1)「もし太陽系の外に人間のような知的生命(註1)が居るという確かな証拠が得られたら、私たち人類の価値観が根底から崩れる」という考えがあります。私たちはかなり安易に太陽系外生命のことを考えていますので、こんな話を聞いても「ああそういうものか」と思うだけでしょう。しかし、哲学者や思想家ならこの考えに納得するでしょう。これと同じように、「もし死後の世界がある」ことが証明されれば、やはり、人間の価値観に根本的な改革を迫られるでしょう。わたしたちはふだん、天国とか地獄、あるいは地獄と極楽を簡単に考えすぎているようですから、死後の世界があることの確実な証拠が挙がっても、やはり「ああそいうものか」と思うだけでしょう。しかしちゃんと物事を考える人たちにとっては、「価値観を根本的に変えなければいけない」事態でしょう。
「知の巨人」と言われた立花さんは、臨死体験(註2)や生まれ変わり現象に深い興味を持ちました。それは「人間とは何か」を知りたいという根源的な知識欲の一環でした。日本でもスタニスラフ・グロスが開発した「ホロトロピックセラピー」の講習会があると聞くと、さっそくそこに参加したそうです。「一種の宗教的な解脱体験に近いものが、たしかに得られた」とも言っています(註3「生、死、神秘体験」書籍情報社p62)。立花さんはさらに、カナダのマイケル・パーシンガーという脳科学者が側頭葉に神様体験の座があってそこを弱い磁力で使役すると、臨死体験のような宗教的な体験が起こると言っているのを聞いて(註4)、実際にそこを訪れて体験しています。結局「何も感じなかった」そうですが。
註1ここで注意しなければいけないのは、「生命」と「知的生命」を混同してはいけないことです。バクテリアはただの「生命」で、それなら火星や木星の衛星にも見つかる可能性が高いのです。天文学者でも「生命」と「知的生命」を厳密に区別せずに使っている人が多いのです。以前、東京国立天文台の錚々たる若手研究者が、「宇宙人はいると思いますか」の問いに対し、6人全員が手を挙げたのを見て驚きました。何一つ根拠がないことについては「わからない」と答えるのが科学者の取るべき態度だからです。
註2 臨死体験とは、「死にかけて、生還した人」が「見た」体験です。「暗いトンネルを出ると光り輝く外へ出た。そこで神のような崇高な存在に出会った」というもので、アメリカの医師エリザベス・キューブラー・ロスなどが報告し、注目されるようになりました。キューブラー・ロスは、心停止心の状態から蘇生した人の4〜18%が臨死体験したと言っています。立花隆「臨死体験(上)」(文藝春秋)に詳しい。
註3心身に深く働きかける非常に効果的な呼吸法として、世界各地で過去数十年にわたり実践されてきました。この呼吸法は、音楽をかけ、横になって深くて速い呼吸をすることで、日常よりも深い意識状態で自分と出会い、心身の生命力を活性化すると共に、自然治癒力を引き出すと言います。
立花さんは、「激しい過呼吸によって脳に酸欠が起こし、それが「神秘体験」させたのだろう」と言っています。つまり、「神との遭遇」ではなくて、人間の生理現象の一つだと言うのです。
註4ヘルメットに磁気ソレノイドをつけて弱い磁場(コンピューターモニターから出るのと同じ程度)を発生させて,右大脳半球の側頭葉に磁場を与える装置を考案しました。このヘルメットをかぶった健常人被験者の80%以上が,「神に会った」,「亡くなった夫に会った」などといった不思議な体験をしたのです。パーシンガー氏はその後,同じメカニズムで動作する携帯型ヘルメットを開発し,霊的体験を深める装置として販売しています。この「神のヘルメット」による「霊的体験」はその後,別の研究者の追試により否定されました。
2) 死ぬことへの恐怖として多くの人が感じているのが「死んだら自分というものが無くなってしまう」でしょう(註5,6)。沖縄の小児科医・志慶真(しげま)文雄さんは、子供の時からこの恐怖に苛なまれていたとか。「浄土真宗へ深く帰依したのはそのためだ」とおっしゃっています。それに対して「死後の世界もある」ことが確定されたら、人はどれほどか安心するでしょうか。これが「人間の価値観を根底から変える」ことだと思います。
一方、「死ぬとき誰かがそばに寄り添ってくれるかどうか」は、死の恐怖を和らげるのに大きな助けになるでしょう。人間は生前善行を積んでおかねばならないのは、最後には自分に帰ってくるからですね。数年前のことですが、筆者の恩師が亡くなられたとき、2人の子供さんの内の1人が来てなかったのを知って大きなショックでした。先生は筆者にとってまさしく恩師と呼べる立派な人だったのですが。
註5 「死なんかこわくない。なぜなら死んだらその意識もなくなってしまうからだ」と言う人たちがいます。「死んだら無になる」という考えにも良いところはあるのですね。
註6 ちなみにキリスト教では死んだら長い間墓の下に眠り、人類が滅ぶとき、神によって天国へ行くか地獄へ行くかが決められるとか。最後の審判ですね。でも人類が滅ぶのは、まだ数百万年(?)も先のことですから、ずいぶん待たねばなりません。
筆者が40代から50代にかけて、ある神道系の教団で霊能開発修行をしたことはお話しました。それ以来、何度も心霊体験や神霊体験をしました。くわしい内容についてはいずれお話しますが、「目に見えない世界」があることは確信しています。その中に、いわゆる霊魂があることも。ただし、筆者が確実に体験したのは、「霊の存在」で「霊的世界があるかどうか」ではありません。立花隆さんは、筆者とは比べものにならない「知の巨人」ですが、この点だけは立花さんとは違っています。良い経験でした。