などに関与することはできたはずなのに実践していません。たしかに飯田氏さんは奥山輝美医師(註8)との共著「生きがいの催眠療法」(PHP研究所, 2000)を出版していますが、内容はすべて奥山さんの医療実績であり、よく読めば実際には飯田さんはまったく関与していないことがわかります。それは、同著の「おわりに」の部分で奥谷さんが、

 ・・・(私の実践している)「催眠治療による生きがい療法」の基礎理論は、プラトン哲学、ゲシュタルト理論とユング心理学が主体となり、脳神経外科と東洋医学の知識と経験が媒体となり、それらに飯田史彦先生の「生きがい論」がコーテイングされて「生きがい療法」という形に仕上がっている(下線筆者)・・・

と言っていることから明白です。つまり、筆者の予想通り、共同研究でもなんでもないのです。にもかかわらず飯田さんが主著者になっているのは理解に苦しみます。好意的に見ても「奥山さんの実践の成果を(おそらく奥山さんが多忙のため)代筆しているだけなのです。ここに、飯田さん自身の研究者としての良心が疑われるのです。

註8 奥山クリニックの最近のHPを見てみますと、2017年までの20年間に4000例の「光の前世療法」をしており・・・施療を受けた人は「解決したいテーマについて光と対話していただき、神託を得ていただきます」とか、「輪廻転生から離脱します」とかの、信じられないような効果がうたってあります。奥山さんは上記の書で、次のようにも言っています。
 ・・・「催眠治療」は、誰が(催眠を)誘導しても同じではない・・・誘導する先生のテクニックと経験はもちろんのこと、その哲学と理論的裏付けによって、たとえ同じ過去生を経験したとしても、得られる結果はまったく違ったものになる可能性がある・・・
まさに語るに落ちた、唖然とするような発言だと思います。

2)飯田さん自身の霊的体験
 次の筆者の疑問は、「はたして飯田さん自身のスピリチュアリズムの体験」はどの程度のものか」でした。霊的体験のない人がこのような問題を公言し、著書を書けば、たんなる「また聞き」になってしまうからです。「生きがいの創造」に、「私(飯田さん:筆者)の霊的体験は『生きがいの創造II』で示します」とありましたので、早速読んでみました。そこには、多くの読者からも「飯田さんが『生きがいの創造』で一言だけ書いている、ご自身の体験とは、具体的にどのようなものでしょうか?」という質問が多かったとありました。

 しかし、そこに書かれておりましたのは「自死やガン死をした霊との交信体験と、霊の謝罪の気持ちを遺族に伝える『魂のメッセンジャー』としての活動」と、「まぶしい光からの『これをお前の使命として与える』とのメッセージ(註9)だけでした。つまり、退行睡眠による前世療法などとは一切関係なかったのです。それだけでは「他人の〇〇で相撲を取る」こととまったく変わりません。少なくとも飯田さんの言説が「人を救うため」にあるのならば、一つの思想科学として十分な検証がなされていなければなりません。筆者のこのブログシリーズは、すべてそういう基本的態度でお話しています。

註9 こう言った「光からのメッセージ」は、まず疑ってかかるのが、スピリチュアリズムや神道に関心のある者のあるべき基本的態度です。

 3)飯田さんの「霊魂不滅」や「生まれ変わり」の根拠となる知見がどこから得られているのか
 飯田さんが自説の根拠としているのが、ほとんどブライアン・L・ワイスが実践した「退行催眠による前世療法」で示された臨床例だけであることは明らかです。しかし、すでにご紹介した、「前世を語る子供たち」の著者イアン・スチーブンスンは、退行催眠による前世の探求には重大な欠陥があることを指摘しています。それについては以下に紹介します。しかし、それを待つまでもなく次の飯田さんの文の一節から明らかなのです。すなわち、ブライアン・L・ワイスと被験者キャサリンとのやりとり(「生きがいの創造」p54)、

ワイス:あなたの名前はなんですか?
キャサリン:アロンダ・・・私は18歳です・・・(中略)・・・時代は紀元前1863年です・・・

おわかりでしょうか。なぜ彼女が「今」いるのが「紀元前」とわかるのでしょうか。紀元前とか紀元後という概念は、キリスト以降の人が規定した年号なのです。キャサリンが生きているのが「紀元前」であることが分かるはずがありません。キャサリンの答えは明らかにフィクションなのです。飯田さんはそれに気付かずに引用しているのです。次回にも述べますが、これが「退行催眠による前世療法」の危険の一つなのです。

 飯田史彦さんについての疑問(2)
 
 ここで改めて、「前世を記憶する子供たち」の著者イアン・スチーブンソンによる、「退行催眠による前世医療法」に対する警告についてお話します。まずご注意いただきたいのは、スチーブンソン自身、「退行催眠による前世の復元」を何度も実践していることです。その経験の上に立って、「退行催眠・・・」の危険性を指摘しています。すなわち、

 ・・・催眠状態にある被験者(患者:筆者)の注意は、驚くほど集中した状態になっている・・・こうした集中力をさらに高めて行く中で被術者の思考の主導権を施術者(催眠を誘導する人:筆者)に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくく・・・催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしいものを物語らずにはいられない衝動に駆られるため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶が全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれない・・・また、被術者は催眠のもう一つの特徴である演技力を利用することも多い、記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに「前世の人格」を作り上げてしまうのである・・・(以上下線筆者、「前世を記憶する子供たち」p71‐72、長いため筆者の責任において一部簡略化しています)

 催眠術に少しでも学術的な興味をお持ちの方なら、十分納得のいく論述でしょう。以上、実際に「退行催眠」を行っているスチーブンソンの経験として、十二分に尊重すべきではないでしょうか(註10)。スチーブンソンはさらに、

 ・・・薬物を使うにせよ(幻覚剤LSD:筆者)瞑想(による方法もある:筆者)や、催眠(による方法もある:筆者)を利用するにせよ、前世の記憶を意図的に探り出そうとすることにはあえて反対の立場をを取りたいと思う・・・心得違いの催眠ブームを、あるいは前世と思しき時代まで遡る大半の催眠実験の、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を・・・何とか終息させたいと考えている(p7、下線筆者)・・・

と明言しています。前述の奥山医師が実践している「前世療法」は、まさにそれです。

 もちろんスチーブンソンは、「退行催眠による前世の探求」を全否定しているわけではありません。
・・・結果については懐疑的ではあるが、全てを無意味だとして切り捨てているわけではない(p78)・・・
とし、前述の「真正異言」のケースを例として挙げています。

前世療法の根本的矛盾
 退行催眠によって神経症の問題点を突き止めるというのは、取りも直さず中間生(前世と現世の中間:筆者)で決めた「課題」を知るということです。「課題」は、現世で起こったことから「自ら知る」ことが何よりも大切なはず。それを人の助けを借りて知ってしまえば「答え」を知ることになり、スピリチュアリズの根本原則に反することになります。これこそ重大な問題点でしょう。

註10 スチーブンソンは「患者の作り話」説以外にも、「霊の憑依によるもの」について触れています。つまり、こういう、自分としての意識が極端に低下している状況では他の霊が憑依し、患者の口を借りて発言することがありうるのです。それに関する筆者の体験ついては、いずれお話します。前回、「阪神淡路大震災で死んだ少女の前世記憶は他の霊の記憶との混信でしょう」と筆者が紹介したケースはこのようなケースの一つだと思われます。

 4)飯田さんの自己批判には論理のすり替えがないか:
  飯田さんには、「生きがい・・・」シリーズを書き進めるうち、読者から多くの厳しい批判が寄せられていたようです。そして、それらの中には、看過できないような重大な指摘があることを気付いていたようです。そのため、おそらく版を進めるうちに、それらの批判に対する「予防線(反論封じ)」を、気になるほど随所に張ったのでしょう。それどころか、「生きがいの創造II」の冒頭で、

 ・・・「こんなこと絶対あり得ない」と拒否する方は、どうぞ目くじら立てないで、きらびやかなファンタジー(空想小説)として、お楽しみ下さい・・・「こんなことがあったらいいなあ」と願う方は、どうぞ、わくわくしながら、夢をかなえてくれるエンターテインメント(娯楽)として、お楽しみください・・・

とあります。驚くべき無責任さです。さらに、飯田さんの著作や講演、そして自死やガン死に霊魂たちと遺族たちとのメッセンジャーとしての実践活動の主目的は、「ただ何かの御縁で目の前にいらっしゃる、その御方を救いたいだけ」と明言している以上、それらの根拠が、ファンタジー小説やエンターテインメントであっていいはずがありません。それどころか、現実に飯田さんの「生きがい・・・」シリーズは多くの反響を呼び、人々に影響を与えているのです。これこそ、科学者としての基本的態度が問われるところです。

 飯田史彦さんについての疑問(3)

 5)科学者としての飯田氏の態度:
  飯田さんは、
  ・・・第一作の『生きがいの創造』は、死後の生命や生まれ変わりに関する各国の大学教官や医者たちの研究成果をご紹介し、私たちはどのようにして生まれてきたのか、という仕組みの観点から、人間の「生きがい」について考察しました。私自身は、決して“真理の解明”に興味があったわけではなく、人間に生きがいをもたらす価値観とはどのようなものなのか、を新たな方法で追求したつもりでした。しかし、私の書き方が未熟だったために、私があの世や魂そのものの研究を行っているかのような誤解も生んでしまいました。私は「あの世」でなく「この世」の研究者であり、あくまでも、人間に生きがいをもたらすような発想法に興味を抱いていたにすぎません(下線筆者「生きがいの本質」p32)・・・

と言っています。しかし、飯田さんの「決して“真理の解明”に興味があったわけではなく云々」は、およそ科学者として許される発言ではありません。明らかに科学者としての踏み絵を踏んでいます。

 飯田さんはさらに、
 ・・・私は、人間の生きがいについて、人間の価値観というものに焦点をあてながら研究している学者ですから、何が真理であるかということよりも、どのような価値観を選び取ることが人間に生きがいをもたらすのだろうか、という問題意識を貫いています。なぜなら、真理であるかどうかという判断不可能な問題にこだわってしまうと、かえって自分自身を、出口のない迷路へと追い込んでしまうからです(下線筆者「生きがいの本質」p345‐346、「CD付き{新版}生きがいの本質」p332‐333)・・・

と唖然とするようなことを言っています。「なぜなら、真理であるかどうかという判断不可能な問題にこだわってしまうと、かえって自分自身を、出口のない迷路へと追い込んでしまうからです」とは!こだわる?出口のない迷路へ追い込む?・・・自己弁護以上の詭弁でしょう。

 加えて飯田さんは、
 ・・・催眠療法中に受け取るイメージについて、たとえその記憶が、受診者の脳が創作した空想物語にすぎないとしても、その物語を活用することによって症状や苦悩が改善されるのであれば、「脳が与えてくれた素晴らしい贈り物」として、医学的見地から大いにありがたく役立てるべきだからです。
 少なくとも、あらゆる可能性に心を開こうとする真の医療関係者であれば、その物語を活用して前向きに生きようとする人々の努力を、それが真実であると物理的に証明できないという理由のみによって、馬鹿にしたり否定したりはできないはずです(下線筆者)・・・

と持論を展開しています。「物理的に証明できなければ、科学的に証明できない」?もしそうなら、あらゆる心理学や精神療法はまちがいということになってしまいます。心理学や精神療法はまぎれもなくサイエンスです。つまり、物理的に証明できなくても、科学的に真理に近づけるのです。イアン・スチーブンソンの研究をくわしく検討すれば納得できるでしょう。飯田さんは明らかに論理のすり替えをしているのです。

 驚くべきことに、飯田さんはその一方で、
 ・・・私の著書は、空想小説ではなく「科学的考察を基にした思想書」(「生きがいの本質」p349)です・・・

と言っています。飯田さんは以前、「空想小説としてお楽しみください」とか、「真理の解明に興味があったわけではなく・・・」
と言ったではないですか!なのにここで、「科学的考察を基にした思想書」とは!「言いも言ったり」です。「科学的根拠を持たない科学的考察を基にした思想書」と言うべきです。

 科学者としてばかりでなく、こんなに重要な問題を人々に伝えるためには、真理であるかどうかを徹底的に追求しなければならないのです。飯田さんとまったく対照的なのが、イアン・スチーブンスンのスタンスです。スチーブンソンは、「前世を記憶する子供たち」の事例を2600以上集め、確かなものと不確かなものをさまざまな基準で峻別しています。それどころか、ワイスの「退行催眠」すら実践し、両者にまつわる危険性を明示しています。そして、最後に残された事例だけについて診断しているのです。一方、飯田さんは、「こだわると迷路に迷い込む」というネガテイブな語句を使って、巧妙に自分の態度を正当化しているのです。科学者としても、良識ある人間としても許されないはずです。

 その一方で飯田さんは、「生きがいの催眠療法」において、
 ・・・私は本書に記してあるような内容を、大学の「経営学」関係の講義中や、ゼミナールで学生たちに話すことは、一切いたしておりません・・・さらに、大学での私は、専攻する「経営学」(経営戦略論および人事管理論)の研究者として、勤務時間の全てを通じて「経営学の学術的研究」に専念しており、「経営学」に関するガチガチの学術論文を、コンスタントに発表しています(「生きがいの創造II」)・・・

と言っています。しかし、「人間に生きがいをもたらす価値観とはどのようなものなのか、を新たな方法で追求したつもりでした」の発言はまさしく飯田さんの「経営学(人事管理論)」の学術目的に沿ったものでしょう。これでも「研究や講義やとはまったく別」と言うのでしょうか。「勤務時間の全てを通じて云々」は、レトリックです。研究は「勤務時間以外」にもするものなのですから。

 飯田さんもここまで来ては後戻りなどできなくなっているのでしょう。しかし、これまで多くの著書やたくさんの講演を通じて、多くの人々に誤った感動を与えているのです。さらに、すでに日本各地に、おそらくワイスや飯田さんの強い影響を受けて、退行催眠による心理療法を行う有料のセラピストも輩出しているのです。筆者は、飯田さんの実践している「魂のメッセンジャー」としての活動を否定はしません。しかし、誤った根拠に基づく「前世療法」思想をこれ以上広めてはいけません。

 筆者はけっしてブライアンL・ワイス博士の「退行催眠による前世療法」をトータルに否定しているわけではありません。しかし、前述のように、この方法には強い疑問があるのです。飯田さんはイアン・スチーブンソンによる批判を知らなかったのでしょうか。それとも知っていて目をつぶっていたのでしょうか。前者なら、科学者として信じられないような怠慢ですし(筆者は当シリーズのように、ワイスの研究、スチーブンソンの研究、そしてシルバーバーチの霊訓をセットとして考察しています)、ことさらに無視したのならなら、不実としか言いようがありません。

 「人間としてもっとも重い罪は、人に誤った神理を伝えることだ」と聞いたことがあります。

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(1-4)

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(1)

 ところで、19世紀半ばから、既存の宗教とは異なる、精神世界の新しい潮流が起こりました。一般にスピリチュアリズム(心霊主義)と呼ばれているものです。一つは霊界通信、すなわち、霊感の強い人が、霊的世界からのメッセージを受け取るものです。一方、、退行催眠による前世療法と呼ばれる、おもにアメリカの精神科医が行う精神疾患の治療から得られた霊的世界の仕組みについての知識です。そして第三は、「前世を語る子供たち」という、特殊な子供たちに関する研究です。

 それらの内容をざっとまとめてみますと、

 1)死後の世界があること。すなわち、人間は死んでも霊魂として残る。霊魂は不滅であり、生まれ変わりを繰り返し(註1)、魂の向上を図りながら、限りなく神に近づいて行くことが「生きる目的」であること。
 2)現世は人間の魂の向上の場であること。すなわち肉体の死後、魂は中間生(前世と現世の中間)に戻る。そこで、いわゆる守護霊に再会して、現生での人生をビデオのように再現してもらい、この世に生まれて来るにあたって自ら決めていた課題を十分果たしたかどうかを確かめる。それが不十分であることを自覚したら、やはり守護霊と相談して、もう一度人間の世界に生まれて来るかどうかを決定する(このとき課題についての記憶は心の深奥に隠される:註2)。
 4)再びこの世に転生して来て、課題が隠れたトラウマ(カルマ)となって人生の過程でさまざまな問題を起こす(じつはそういう問題が人生で起こるように、自ら仕組んでいた)。これらの問題に出会った時、それを魂の向上にとって正しい判断で対処することが課題の達成になる。
 5)魂はグループとして存在し、ある人生では夫婦として、別の人生では親子として生き、時には夫婦や親子の関係を替えてさまざまな問題を生じさせ、それを解決する。

 このスピリチュアリズムの潮流は大きな驚きとなって受け止められました。なにしろキリスト教でも仏教でも霊魂とか輪廻転生という思想はなかったのですから(註3)。人は死んでも魂として残り、適当な方法によれば死者にも再会できるとは、遺族にとってどれだけ慰めになるかわかりませんし、生きている人にとっても死は怖くないと大きな安心感をもたらすからでしょう。

 何度もお話していますように、筆者は霊的世界の存在を信じています。それどころか、何度も悩まされてきました。ただ、「生まれ変わり」があるかどうかはよくわかりません。神道教団に属している時、なんどか見聞きしてはいましたが。

 死後の世界があることの証明には、上記のように、次の三つのアプローチがあります。第一が、特別に霊感の強い人(霊媒ともチャネラーとも)を通じて行われる、高級霊からの霊界通信です。第二は精神科医による治療法としての前世療法です。そして第三が、前世を語る子供たちについての調査研究です。これら三つのスピリチュアリズムについて、順次お話して行きます。
 筆者は30年前、、神道系の教団に入ったころ、スピリチュアリズムにも興味を持ちました。次回からお話するシルバーバーチ、「前世療法」のブライアン・ワイス、「前世を語る子供たち」のイアン・スチブンソンなどの名前を懐かしく思い出します。

註1この問題については後ほど項を改めてお話します。

註2「なぜ課題は現世に生まれるにあたって消されてしまうのか。課題がわかっていれば、人生がずっと楽になるのに」との質問がありました。筆者は「課題がわかっていれば答えがわかっていることになり、魂の向上にはならないからです」とお答えしました。

註3キリスト教では人は死ねば霊魂は墓の下に眠り続け、人類最後の日に最後の審判が行われ、天国へ行けるか地獄へ落されるかが決められるとされています。一方仏教では、もともと釈迦は輪廻転生を否定していました。釈迦仏教が、インドの厳しい身分制度であるカースト制の対立命題として出発したからです。輪廻転生を認めればバラモンはバラモンとして、クシャトリアはクシャトリアとして転生する思想を認めることになるからです。筆者のブログで「釈迦も驚く日本の地獄極楽思想」と書きましたのはそこを言っているのです。

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(2)

 霊界からの通信は次のようなさまざまな形で行われています。代表的なものもには、「シルバーバーチの霊訓」、アラン・カルデックの「霊の書」、自動書記(自然に手が動いて文字を書く)で行われたモーゼスの「霊訓」などがあります(註4)。まず注意していただきたいのは、スピリチュアリズムにはキリスト教や、イスラム教のような唯一絶対神とは別に、その下にさまざまな階層の神々がいらっしゃるという想定です。日本神道の神々と同じかもしれません。神が人間に直接働きかけるということは絶対にありえません。ある人が「そんなことは、人間がウイルスに話しかけるようなものだ」と言いましたが、そのとおりでしょう。ここでは、中でも代表的なシルバーバーチの霊訓についてご紹介します。

 シルバーバーチの霊訓(霊界通信)
  イギリス人モーリス・バーバネル(1902‐1981)を霊媒として、高級霊団から、人類の魂の向上のために伝えられたメッセージです。この高級霊団は、仮にシルバーバーチ(シラカバ)と呼ぶ古代アメリカインデアンの姿で現れています。これらの霊界通信は、イギリスのハンネン・スワッファー・ホームサークルと名付けられた降霊会(19世紀には、イギリスで盛んでした)で行われました。これまでに「シルバーバーチの霊訓1‐10」(近藤千雄などの訳 潮文社)としてまとめられている膨大な量のメッセージです。現代でもシルバーバーチの霊訓の普及は、各地の勉強会や、スピリチュアリズム普及会・シルバーバーチ霊訓総合サイト http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/などで行われています。

いまお話したように、シルバーバーチの霊訓は大部のものですが、たとえば、

 ・・・物的身体の存在価値は、基本的には霊(自我)の道具であることです。
霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。
身体が存在できるのは、それ以前に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します(「シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来」p194)・・・

・・・死が訪れると、霊はそれまでに身につけたものすべて――あなたを他と異なる存在であらしめている個性的所有物のすべて ――をたずさえて、霊界へまいります。意識・能力・特質・習性・性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存続するのです(「同」p256)・・・

などの言葉があります。

 筆者はもう30年以上前に「シルバーバーチの霊訓集」を読み、スピリチュアリズムの概要を知りました。

註4 わが国では大本教教祖出口なお(1838‐1918)の「お筆先」が有名ですね。自動筆記ですが、出口なおは文盲でした。夜真っ暗になっても筆を走らせいたとか。「さんぜんせかい いちどにひら九(開く) うめのはな きもん(鬼門)のこんじん(金神)のよ(世)になりたぞよ」「つよいものがちのあ九ま(悪魔)ばかりの九に(国)であるぞよ」という痛烈な社会批判を含んだ終末論です。

死後の世界と生まれ変わり(3)前世療法

 前世療法とは、ブライアン・L・ワイス博士(1944-、元マイアミ大学医学部精神科教授)などによって盛んに行われた神経症の治療法です。退行催眠と呼ばれる治療を通じて、さまざまな霊界事情が患者の口を通して伝えられました。

 まず留意していただきたいのは、欧米では、死後の世界や生まれ変わりについての真面目な研究や治療が社会的に承認されていることです。日本でしたら、大変な非難を受けることでしょう(註5)。

註5 わが国には、明治大学情報コミュニケーション学部にメタ超心理学研究室(石川幹人教授)があります。勇気ある行動と思います。

 もともと、「わけがわからないほど水が怖い」とか、「あの子が生まれた時から憎い」というような異常な神経症の治療法として、患者を深い催眠状態に導き、その葛藤が生じた過去の体験(本人が忘れてしまった幼時体験)」を突き止めようとする退行催眠という手段があります。あるとき ブライアン・L・ワイス博士は「異常に水がこわい」というキャサリンという患者に退行催眠を行っていました。そのときワイス博士は「あなたの症状の原因となった時にまで戻りなさい」と、言いました。するとキャサリンはまったくワイス博士が予想しなかった答えを口にし出したのです。

 ・・・アロンダ・・・私は18歳です・・・時代は紀元前1836年です・・・大きな洪水が・・・水がとても冷たい・・・子供を助けないと・・・息ができない・・・

つまり、キャサリンは幼時体験ではなく、前世にまでさかのぼってしまったのです。そしてキャサリンは、過去生があること、前世と現世の間に中間生があること、そこで指導霊に出会い・・・という、最初にお話した、死後の世界や生まれ変わりなどの霊界事情がわかって行ったのです。キャサリンのこの「水が異常に怖い」という真理の原因が突き止められ、それから解放させることによって病気が治ったのです。
 この治療法は、その後多くの医者によって追認され、前世療法として確立されました。それによってさまざまな人々の神経症が治されて行ったのです。

 この前世療法は、「人間の肉体が滅びても魂は残り、不滅であること」や、「中間生に戻って指導霊から、現世で課題がちゃんと果たされたかどうか」、「課題が十分に果たされなかったと判断された場合には再び人間界に転生すること」「人間界は課題を果たすための場であること」、「何度も生まれ変わりをり返し、課題を果たしながら魂を向上さて行き、神に近づくこと」「それが人間がこの世に生きる意味であること」などという、驚くべき事情がわかって行ったのです。

 この思想は一世を風靡し、現在わが国でも、民間で前世療法が行なわれ、あとでお話する福島大学の飯田史彦さんの著述・講演活動にもつながっています。ただ、次回お話するように、催眠により前世を突き止めようとするこの方法には大きな問題があり、注意が必要です。

「前世療法‐米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」ブライアン・L・ワイス 山川紘・山川亜希子訳(PHP文庫)

死後の世界と生まれ変わり(4)イアン・スティーヴンソンの研究

 「生まれ変わり」についての研究でもう一人著名な人物に、イアン・スティーヴンソン(1918‐2007)がいます。「前世を記憶する子どもたち」(日本教文社)などにまとめられた研究態度はきわめて厳正で、世界中から厚い信頼が寄せられています。スティーヴンソンはインドを初めとするアジア各地、欧米などで広く調査し、多くのケースについて詳細に調査しました。それらの詳細については上記の著書をお読みいただくとして、ここではそれらの研究の端緒になった事例である、日本の「勝五郎の生まれ変わり」のケースをご紹介します。

 「勝五郎(小谷田勝五郎、江戸末期1814-1869)は、武蔵国多摩郡中野村(現在の八王子市東中野)で生まれました。8歳のころ、突然兄と姉の前で、「おれはもとは程久保村(中野村の隣村、現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡で亡くなった」と言った。はじめは聞き流していた家族も、あまりに具体的で詳細な話に、祖母が勝五郎を連れて程久保村へ出向いて調べたところ、まさしくその両親も実在し、家のたたずまいや周りの景色も、勝五郎の話そのまま、さらに藤蔵の墓まであったと言います(註6)。その話は村ではもちろん、日本中で大評判になり、あの平田篤胤も実際に勝五郎やその父親に会って話を聞き、「勝五郎再生記聞」(岩波文庫収録)を残しています。さらに小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)も、イギリスとアメリカで随筆集「仏の畠の落穂」の一編として、「勝五郎の転生」を発表しています。「仏の畠の落穂」は創作集ではなく、八雲が興味を持った日本人の宗教的な心情を示す事項を資料として紹介したものです。イアン・スティーヴンソンが読んだのはそれだと思われます(註7)。

註6藤蔵の墓は現在も残っています。藤蔵が4年後に勝五郎として生まれ変わったことになります。くわしくはネットでお調べください。「勝五郎の生まれ変わり」として、たくさんの記事が出ています。
註7スティーヴンソンの研究によりますと、そうした子供たちが示す行動には、「本当の親のところへ連れて行って」などと訴える事以外にも、死亡時の状況(およびそれと類似した状況)への恐怖があり、特定の乗り物や火や水、銃火器などへの恐怖が見られること、「前世」の人物と同様の食べ物や衣服の好き嫌い、前世と同じような発話や動作、前世の死に方に関連した先天性欠損(指の一本がないことなど)とか、あざ(母斑)などが見られることもあると言います。スチーブンソンの挙げている生まれ変わりのほとんど決定的とも言える証拠は、およそ喋れるはずのない外国語を話す子供のケースがあることです(真正異言)。

 「前世を語る・・・」で、特徴的なのは、大部分が子供たちによるもので、 スティーヴンソンもこの「勝五郎の生まれ変わり」の話に感銘を受け、この研究を始めたと言います。彼の研究態度は、きわめて慎重で、さまざまな可能性を考え、最後まで残されたものを、それらの可能性では解釈できないものとしているところに科学的良心が知られます。スティーヴンソンは、世界各地で調査し2600ものケースについて実地調査し、「前世を記憶する子どもたち」「前世を記憶する子どもたち2」には、厳選した、合わせて52例の生まれ変わりの事例が報告されています。彼の研究は「アメリカ精神医学雑誌」という一流誌でも紹介され、その科学的研究姿勢が高く評価されています。

 多くの生まれ変わりのケースに共通する性質として、事例のほとんどが幼児で、3歳くらいで突然「ぼくは生まれる前は・・・」と語り始め、7歳くらいまで続き、だんだんその話に触れなくなり、12歳にもなると、そんな話をしたことさえ忘れてしまうと言います。近年、NHKでも「生まれ変わり」に関する番組を制作し、放映するようになりました。まことに画期的なことだと思います。昨年の放映ではアメリカの少年のケースで、「僕はハリウッドで俳優をしていた。名前は・・・」と言い、実際に50年前の本人の写真や経歴まで突き止められました。

 ただ、これらの研究には問題もあることを留意しなければなりません。最近視聴したケースで印象的なのは、現在東京に住んでいる女の子のケースです。5歳のころ「私は阪神淡路大震災で死んだ・・・」と。あまりに不思議な話なので母親が詳細な記録を残していました。話の内容は具体的で「実家は淡路島の海の近くで魚屋をしており・・・向こうに橋が見え・・・」と言っています。しかし、NHKが現地調査した結果、どうしても場所が特定できませんでした。番組を見ながら、筆者はすぐに、「だれかの前世と混線しているな」と感じました。後にスティーヴンソンの研究を知りましたが、彼も「そういうことはありうる」と言っていました。前述のように、スティーヴンソンはこのような可能性を厳密に排除して、最後に残ったケースを「生まれ変わりだろう」と言っています。

 次回以降お話しますが、スティーヴンソンは、前回お話したブライアン・ワイスなどの退行催眠による前世療法については疑問を提出しています。

文献:「前世を記憶する子どもたち」 「前世を記憶する子どもたち2」(笠原敏雄訳 日本教文社」