岸根卓郎氏批判(4)

筆者の検証(4)

 岸根氏は、

 ・・・これからの心の時代には、この世とあの世の間に存在する、量子論に言う量子エンタングルメント(あの世とこの世の共存性)や量子テレポーテーション(あの世とこの世の情報交換)などの心の共鳴現象を理解せずしてもはや対応できない・・・2500年もまえの東洋の宗教の仏教と、西洋の最先端科学の量子論との間にも、時空を超えて同一性がある・・・

と言っています。岸根氏は「量子は心を持つ」という持論(岸根氏の独創ではなく岡野氏の考えの引用ですが)を量子論的唯我論と称し、それを強く意識した上で量子宗教という造語をしています。

さらに、

 ・・・未来のあるべき宗教は一神教文明で物心二元論の西洋物質文明に基礎を置く西洋の宗教よりも、多神教文明で物心一元論文明の東洋精神文明に基礎を置く東洋の宗教のほうが、心の時代の宗教としては適している・・・

と言っています。しかし、このような考えは岸野氏の独創でも何でもなく、多くの心ある人が言っているのです。

 以上のように、岸根氏のこの本は量子論に基づいて神の心を解き明かそうというものです。しかし、現代物理学でも量子の不思議な性質については、まだ正しい解釈はされていないのです。にもかかわらず岸根氏はその解釈の一つ、それもなんの科学的証明もなされていない意思説を自説に都合よく根拠としているにすぎません。しかがって同書はほとんど妄想としか言いようがないものなのです。

 ある読者の感想文の中に、

 ・・・量子論は日常の常識が通じず余りにも奇妙なためしばしばオカルトのネタとなるが、この本はまさしく量子論をネタにしたオカルト本である・・・

とあります。筆者も同感です。量子のようなミクロの世界は、どんなにそれが私たちには不思議であっても、それにふさわしい解釈をすべきであって、それを人間や宇宙のようなマクロの世界へ敷衍したために岸根氏や、一部のスピリチュアリズムの人達の誤解を生じるのでしょう。

 岸根氏の本は、京都大学名誉教授であるとか、湯川秀樹博士や朝永振一郎の師であることをキャッチコピーにしていますし、文章が巧妙に書かれているため、一部の読者が「すばらしい」と感じるのでしょう。しかし実体は、前述の読者が言っているようにオカルト本としか言いようがありません。真面目な読者が惑わされないように、願ってやみません。

岸根卓郎氏批判(3)

筆者の検証(3)

 岸根氏はホイーラーの思考実験(物理実験ではありません)の結果(?)から、「電子には心があり、人間の意図を読み取った」と結論付けています。そして、岸根氏の解釈はさらに飛躍します。

 ・・・自然界はすべて、心を持った電子が姿を変えたものである。人間と同じく、動物も植物もすべて電子によって構成されている・・・電子が心(意志)を持っているからこそ、その電子によって構成されている人間にも心(意志)があることが科学的に結論できる・・・ と言っています(註5)。

註5 もちろん人間の体は電子だけでできているのではありません。岸根氏が電子にこだわるのは、粒子と波との二つの性質を合わせ持つ物質の例としてでしょう。

 岸根氏はさらに、

 ・・・肉体としての人間が示す電子の波動現象こそが人間の生命であり、人間の心である・・・生まれるといっているのは、心を持った無機物が統合されて、心を持った有機物が作り出される統合作用のことである・・・死ぬといっているのは、心を持った有機物が統合作用を失って心を持った無生物に還るということだ・・・心もまた肉体の輪廻転生と共に、輪廻転生を繰り返す・・・心の住むあの世も、肉体の住むこの世も、ともに存在していて、それらが互いに輪廻転生している・・・自然界全体(大自然、大宇宙)の下では、無生物も生物も基本的には区別はなく、それらは同じ物である電子が姿を変えて互いに流転し、転生しているにすぎない・・・
と言っています。

 何人かの読者が指摘するように、岸根氏の文章は繰り返しが多く、独善的であるためわかりにくいので、筆者がまとめてみますと、岸根氏が言いたいのは、「電子は心を持つこと、時には波になり、時には粒子になる。その性質を輪廻転生と言い、人間も電子からできているから、人間の体も輪廻転生する」と言っているようです。輪廻転生という、仏教やスピリチュアリズムの概念を、電子の粒子と波との変化とくっつけているのには唖然とします。

 さらに岸根氏は、「仏教だけが量子論と統一できる唯一の宗教である」と言い、

 ・・・仏教にいう無量寿(無限の時間の流れ)が量子論にいう電子の粒子性に当たり(なぜなら粒子は速度を持っていて無限の時間を走るから)、無量光(無限の空間の広がり)が量子論にいう電子の波動性にあたる(なぜなら粒子は波動となって無限の空間に広がるから)と考えられるからである。ゆえに私(岸野氏)は(宗教である)仏教と量子論(科学)は同一化する。まさに驚異と言うほかはなかろう・・・量子論の説く粒子性・波動性が神の心と考えられる・・・

と言っています。つまり、岸根氏は「量子論が神の世界の存在を証明する」と称しているのです。

岸根卓郎氏批判(2)


2)筆者の検証(1)

 前回もお話したように、筆者は読み始めてすぐ「これはおかしい」と思いました。岸根氏はこの著書で、電子や光子などの量子が持つ不思議な性質である、粒子性と波動性を根拠として壮大な(?)理論を展開しています。そして本書の目的として、「量子論に従って神の心を科学的に解明すること・・・」と言っています。それゆえ、どこがおかしいのかを検証するには、量子の性質について彼が犯した誤りの理由を突き止めればよいと思いました。

量子の不思議な性質

 20世紀になって電子や光子などの量子には奇妙な性質があることがわかってきました。すなわち、ごく通俗的な言い方をしますと、量子は粒子と波という2重の性質を持っていること、人間が観測すると粒子の状態に収束することなどです(註1)。岸根氏が、まさにこの人間が観察するとの語句をきわめて恣意的に解釈したことに誤りの根本があるのです。すなわち岸根氏は、「量子のこの不思議な性質についてのコペンハーゲン解釈(註2)においてN.ボーアは『この世の万物は、観測者の人間に観測されて初めて実在するようになり、しかもその実在性そのものが、観測者の人間の意識(心)に依存する』と主張した」と言っています。しかしN.ボーアは決してそんなことは言っていないのです。

一見、人間が観測すると波のように広がっていたものが一点に集まるように見えるのですが、収束がいつどのようにして起きたのかとか、観測が収束に必須とかは断定できないのです。正しい意味のコペンハーゲン解釈とは、観測前には空間的広がりがあった(波であった)ことと、観測時点で一点に収束していること、収束の確率が確率解釈に依存することの三つの実験事実を合意事項として採用する解釈として提唱されたものです。つまり、岸根氏はコパンハーゲン解釈を誤解、それも素人的で恣意的な誤解をしているのです。量子の不思議な性質についてには、今紹介したコペンハーゲン解釈以外にも、多世界解釈とか、岸根氏が重視する意思説があるのです。人間が観測すると粒子になるように見えるので、人間の意志が量子の状態を左右すると考えるのです。つまり、意思説は一つの解釈に過ぎず、しかもその前提には理論的裏付けがなく、実験による確認もされておらず、科学理論としての要件を満たしているとは言えないのです。岸根氏がコペンハーゲン解釈を自分の都合のいいように理解していることがおわかりでしょう。N.ボーアらのコペンハーゲン解釈は、現在正統派解釈とされているものです。

 岸根氏はさらに、「量子論には素粒子を心を持たない単なる物質(註3)と見て研究する、いわゆる量子力学の分野と、心を持った物質として研究する、いわゆるコペンハーゲン解釈としての量子論的唯我論の分野の二つがある」と言っていますが、およそ的外れであることもこれでおわかりでしょう。

註1 正確には電子は粒子ではありません。

註2 量子の不思議な性質についての基本的な考え方について、1927年に開催された第5回ソルベー会議において議論され、N.ボーアやW.ハイゼンベルグらによってコペンハーゲン解釈としてまとめられました。

註3「量子は心を持っている」は、この本の根本原理です。岸根さんが「それは科学的に証明されている」と言って4つの証拠(!)を上げています。スペースの関係上、すべてについて検証することはできませんが、その一つでも論破できれば十分ですから、次回それについてお話します。