その1)NHK特集「永平寺」を放映していました。1977放映されたものの再放送でした。取材班が厳冬期に訪れ、僧たちの修行生活を取材するものでした。150人の新人僧が頭を丸め、2年間厳しい修行に励む様子を紹介する番組です。
4:30 起床、洗面(厳寒期は-10℃にもなる)
5:00~5:40 暁天坐禅 妄想や睡魔に襲われたとき、仏に代わって警策を「バシッ」と。妄想にとらわれると体が前に傾くという。只管打座(ひたすら座禅する。道元禅の基本ですね)。
5:40~5:50 掃除
6:00~6:50 法堂(はっとう)での朝課調経(ふぎん):お経の読誦(観音経・般若心経。長老以下全員)
7:00~8:00 朝粥行鉢(朝食)
準備のできるまで15分の間に「五観の偈」を唱える(以下現代語訳)
1.この食べ物が自分の口に入るまでにどれほど多くの人々が苦労しているか。
2.自分はこの食事をするだけの価値ある行いをしているか。
3.食事も修行である。むさぼり、グチ、怒りなどの心の迷いがないように。
4.この食事は身体や心の飢渇を防ぐ薬である。
5.この食事は修行の成就のために頂くのである。
道元は食べることを重視し、食事の作法を重要な修行と考えた。「典座教訓」は食事を作ることの大切さを説いた。
8:00~8:15 回廊の掃除。唯一バタバタしてもよい時。ここでエネルギーを発散し、再び静かな修行に入る。
午前中 雪作務(雪掻き)など
12:00~13:00 午斎(昼食)
18:00~19:00 薬石(夕食)
19:00~21:00 夜坐(坐禅)
21:00~ 就寝(柏餅どころか、丸めた蒲団を縛ってもぐり込んでいました)
という、「永平道元禅師清規」に則った、朝起きて夜寝るまで一日すべての行動が修行の分刻みの厳しいものです。「威儀即仏法」(形を整えることが仏法だ)。
この間に小参という導師への質問がある。たとえば、
雲水「仏とはどのよなものですか」。導師の答え「すべて仏でないものはない」。雲水「尊答を謝し奉る」
(同)「煩悩の根源はどこから来るのですか」。答え「自分の心をよく見なさい」。雲水「尊答を謝し奉る」
「この永平寺は雪で真っ白です。白くないときは何時でしょうか。答え「白い時は白く、白くない時は白くない」。雲水「尊答を謝し奉る」
4と9の日は、法参日。お互いに頭を剃ったり、洗濯をしたり、繕い物をしたり、本を読んだりする。
食事は:
朝食は粥、たくあん漬け、ゴマ塩
昼食は麦飯、味噌汁、たくあん漬け、おから
夕食は麦飯、味噌汁、たくあん漬け、野菜の煮物
一人1500カロリー(日本人平均2188カロリー)で、費用は300円~350円。献立は年間変わらない。
(デイレクターの)質問「食い物はひどいですね」。(雲水の)答え「普通の人から見ればひどいと見えますけど、精進料理を食べていますとそれに慣れてきます」。「一見してこれでは栄養不足になると思いましたが、はたして全員が脚気になり、やがて治りました。(筆者:麦飯がよかったのでしょう。青物が絶対的に不足していると思いました)。
新人僧の平均年齢は23歳6ヶ月。平均滞在年数2年、いつ修行を止めるかは雲水の自由。
(デイレクターの)「この山に入られた動機は」との問いに対し、「精神的な支えが欲しかった」。「本山であり、自分を試したかった」。「家がお寺だから」・・・・95%が大学卒。東北大学大学院を修了し、4年間高校で物理を教えていた人(31歳)や、精密機械会社で5年務めた人(34歳)も。
「辛いことは」の質問に対し、「そんなに辛いと感じたことはありません。冷たいとか、足が痛いとかくらい・・・・」。
「楽しいことは」の質問には、「・・・・・・昨日できなかったことが今日できたことでしょうか」
「自由になる時は」との質問には、「仕事を早くやってしまうと、勉強したり、洗濯したり、身の回りの整理をしたりする時間ができます」。
「自分が一番変わったと思うことは」との質問には、「我(が)が少なくなったこと。シャバでは水をジャンジャン使っていましたが、ここでは水の使用も最小限に・・・・。すべてがありがたいと思えるようになりました」
(ナレーション)「道元の追い求めていた透明で平安な世界。それを体得するための厳しい修行の日々です」
筆者のコメント:心洗われる雲水たちの修行風景でしたね。皆さんよい顔をしていました。静かな座禅の間に時折響く警策の「バシッ」という音が印象的でした。2年間の修行は、大きな心の財産となったでしょう。その後どういう生活を送るかはさまざまでしょうが・・・・・。それにしても雲水たちとは別に、何十年も、いや一生そこで修行の日々を送っている老師たちの人生は想像するに余りありますね。
その2)
1)これら永平寺での修行は、一般人には到底、真似のできることではありませんね。それなら私たちは、道元の言う境地には至れないことになります。しかし、私にはそうは思えません。
わたしたちは恋もし、時には人と争い、思い通りにならないため悩み、苦しむこともあります。子供が出来たり、仕事に生きがいを感じれば喜びます。日常生活では本も読み、テレビを見たり、音楽や絵画を鑑賞したりします。ことほどさように、私たちの生活は、煩悩と裏腹でもありますが、逆に心の豊かさにもつながるのです。苦しみや悩みを乗り越えて行くのは立派な修行だと思います。一方、永平寺で修行生活を送る人々にはそれらがありません。その生活はきわめて特殊だとも言えるでしょう。
前にも書きましたが、筆者は若い時に5年ほどキリスト教会へ通いましたし、神道系教団で10年にわたり〈霊能開発修行〉もしました。座禅・瞑想はそれ以来実践しています。そして14年前から禅を本格的に学び始めました。当時、とても苦しいことがあり、それから抜け出るためには禅の原点に戻って学ぶしかない、と決心したのです。道元の「正法眼蔵」は、わが国の古典の中で最も難解なものと言われるだけあってとても苦しみましたが、2年ほどで「空(くう)とはこれだな」と合点が行くことができました。そのときふしぎなことが起こったのです。
永平寺や岐阜県の正眼僧堂、兵庫県の安泰寺などの専門道場で長年修行した人たちがどのような境地に達したかのはよくわかりません。安泰寺では年間1800時間も坐禅・瞑想をするとか。しかし、正眼僧堂の山川宗玄さんや、元安泰寺堂頭(住職)のネルケ無方さん、比叡山や吉野山で1000日回峰行を達成した人たちのお話も聞きましたし、永平寺での貫主と雲水たちの問答も聞きましたが、どうもしっくり来ないのです。筆者の坐禅・瞑想は上記の専門道場での修業とは比べるべくもありません。つまり、もっぱら「学び」をしてきたのですが、それでも何らかの段階を乗り越えたのは確かだと思います。専門道場で坐禅・瞑想をした人たちでも、何らかの境地に達したかどうかは、ふしぎなことが起こったかどうかだと思います。いかがでしょうか。
2)筆者の知人に、お父さんの突然の死によって、将来を約束されていた国家公務員上級職を投げ打って仕事を継いだ人がいます。中企業の経営者として以来50年、「この仕事が終わったら次はどうなるだろう」の連続だったとか。「地方の企業は潰してしまったらもうそこには居られない」とか。厳しいものですね。
筆者には、その知人の人生は、禅僧たちの修行生活と違うとは思えないのです。なによりも禅僧たちは衣・食・住は保障されているのです。知人の話を聞いていますと、「経営者として余人には代えがたい」と思います。そのとおり、「生涯現役」で終わるようです。
筆者は会うたびに「これからは美味しいものを食べて、好きなところへ行ってください」と言っています。