7月9日のNHKスペシャル「安倍元首相銃撃事件から1年」を見ました。NHKのこの放送の主張は「いかなる理由があろうと暴力はいけない」でした。しかし筆者はその報道姿勢に強い違和感を覚えました。理由は以下の通りです。
事件を振り返りますと、2022年7月8日奈良市の近鉄・大和西大寺駅前で選挙応援演説中の安倍元首相が山上徹也被告によって手製の銃によって銃撃され、死亡した事件です。山上被告は、母親が旧統一教会に入信し、それにより家庭が崩壊したことに恨みを抱き、「安倍元首相とつながりがあると思い、犯行に及んだ」と供述しています。この事件が私たちに衝撃を与えたのは、その後旧統一教会と自民党を中心とする政治家たちとの癒着ぶりが次々に明らかにされていったことです。旧統一教会が自民党への選挙応援する見返りに日本での布教(?)の〈お墨付き〉をもらったのでした。問題の安倍元首相自身も、旧統一教会の式典に「この教会の活動はすばらしい」とのビデオメッセージを送りました。
さらに、旧統一教会が新規入会者に組織的に、きわめて巧妙な段階的〈洗脳〉を行っていたことを知り、私たちも身震いするほどでした。山上被告の母親は、長年にわたって、死亡した父親の生命保険金や家族が所有していた不動産を売って得た金など、合わせて1億円以上を献金していたとみられています。その〈献金〉額の巨大さにも驚かされました。山上被告には全国から多くの同情が寄せられ、13,000名を超える人たちの減刑嘆願書とともに、洋服や菓子などの差し入れが届いたとか。送られた現金は去年10月までに100万円を超えると言います。NHKは「それらの社会現象が異常だ」と言うのです。
NHK報道の内容
NHKの当番組の論旨は、
・・・・山上被告に共感を寄せ、減刑まで求める人たちがいるのはなぜか。その後も、暴力で自らの主張を訴えるテロ事件が相次ぐ背景には何があるのか・・・・でした。そして最後にアナウンサーの強い言葉で締めくくりました。「動機がなんであれ、暴力に訴えることは断じて許されません」。
その理論的サポートとして戦前から現代にかけて起きたテロや事件について研究してきた中島岳志さん(日本大学教授)の言葉、「被告への共感がうまれることに危機感を抱いています。事件を起こした人を評価、支持するような署名が集まっていることを知ると、『私も(テロを)』と思ってしまうことが考えられるので、冷静に対処しなくてはいけない。テロによって社会は変えられない、テロによって世の中は動かないんだということを、世の中はしっかりと見せつけないといけない」。
筆者のコメント:「筆者はこの番組を視聴して強い違和感を覚えた」と言いました。それは、これは論理のすり替えだと思うのです。まず、この事件の本質は「なぜ旧統一教会をのさばらしていたか」にあるはずです。それを「テロは許されるかどうか」にすり替えているのです。第一、その後「暴力で自らの主張を訴える事件が相次ぐ」ことはありません。岸田首相襲撃事件が一件あっただけです。
NHK側は、「山上被告が高校卒業後に4つの資格を取得しながら非正規雇用の職場をたびたび変わっていたことが、社会に対する大きな不満になっていた。これがこの事件の原因だ」と言っています。その証拠にNHKの記者の一人が「教団に対する積年の思いがあったことは感じるが、今回の事件には直接結びつかないのではないか」との言葉があります。これは独りよがりの発言です。たしかに山上被告の就職事情はNHKの言う通りでしょう。しかし、家庭を破壊されてしまった人間がうまく就職できるとは思えないのです。何よりの証拠は、山上被告の就職用ポートレートです。本当に痛ましいのですが、こんな暗い表情(おそらく面接試験での発言も)の青年を正規社員として雇いたいと思う企業はなかったでしょう。山上被告の伯父はもと弁護士だったのです。お父さんを早くに亡くしているとのことですが、おそらくちゃんとした家系だったはずです。それがこんな青年になってしまったのは、まちがいなく旧統一教会の所為でしょう。山上被告が事件を起こしたことを知ったお母さんが、「それでも教会にすまない」と言ったと聞きます。宗教による洗脳の恐ろしさがわかります。つまり、NHK記者は結果と原因を混同しているのです。
政治学者の中島さんはさらに、「民主主義の基本は徹底的な話し合いです。暴力に訴える前にあくまでも話し合いによって解決すべきだ」という趣旨の言葉を言っています。すなわち、
・・・・まず私たちは理解しようとする努力をしっかりとやるべきだと思います。それは共感するということと、全くイコールではないですね。理解した上で、その問題をどういうふうに乗り越えていくべきなのか。なぜ彼が事件を起こしたのかを、何か一元的にこれのせいだというふうに言うのではなく多角的に分析していくこと、どう捉えるのかを一生懸命議論していくこと、それが非常に重要な社会の役割です・・・・
筆者はそれを聞いて「何という空しい言葉だろう」と思いました。そこにあるのは建前だけです。もし私たちが山上被告の立場だったら何ができたでしょう。普通の市民である私たちができることなど微々たるものだったはずです。おそらく唯一の方法が弁護士を通じて法的に訴えることだったでしょう。しかし、それがいかに無力だったか!30年以上、弁護団の筆頭として被害と向き合ってきた山口広弁護士に、NHKが「どんなことをすればこういう問題を解決できたと思いますか」と質問したところ、山口さんは、「・・・・わかりません。わかりません。わかりません」と涙ながらに答えたのです。旧統一教会問題に関わっている弁護士は200人を越えます。しかし、その彼らをもってしても、どうしても解決できなかったのです。中嶋さんが「話し合いが基本だ」というのを聞いて筆者が怒りを覚えるのは当然でしょう。
いいですか、NHKは「絶対に殺してはいけない」と言いますが、安倍元首相暗殺事件があったからこそ、世の中がこんなに大きく動いたのです。