遠藤周作・「沈黙」に対する疑問(その2)


棄教か殉教か(1)

 遠藤周作の「沈黙」(新潮社)について、以前、ブログ「踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです」を書きました。「沈黙」のハイライトは、ロドリゴ神父が踏み絵を踏む場面です。

・・・ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ・・・

 「沈黙」が出版されると、カトリック教会側から強く否定されました。さらに重要なことは、長崎地方の信者たちの反発です。当然でしょう。なぜなら、神に対する絶対的な信頼がなければ本物の信仰にはならないからです。「踏むがいい」などのエクスキューズ付きの信仰などナンセンスでしょう。とりわけ、上記の引用文に続く一節、・・・これによってロドリゴは神の実在を信じた・・・は噴飯ものです。筆者の判断の正しさは、後に殉教26聖人の像が作られ、多くの人々が感動をもって礼拝しているのに対し、棄教したフェレイラなど(註1)は(遠藤周作以外には)振り向きもされないことから明らかでしょう。26聖人以外にも頑として棄教を拒み、殉教した少女もいます。

 東日本大震災のとき、多くの人々が津波に巻き込まれるのを見たある住職が、 「神も仏もあるものか」と口走りました。NHKはこの特集の予告編で、何人かの僧侶と取った行動とともに彼のことを取り上げました。しかし「本編」では彼の部分だけ削除したのです。住職ともあろうものは、いかなる状況にあろうと「神も仏も・・・」などと言ってはならないのです。

註1 史実では、「日本での迫害によってフェレイラ神父が棄教した」という衝撃的な知らせによってローマ教会は二つのグループを送ってその真偽を確かめようとしました。第一のグループはアントニオ・ルビノ神父らで、上陸直後に捕縛され、長崎奉行によって過酷な拷問を受けた後、殉教しました。翌年送られた第二陣、ジュゼッペ・キアラのグループは、獄中で死亡した二人を除いて全員棄教しました。沢野忠庵と名乗っていたフェレイラが終始宣教師たちの説得(棄教の勧め)に当たっていたと言われています。

 

 最近「福音宣教」12月号で、上智大学の川村信三さんが「沈黙」に関連して貴重なコメントを述べています。以前にもこの雑誌で「沈黙」もさまざま取り上げられました。川村さんは、「沈黙」そのものではなく、当時の日本の状況や、東日本大震災の被災者についても「神に対する絶対的な信仰」について書いています。とても重要な発言で、「信仰」についてブログを書いている筆者も何らかの回答をすべきだと考えました。次回はそれについてお話します。

棄教か殉教か(2)

イエスズ会司祭で上智大学教授の川村信三さんは書いています。

 ・・・目付の井上政重は幕府のキリシタン政策を決定付けた巧妙な方法を考えた。すなわち、殉教させるよりも「転ばせる」ことにしたのである。殉教させればさせるほど、殉教者への崇敬が増す。そこで拷問と同時に宣教師たちの心のスキをついた心理戦を行った。たとえば、「神が完全なら、なぜこの不完全なこの世を作り上げたのか」とか、「どうして悪魔の存在を神は許すのか」とか、「なぜ悪や災害が起こるのか」とかの、今のローマ法王ですら答えられない難問(後述)を繰り返し宣教師らに問うたという。宣教師たちはついに絶望し、棄教した・・・。

 あの東日本大震災の後、日本のある小学生がローマ教皇ベネデイクト16世に質問しました。「なぜこのようなむごたらしいことが起きたのですか。神様はいるのですか」と。ベネデイクト16世教皇は「私にもわからない。ただ、わからないからこそひたすら祈り続けている」と答えたと言う。読者の皆さんは教皇のこの答えについてどう思いますか?筆者には納得がいかない回答ですが。

 今ご紹介した川村さんは

・・・どれほどの苦痛、苦難、悲惨が目の前に姿を表そうと、「神」がわからなくなったとしても、謙虚に祈り続け、けっして絶望しなかった人々。「神のみ言葉」に信頼を置き続けたこと。それが殉教者の「こころ」と言えよう。このように書いている私自身も、その「希望をもちつづけていることの意味」がわかるのはおそらく自分の死を体験するときなのだろう。しかしさすがに、私たちの身近に同じような心境を体験したが、けっして「希望を捨てなかった」人々がいる(東日本大震災の被災者:筆者註)。涙ながらに船を作り、帆を上げて船出をした人々である。これらの人々は殉教者の「こころ」をうつした人びとである・・・と言っています。

 筆者も、いやしくも宗教についてブログで発信している者として、これらの問題に答えなければなりません。

 まず、くり返しお話しているように、神は存在されると確信しています。悪魔がいるかどうかはわかりません。神道の世界では凶神(まがつかみ)や低級霊、地縛霊が、スピリチュアリズムでは邪霊がいるとされています。田舎で時々見かける祠(ほこら)には、これらの霊をお祀りすることによって人々に害を及ぼさないようにするためのものが多いのです。これらを「信仰」することは決して良いことではありません。このことについはいずれまとめてお話します。

 戦争や犯罪などの「悪」が行われているのは、人間の自由意思です。ザビエルの時代のイエスズ会宣教師たちが、当時の日本人も持ったこの素朴な疑問に対する答えと同じです。

 神はけっして人間に「〇○するな」とはおっしゃいません。人間の自由意思を尊重されるからです。失敗し、人間みずからが心のあり方を変えることこそ神の計画なのです。私たち人間は神(仏)の御(み)心に叶う心や行動のあり方を忖度することが大切です。愛とか良心は神の御心そのものです。このように現代人には神の御業(みわざ)について大きな誤解があるようです。

 災害は、そこに居たから起こったのです。被災者の人達には厳しい言葉ですが、過去に津波が何度も襲った地域に住み続けていれば、また被害を受けるのは当然でしょう。もっと安全な場所へ移住するしかありません。子や孫が別の安全なところへ就職することはそんなに難しいことではないと思います。なぜ何代も続けてそこに住み続けるのでしょう。

死の体験旅行(1,2)


死の体験旅行(1)

 近年、仏教寺院で行われている「死の体験旅行」と呼ばれるワークショップが盛況のようです。すなわち、参加者がガンと宣告されてから、だんだん病気が重くなり、最後に死を迎える迄のプロセスを仮想体験するのです(くわしくは後で述べます)。

 たとえば浄土真宗の浦上哲也住職が開催するイベントの参加者には、「最近家族が亡くなったのでつらい」とか「転職や結婚で悩んでいる」といった人、20代で「まだ”死”そのものについて真剣に考える機会は少ないので、何が自分にとって大事なのかを考えたい人などが受講したと言います。NHK「あしたも晴れ、人生レシピ」でも紹介されました。

 パフォーマンスの内容は、まず、大切なものを4グループに分けて5項目づつ、計20項目書き出します。白い紙には「物質的に大切なもの(家、車、パソコン、携帯電話、時計、大切な人の形見等)」、青い紙には「自然の中で大切なもの(空、酸素、水、海、太陽、山等)」 、ピンクの紙には「大切な活動(仕事、読書、音楽鑑賞、スポーツ、子供と遊ぶ等)」、黄色い紙には「大切な人(奥さん、お子さん、両親、友人、先輩等)」。ワークショップの経過は、

「体調の変化を感じ、病院の予約を取る」ときに1枚捨てる、
「検査を受ける」で3枚捨てる、
「ガンを告知される」でまた3枚、
「手術を受けて、治療のため仕事を辞める。体は疲れやすく、あらゆる行動が難しくなってくる」でさらに2枚捨てます。
「数ヶ月が過ぎ、治療の中止と緩和ケアへの移行を伝えられる」で3枚捨てます。

・・・こうしてストーリーは進み、最後に残った1枚も丸めて床に捨てて、「死」を迎える・・・と、すべての紙を捨てるまでの時間は約25分間だそうです。

 参加経験者には、体験の途中から涙を流す人もあり、体験後、「改めて、今生きている時を大切に生きようと思いました。(いつでもいいやと、だらだら過ごしてしまうので)」(40代・女性)とか、「ここでしかできない体験だった(20代・男性)」、あるいは、「死」を感じて「生」を静視する。感謝の気持ちがふつふつとわいてきたことが意外であり、驚きでした(40代・男性)」。「最後に知らない人と意見交換して、自分と全く違う考えをもつ人の話を聞けておもしろかった(20代・女性)」、「普段考える機会のない「死」について考えてつらかったけれど、改めて、大事なもの、ヒトの認識ができて良かった。(10代・女性)」など、ワークショップは意義深いものようで、参加希望者が引きも切らないようです。

 ただ、筆者はそういう話を聞いているうちに何か引っかかるものがありました。やがてその理由がわかりました。それについては次回お話します。

死の体験旅行(2)

 もともとこのワークショップは、アメリカでホスピス(末期ガンなど、治療の見込みがなくなった人たちが安らかな死を迎えられるようなケアを行うための専門施設)で看護師やボランテイアが、死を迎える人たちの心を共有するために始まったと言います。その主旨はとてもよくわかりますね。日本でも山崎章夫医師(1947~。在宅診療支援診療所ケアタウン小平クリニック院長。ベストセラー「病院で死ぬということ」の著者)が、大学の授業としてもこのワークショップを行いました(「死の体験授業」サンマーク出版)。

 著者山崎章夫さんは、もともと外科医でしたが、終末医療の重要さと不備な点を感じ、今では「自宅で最期の時を迎えられるためのクリニック」を開いていらっしゃいます。さらに、定期的に遺族同士が集まって話し合える場所も提供しているとか。病人を治して元気になってもらうことが医師としての喜びであり、生き甲斐でしょう。山崎医師はこれまでに2000人以上の人を看取ったと言います。山崎医師によると、25%の人がケアを初めて2週間以内に、50%の人が一ヶ月以内に亡くなるとか。この種の医療は経営的にはとても苦しいと思います。頭が下がりますね。 

 以前にも書きましたが、筆者は多くの友人をがんで亡くしました。そのたびにたまらなかったのは、これらの友人たちの心理が、まさにこのワークショップのような経過をたどったと想像されたことです。すなわち、どうも体調がおかしい→ためらったのちに病院を訪れ→ガンの疑いを指摘され→「まさか」と思っても検査が進むにつれて疑いが確実に変わり→体調の悪化もそれを実感させ→死を予感させるようになり→最後にそれが決定的になる・・・というプロセスです。家族のこと、やりのこす仕事のことを考えて眠れない夜を重ねたでしょう。

 前述の、仏教寺院での浦上さんらのワークショップは、山崎さんらの経験を仏教に取り入れ、いろいろ演出を加えて実践しているようです。

 しかし、ここで、筆者が最初に浦上さんらの実践を見聞きして感じた違和感の内容がわかりました。まず、浦上さんは、民家を改造した自宅「寺院」でこのワークショップを行っています。つまり、葬儀はまったく行わず、したがって死に対してほとんど経験がないことです。この点山崎医師とは決定的に違います。そして、おそらく参加者の大部分が最後まで残すカードは、「子供」とか「母」でしょう。「パソコン」とか「山」とか「読書」などでないことは初めからわかっているはず。つまり「出来レース」なのです。さらに、浦上さんが行っているのは、「厳かなナレーション」やBGMなどを含め、催眠術となりかねないのです。いや催眠術そのものだと思います。「涙を流す人がいる」との予備知識に影響され、「涙を流す」人もいるでしょう。このパフォーマンスには限界があることの何よりの証拠は、大部分の人が、2回目を受ける気持ちにはならないはずだということです。つまり、原理的に「心の問題」の解決にはなりえない、たんなるゲームだと思うのです。

 すなわち、前述の山崎章夫医師のワークショップの目的とはまったく違うのです。山崎医師は、実際に数多くの死を看取った経験があります。その経験を踏まえて、ホスピスや自宅で終末医療に実際に携わる看護師や家族が、患者の気持ちにできるだけ寄り添えるためのものなのです。目の前に終末期の、あるいは亡くなった肉親がいるのです。現実的ですし、何回実践しても意味があるはずです。

能楽と禅(1,2)

能楽と禅(1)

 室町時代に観阿弥・世阿弥親子によって大成された能楽も禅と深い関係があるとされています(世阿弥は東福寺の岐陽方秀の下で参学したと伝えられています)。しかし、能楽と禅との結びつきを解説した本(たとえば鈴木大拙「続禅と日本文化」註1)やブログを読んでもピンと来るものはほとんどありませんでした。たとえばある人の解説:

 「禅は、自分とは何か、いかに生きるかを追求する。絶対平等の自己、無相・無位の自己、慈悲・光明の根源たる自己、それに目覚め、その本質になりきり生きようとする道である。苦を持つ者は、まず、それを解消する。苦の解消なしに、本格的に修行はできないからである。自分勝手な見方、エゴイズムの眼を捨て、エゴイズムの行動をやめる・・・世阿弥は「花鏡」の中で次のように述べている。  
 ・・・いろいろな技芸はつくりものにすぎない。それを支えて生かしているのは心なのだが、この心の存在を人に見せることがあってはならない。万一、見せてしまえば、それは操り人形の糸をみせてしまうような失敗である。さらにいえば、舞台に出て演戯をしているときだけのことではない。夜も昼も、日常生活のあらゆる瞬間に、意識の奥底の緊張を持続して、すべての動作を充実した心の張りでつなぐべきである。このようにつねに油断なく工夫しているならば、そのひとの能はしだいに向上して行く一方であろう。この条項は、秘伝の中でもとくに最高の秘伝である。ただし実際の稽古にあたっては、こうした不断の緊張のなかで、おのづから締めつゆるめ(緩め:筆者)つの呼吸があるべきである・・・

 世阿弥が教えている秘伝は、能の役者は常に日常生活の中で禅の実践工夫をせよ、ということである。世阿弥が、日常生活において常に工夫するといっているのは、禅である。禅者は世阿弥が言うような工夫を常にしていくのである。人は自覚せずに、考えを常に廻らしている。そんな妄想をせず、いつも、自分のなしていることを自覚している。正念である。また、熱心な禅者は、おごらない、名誉欲・財欲・権力欲に執着しない、無私、無恐怖、悪をなさない、他人の評価を気にしない、などの独特の生き方になって現れる。一休、芭蕉、良寛などを見ればおわかりであろう。世阿弥もそれを秘伝中の秘伝というのである。そうすれば、無心の能、上三位の能を舞える名人になるというのである。秘伝中の秘伝という意味がわかるのではないだろうか。このような工夫を能の関係者は実践しておられるのだろう。「公開された秘密」、それが禅であり、法華経であり、私たちの心である。みな、こころ、仏を見ているのに、こころ、仏がわかっていない・・・

いかがでしょうか。これは一般論であって(じつは太字の個所など一般論にすらなっていない)、観阿弥や世阿弥ならでの言葉はどこにも表れていないように思います。観阿弥・世阿弥の思想は別にあるのです。それについては次回お話します。

能楽と禅(2)
  能楽に「隅田川」という演目があります。あらすじは、

  春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場に女がたどり着きます。気が狂れていると思ったが、船頭が事情を聞いてみると、都から人さらいにさらわれた12歳の息子を捜しに来たと言う。船頭は「お前さまは気など触れていない。じつは、ちょうど一年前の今日、ここで亡くなった子供があり、死ぬ間際に、都の『吉田何某の子梅若丸です。自分が死んだらここへ柳の木を植えて供養してほしい』と言い残しました。命日の今日、村人が供養の大念仏をします」と言った。女は「それこそ我が子に違いない」と、村人とともに念仏に加わった。鉦鼓を鳴らして大念仏を唱えて弔っていると、母が「みなさま静かにしてほしい。子供の声がします」と言うと、塚の内から梅若丸の亡霊が現れ、ともに念仏を唱えていたのです。母が抱きしめようと近寄ると、幻は腕をすり抜けてしまいました。やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消え、母はただ塚の前で涙にむせぶのでした・・・

 世阿弥の子と言われる観世元雅(1394‐1432?)作です。筆者はおよそ20年前にテレビで鑑賞しました。とても印象的だったのは、能の様式に従って言葉も所作も抑えに抑えたものだったのですが、見ていて涙が止まりませんでした。演者の表情は文字通り「能面のように無表情」でした。言葉も情景描写も字幕がなければわからなかったほどです。それでも演技から訴えて来るものに筆者の心が揺さぶられ続けました。能楽のすばらしさに圧倒されたのです。能楽によって、現代の映画やテレビ・演劇技法の一切が否定されてしまいます。恐ろしいことです。現代芸術は騒々し過ぎませんか?能楽ではあらゆる余分なものをそぎ落とし、究極にまでシンプルなものにします。そして静かに静かに私たちの心に沁みこんでくるのです。これこそ観阿弥・世阿弥がした表現した禅の心だと思います。

 家庭も持たず、名誉にも富にも一切無頓着な清貧そのものの生涯を送った良寛さんの生き方に通じますね。良寛さんは「雨の降る粗末な草庵の中でゆったりと足を延ばしている。それだけでこの私の心は限りなく豊かです」と詠っています。