ロシアのウクライナ侵攻は、「100年前ならいざ知らず」と驚く一方、事態がなかなか好転しないのをもどかしく思う毎日ですね。ごく最近の、NATOが7兆円の支援を発表したことと、アメリカやフィンランドが最新鋭の戦闘機F16の供与を始めたとの報道に救われる思いがします。筆者もこの問題に重大な関心を持ち、さまざまな報道を真剣に学んでいます。以下は、ウクライナ侵攻が始まった直後(2022/4/8)のNHKテレビ「ロシア衝突の源流」をまとめたものです。禅塾の読者の皆さんにもぜひ知っていただきたいと、アップさせていただきました。
番組ではまず、「ロシアが如何にして大国主義になり、周辺の国々を征服して来たか」について説明されました。おもにイギリスオクスフォード大学教授アンドレー・ゾーリン教授(専門はロシア史)の解説でした。
それによりますと、ロシアは歴史的に外敵の侵入に悩まされてきたと言います。1223年以来のモンゴル帝国による征服は、じつに250年に及ぶもので、モンゴルへの絶対服従と経済的搾取が行われたのです。さらに1822年のナポレオン軍の侵入や1941年のドイツ軍の侵攻がありました。加えてロシアとオスマントルコとの間にも17世紀から19世紀にかけてたびたび戦争が行われています。原因の一つに、ロシアと外国の間には険しい山脈という防御線がないという地政学的なものがあったのです。ナポレオン軍の侵入によるロシア人民の死者は21万人、第二次大戦でのロシア人死者はじつに2100~2800万人という膨大なものでした。今次大戦で完敗した日本人の死者が310万人であることを思えば想像を絶する数値ですね。
ナポレオン軍やドイツ軍にかろうじて勝ったのは、「国の広さ」だったのです。フランスやドイツから食料や武器を輸送するには長大な距離を経なければなりません。このためロシアはピョートル大帝やエカテリーナ女王以来軍備を拡充し、周辺国を征服して「国を広げ」るのに全精力を注いできたのも頷ずけます。現在も激戦が続いているマリウポリやドンバスは、「不凍港があり、地中海へも通じる黒海へ進出したい」というエカテリーナ女王の意志により征服された土地なのです。
ウクライナ侵攻に当たってプーチン大統領は、「ウクライナは民族的、文化的にロシアの一部だ」と主張しました。これが詭弁であることは、ウクライナはまぎれもなく独立国家であることからわかります。1991年のソ連邦崩壊後、国民投票を行い、90%以上という圧倒的多数によって賛成され、8月24日に独立宣言をしています(在日ウクライナ大使館HPより)。
NATO(北大西洋条約機構)が成立した時、ロシアはそれに対抗してワルシャワ条約機構を結成しました。プーチン大統領は「ウクライナがNATO に加盟すればロシアの安全が脅かされる」と、たびたび口にしますが、ワルシャワ条約機構からその後、ルーマニア、チェコ、ブルガリア、ポーランド、ハンガリー、アルバニアが次々と脱退し、NATOに鞍替えした事実を考えれば、どちらに「正義」があるかは明かでしょう。プーチンの「恐れ」には手が付けられないのです。(次回に続く)