何のために生きる?

 欧米人はなぜ禅に興味を持つのか(4)

 以前お話した、安泰寺住職だったドイツ人出身のネルケ無方さんは、30年の修行の結果。「生きる意味などない」と言いました。筆者は「ある」と確信しています。「生きるために生きる」のです。この言葉を学んだ経緯は以下の通りです。 

 NHK「ドキュメント72時間」で秋田県仙北郡の玉川温泉に、ガンで余命宣告を受けた人たちや、重い病気の人たちが集まって療養する話が放映されていましたね。口コミでかなり有名な場所らしく、これまでに18年間、毎年愛媛県から道の駅で宿泊を重ねて来ている老夫婦、神奈川県から夜通し車を走らせて(!)来た人・・・。多くの人が約一週間自炊しながら滞在しているようです。温泉というより、仮小屋で寝転んだり、噴出口の近くの道路に日傘をさしてお友達とだべったり・・・。岩盤浴、放射性ラドンを含む温泉の蒸気を吸う「療法」のようでした。72時間の間にさまざまな人たちとの対話です。

 ほとんどの方が末期ガンで、「医者から見放され、ワラをもすがる気持ちで」集まって来たとか。「家に閉じこもっていてもしょうがないし」。「いろいろな病院を訪ね歩きましたが、やっぱり(ガンであることが)ウソではなかったと知り、毎日泣きました」(40代女性)。前述の、18年も愛媛県から玉川温泉へ通っているという70代の男性は、温泉の蒸気を吸い込みながら「喘息です(じつは肺ガン)」と言い、「お迎えが来たら素直に受け止めます」と言いつつ、「長生きしたい」と。「なんとか楽観的に」と思っても、厳しい現実を直視せざるを得なくなってきたのですね。2週間の予定で来たのに、体調が悪化し、途中で切り上げることになりました。「今回で最後とし、あとは自宅付近で療養を」と引き上げるとき、多くの友人が見送りに来て、「来年も待っています」と口々に言われていました。

 印象的だったのが、仙台から来た50代の主婦(元銀行員)でした。卵巣がんの末期とか。「息子と娘はすでに成人はしているが、結婚して・・・ところまで見たい。ここで一週間療養すれば、一ヶ月余分に生きられる」と。「誰のために生きる・・・もちろん自分のためですが、家族のためでもあります・・・長生きすることが私の夢です」という誠実そうなその人の言葉は胸に迫りました。

 高校時代の同級生(!)男女数人で来ていた会社経営の女性(66歳)が、「なぜ(そこまでして)生きたいのか」と問われたところ、毛布の中にもぐったままで、「生きるために生きるのです」と。ギリギリの状態の人の言葉だけに、筆者には、いかなる仏教の名言より説得力がありました。

 前にもお話したように、筆者のこのブログシリーズは、少しでもこういう人たちの生きる力になっていただきたいと書き続けています。筆者のご紹介する禅やキリスト教の言葉が、あの人達の心の襞のどこかに残り、いつかある時想い出していただけると嬉しいのですが・・・。

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