釈迦も驚く日本仏教ー地獄極楽思想(1,2)

釈迦も驚く日本仏教‐地獄極楽思想(1)

 日本仏教は地獄極楽思想をイメージするほど密接に関連していますね。しかし、それは釈迦の仏教とは大きくかけ離れたものなのです。

 現在のわが国の仏教徒は8470万人(2013年統計、ブリタニカ国際年鑑では99%が広義の仏教徒とされています) 、約7万5000の寺院があると言われています。つまり日本人のほとんどは仏教徒なのです。ただ、「自分は仏教徒である」という意識は希薄で、おしなべて「無宗教」と考えている特異な国です)。仏教が日本に入って来たのは538年(552年とも)で、たちまちそれを受け入れ、やがて国の政治方針としたのが聖徳太子(574-622)です。聖徳太子の言葉として「世間虚仮唯仏是真」が有名ですね。「この世の世界は空しい仮の世界で、仏の教えこそ真実だ」という意味です。しかし、太子の妃である橘大郎女(おおいらつめ)が、太子を偲んで天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)という刺繍(現在はその一部が残る。国宝)を作ったことから、少し太子の真意が曲解されるようになりました。すなわち天寿国とは、妃が聖徳太子の往生したとされる世界の名ですが、いつのまにかそれを極楽浄土の世界とされるようになったのです。(天寿は无寿《むじゆ》国すなわち無量寿国,極楽浄土の誤記かという説もあります)。

 釈迦の思想
  釈迦の教えには地獄極楽思想はありません。もともとインドには輪廻転生思想が強く信じられていました(現在でも)。人は死んでさまざまな階層の「あの世」に行き、また生まれ変わってこの世で修行を積み、あの世のさらに高い階層へ行くという思想ですね。釈迦の思想はそれまでのインド哲学を乗り越えるものでした(新しい思想は必ずそれまでの思想を否定するところから始まります)から、輪廻転生思想を否定しました。「死後のことなど考えるな(無記)」と言ったと言われています。

 奈良時代から平安初期の日本仏教
 このころの仏教は、天皇や貴族を中心にした「現世利益(この世での繁栄)」を求めるものでした。それが平安後期になると、地獄極楽思想へと大きく変貌したのです。それを推進したのが末法思想です。末法思想とは、
 正法の時代(釈迦の死後1000年):仏教教義が正しく残っており、教(教説)、行(実践)、証(結果)がすべて完備している時代
 像法の時代(そのあとの1000年):教説と実践のみしか残っていない時代
 末法の時代:教説のみしか残っていない時代、
それがさらに進むとすべてが消滅する法滅期に入る、というものです。

 すでにインドで成立した中期大乗経典の「大集経(大方等大集経)」(「大正新脩大蔵経」 大蔵出版)に見られます。注意しなければならないのは、末法思想とは本来、「このままでは釈迦の法は廃れるぞ」という、専門の僧侶たち相互の戒めだったのです。それがいつの間にか「世界が滅びる」という思想に拡大されてしまったことです(註1)。
註1このように、仏教ではさまざまな思想が次々に整理・拡大されてきました(増広と言います)。そのため、どこまでが釈迦の教えなのかはもうはっきりとはわからなくなっているのです。それが仏教を解釈する上での大きな問題点であることは、すでにこのブログシリーズでお話しました。キリスト教が、新約と旧約など、変更はごくわずかだったことと大きな違いです。
 そして釈迦入滅後2000年目が日本では永承7年(1051)とされ、当時大火や自然災害、疫病や飢饉がくりかえし起こっていたという社会情勢から、末法思想が現実のものとして受け止められるようになったのです。そのため、この世での幸せより、死後の世界での幸せを願う心が庶民にまで広がったのです。
 その要望に応えたのが源信(942-1017)でした。源信は天台宗の高い地位まで登った人ですが、その地位を放棄し、984年に43歳で横川(よかわ)の首楞厳院(しゅりょうごんいん)に隠遁し、天台浄土教の原典ともいうべき「往生要集」(985)を完成しました。
 源信は、この「往生要集」において、浄土思想の観点に立ち、多くの仏教の経典や論書から極楽往生に関する重要な文章を集めました。まず、地獄の様子を、等活地獄から阿鼻地獄にいたる8段階の恐ろしい世界として鬼気迫る迫力をもって描きました。そして極楽の様子も描写し、極楽浄土に往生するための方法を詳細に説いたのです。すなわち、「極楽や仏たちのありさまを強くイメージせよ」と言っています。

 釈迦も驚く日本仏教‐地獄極楽思想(2)

  前回、「釈迦は輪廻思想を否定した」とお話しました。つまり、それまでのインド哲学が、インド独特の身分制度(カースト制)の理論的根拠になっているとして否定したのです。そのため、釈迦仏教の思想は「下層社会」の人々から熱烈な支持を得たのでしょう(註1)。ご承知のように、その後インドでは仏教が排斥されてしまいました。その理由は、バラモンやクシャトリアなど「上層階級」の人々による巻き返しにあったためです。
 しかし、その後、仏教でも輪廻転生思想が受け入れるようになりました。と言うより、それを利用しました。当時のインドの人々の根強い感覚を無視できなかったからでしょう。ただ、重要なことは、仏教では、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天とは、死後に行く世界(空間)ではなく、心の状態のことを指すことです。たとえば、天道界に行けば、心の状態が天のような状態であり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態だ、ということです。

 それをそういう世界(空間)があると考えたのは、源信の驚くべき独創なのです。しかも、地獄を生前に犯した罪悪に従って八つに分け、そのありさまを見てきたように描いたのです。たしかにその思想は当時の人々に強烈な印象を与え、極楽往生を切実に願うようになりました。そして死ぬ間際には、その人を極楽浄土へ導くために迎えに来た阿弥陀如来の姿を描かせ(聖衆来迎図)、その手から導かれた五色の糸を握って死んでいったのです。今も残るそれらの絵には、阿弥陀如来の手の部分に二つの小さな穴が残っているものものがります。五色の糸を通して死にゆく人と結ばせた跡ですね。
 この思想はその後1000年後の今日まで、日本人の精神に強いインパクトを与え、数多くの地獄極楽図や閻魔像が作られました。その意味では源信の大きな功績でしょう。
 「仏教はそれぞれの時代や国の事情に合わせて大きく変貌して行った」と、なんどもお話しました。地獄極楽思想はわが国におけるその例証の一つですね。

註1 釈迦が六道輪廻を説いたかどうか、諸説もありますが、インドの政治家で思想家、ネルー内閣の法務大臣でインド憲法の草案を作った、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(1891-1956)という人がいます。アンベードカルは、インド社会のカースト制度に強く反発し、独特のパーリ仏典(初期仏教経典)を研究した結果、「釈迦は輪廻転生を否定した」という見解を得ました。この アンベードカルの考えが、「釈迦は輪廻転生を否定した」との説として現在有名です(「ブッダとそのダンマ」山崎素男訳 光文社)。筆者もこの説に賛成です。そうでなければ、古代インドのウパニシャッド哲学に対し、釈迦仏教が名乗りを上げる理由がありませんから(それについては、改めてお話します)。

「釈迦も驚く日本仏教ー地獄極楽思想(1,2)」への2件のフィードバック

  1. 大変興味深く記事を拝読しました。

    仏教の発明した「極楽・地獄」というフィクションは現代の私たちにも未だに強い影響を残していると思います。
    また、ISISの若者たちは天国で美女に囲まれて優雅に暮らすのを夢見て自爆するとも聞きます。
    宗教のフィクションはそれを信じる人間の行動を大きく変えてしまう力があると思います。
    いい方向にも悪い方向にも。

    そういったフィクションから醒めるためにも、禅という手段は有効なのでしょうか。

    1. 村井様
      お便り嬉しく拝見しました。地獄極楽思想は、当時(平安時代末期)の社会不安という事情があったにせよ、日本独自のもので、完全に仏教の脇道へ逸れています。
      仏教思想は釈迦の死後大きく変貌してきました。大乗経典類がそれです。浄土思想、法華思想、華厳、唯識みなそうです。
      達磨大師がインドからはるばる中国へ来て禅を伝えたのは、インドで変質してしまった釈迦の思想の原点を示すためだったと思います。
      禅は釈迦の思想を残していると思います。

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