密教(1-3)

密教(1)

筆者はこのブログシリーズでこれまでに禅だけではなく、浄土の教え、法華経、唯識、華厳など、さまざまな側面から仏教について学んできました。しかし、密教については意図的に避けてきました。密教とはその名のとおり、師から弟子へ密かに伝えられて来たからです。しかし、最近、それを学ぶきっかけが得られましたので、本格的に学んでいます。まだ緒についたばかりですが、ちょうどNHK「心の時代」で正木晃さんの「マンダラと生きる」が始まりましたので、それと並行してお話して行きます。

密教とは
密教とは、仏教史上最後に現れた思想で、紀元後5~6世紀ごろインドに現れ、9世紀初頭にわが国の空海が唐の恵果(けいか)のもとを訪れた頃には大きな勢力になっていました。空海は恵果門下の最優等生として後事を託され、わが国にマンダラの図を初め、修行の道具をもたらしました。正木さんが「密教は仏教の最終ランナー」と言っているのはこのような事情からでしょう(ただしこの発言には重大な問題がありますので、後でくわしくお話します)。

密教マンダラとは
密教で瞑想や儀式で用いられる絵画のことで、大きなものは4m四方もあります。9つの区画に円や四角を置き、中にさまざまな如来や菩薩像を描いた金剛界マンダラや、四角の多重構造を持ち、中心に大日如来像(宇宙の最高神)を描き、その周りに多数の如来、さらに菩薩像を描いた胎蔵マンダラが代表的なものです。極彩色で、強い対称性を持っているのが特徴です。わが国では空海が唐から持ち帰ったものが代表的です(註1)。胎蔵マンダラは「大日経」を視覚化し、金剛界マンダラは「金剛頂経」を視覚化したものとされています。胎蔵マンダラとは、大日如来の慈悲が全宇宙のいたるところ、ありとあらゆるものに働いていることを修行者に体感させる手段です。一方、金剛界マンダラとは、全宇宙をあまねく満たしているすべての如来によって形作られている大宇宙の真実を、眼に見える形にしたものです。両者を修行に用いることによって、密教の梵我一如思想(正木さんの言葉:筆者)をによって体験させようとする手段です。マンダラ瞑想とか観想と言います。

マンダラ図形は神の世界を表わす

マンダラとよく似たものにアメリカのナヴァホインデイアンが儀式に用いる図形があります。また、中世のキリスト教聖女ヒルデガルト(1098-1176)が瞑想の結果、神の世界を表わすものとして、密教のマンダラそっくりの図形を描いたことも知られています。一方、精神科医C.G.ユング(1875‐1961)が、精神を病む人々がマンダラによく似た図形を描くことに気付き、マンダラは心の秩序や統合性と全体性の原型であり、病んだ人間が自らを治癒しようと、ほとんど無意識に試みるときに出現すると考えました。ユングは人間の心には無意識の部分があること、その無意識の奧底には人類共通の集合的無意識が存在すると考えました。この考えに基づき、ユング派の精神科医が、治療のためにマンダラ型の塗り絵を考案し実用化されています。
これらの事実を踏まえて正木晃さんは「マンダラは人間の無意識に通じる神の世界を表わしているのではないか」と言っています。さらに、「それまでの仏教では経典の解釈や坐禅を通じてその心理を学ぼうとしてきた。それに対しマンダラ図により一瞬にして視覚的に仏教の深奥を理解できる」と言っています。正木さんは「たとえば禅の坐禅・瞑想はかなり難しいが、マンダラ瞑想は実践しやすい」と言っています。それも「密教は仏教の最終ランナーだ」とする理由でしょう。

マンダラ瞑想
密教の重要な修行法としてマンダラ瞑想(観想)があります。マンダラを前にして座り、手にマンダラに描かれた如来や、菩薩が結んでいる印契(手印)を結び、口に対象となる如来や菩薩をたたえる真言(マントラ、呪文)を唱え、心にはそれらの如来や菩薩の姿をありありとイメージする瞑想法です。正木さんは「マンダラ瞑想は専門的な訓練を受けた密教僧が瞑想に用いる道具であり、一般人にはかなり難しい」と言っています。マンダラ図が掲げられている寺は限られていますし、そこで観想することなどできないからです(観想には、大きなマンダラ図が必要です)。

註1空海が持ち帰った彩色両界曼荼羅(根本曼荼羅)の原本および弘仁12年(821年)に製作された第一転写本は教王護国寺に所蔵されていたが失われた。京都・神護寺所蔵の国宝・両界曼荼羅(通称:高雄曼荼羅)は彩色ではなく紫綾金銀泥ですが、根本曼荼羅あるいは第一転写本を空海在世中に忠実に彩色再現したものと考えられています。現代にもそれらを再現したものが多くの寺で見られます。書籍またはネットでお調べください。

密教(2)密教の悟り

空海の師恵果(けいか)が「空海こそ後継者」と思ったのは当然でしょう(註2)。なにしろ空海はすでに室戸崎の御厨人窟(みくろど)の洞窟で修行中に、おそらく最高の悟りに達していたのですから。恵果は空海に即座に密教の奥義伝授を開始し、大悲胎蔵の学法灌頂(かんじょう註3)と金剛界の灌頂を行った。ちなみに胎蔵界・金剛界のいずれの灌頂においても彼の投じた花は敷き曼荼羅の大日如来の上へ落ち、両部(両界)の大日如来と結縁した、と伝えられています(註4)。

註2 伝教大師最澄も空海と同じ遣唐使船で渡り、やはり密教(法華経とともに)を学んでいます。しかし現在に至るまで密教と言えば空海と言われるのは、最澄、つまり天台宗が密教と法華経を融合させてしまったからかもしれません。つまり正当な密教ではなくなったのです。
註3 頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことです。

註4 床に敷かれたマンダラ図に後ろ向きに(目隠しをして、とも)花を投じ、落ちた如来や菩薩と縁を結ぶことになる儀式です。

密教は仏教の救世主?

正木さんはさらに、「密教は、当時のインド大乗仏教の劣勢を挽回するためにの方策として、台頭しつつあるヒンドウ―教の要素を取り込んだ。その一つはヒンドウ―教の神々を密教に帰依したという理屈を付けた。毘沙門天や弁財天、大黒天などがそれだ」と言います。さらに、「密教は条件付きで欲望を容認している」とも言っています。そして「もう一つがマンダラを用いる新たな瞑想の開発だ」とも言っています。
じつは、インドから仏教が駆逐されたのは、インド人には性癖として根強い「現世利益崇拝(つまり人間の欲望)」があり、そういうものを否定したブッダの思想を受け入れがたい体質があったからです。密教がヒンドウ―教の現世利益思想を取り入れざるを得なかった理由はここにあるのです。けっして密教の言うような「人間の欲望の肯定が修行に役立つ」というような高邁な理由からではないのです。

密教は仏教の堕落?

正木さんは密教の悟りは梵我一如と言います。梵我一如とは、大日如来、すなわち大宇宙と「我」とは本質が同じだと言う意味です。しかし、これは正木さんの大失言なのです(註5)。たしかに密教の悟りの目的はマンダラ瞑想を通じて大日如来(宇宙神)と「我」を一体化させることにあります。しかし、仏教を真剣に学んでいる人なら、梵我一如と聞けば、直ちに「それは仏教の堕落だ」と言うでしょう。なぜなら、梵我一如思想はブッダ以前のヴェーダ信仰の思想だからです。ブッダはまさに、ヴェーダ信仰のアンチテーゼ(対立命題、ヴェーダ信仰を越えるもの)として創出されたものなのです。ブッダの教えはその後、初期仏教、そしていわゆる大乗仏教(浄土思想、唯識、華厳)と、営々と発展・深化しました。それを梵我一如などというヴェーダ信仰の基本理念に戻ってしまったら「堕落」のそしりを免れないのは当然でしょう。

註5 ちなみに「マンダラ観想と密教思想」(春秋社)の著者立川武蔵さんは「(金剛介マンダラを観想することによって)聖なるものと俗なるもの(人間)を合体させる」と言い、松長有慶さんは「密教」(中公文庫)の中で「われわれの身体と言葉と心の三者が仏のそれらと本質的に同一であることに気付き、それらを合一させる」と表現しています。

密教(3)

正木さんは「密教は、インドで生まれた仏教の最終ランナーであり、インドで生まれた仏教の究極のかたち。ブッダ以来、長期にわたって育くんできた知恵の集大成だ。マンダラは過去の遺物でではなく、とくに日本のマンダラに秘められている知恵こそ、21世紀という時代を生きる私たちにとって、心身両面にわたる最高の糧となるはずです」と言っています(ここは重要なところですからご記憶ください:筆者)。確かに密教は仏教思想の最後に出現しました。紀元5‐6世紀のインドでした。そして空海が唐の恵果から密教の奥義を伝えられ、わが国もたらしたのは806年でした。しかし、正木さんのように「仏教の最終ランナー」と言えば、それまで営々と築かれて来た仏教思想をご破算にして、元のヴェーダ信仰に戻ってしまうことになるのです。

以前、唯識思想について横山紘一さんの考えをご紹介しました。横山さんは「唯識こそ 21世紀という時代を生きる私たちにとって、心身両面にわたる最高の糧だ」と言うのです。双方とも、下世話に言えば「手前味噌」でしょう。以前のブログで「唯識思想には原理的な欠陥があり、それまでの仏教からの勇み足だ」とお話しました(その論拠は該当するブログをお読みください)。

それにしても正木さんが「密教の梵我一如思想」と言うのは、あまりにも不注意ではないでしょうか。

マンダラ塗り絵

正木さんは難しいマンダラ瞑想法に代わって「マンダラ塗り絵」を推奨しています。マンダラ塗り絵とは、マンダラ様の単純な模様を描いた白図に5色くらいの色で自己流に塗り絵をする作業です。前述のように、もともとユング派の精神科医が精神疾患の療法として工夫したものです。マンダラ塗り絵は、正木さん自身の著書を含めて日本でも容易に手に入ります。それにより「自分を知るために」実践することを勧めています。ただ、マンダラ塗り絵にも一定の効果はあるでしょうが、やはりちゃんとしたマンダラ瞑想とは「似て非なるもの」のように思われます。

補遺 高野山金剛峰寺で、今でもマンダラ瞑想が行われているかどうかはわかりませんが、それとは別に、修行僧の中でも特別な人に虚空蔵求聞持法修行が許されています。簡単な真言とは言え、1日2万回づつ50日(1万回なら100日間)唱え続けます。それでも奇跡が起こらなければ、初めからやり直すという厳しい修行法です。それは空海が唐からマンダラ瞑想法を持ち帰る前に自ずから実践・成就したものですから、高野山におけるマンダラ瞑想法自体の意義が疑われてしまうのです。

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