鵜飼秀徳さん(1974~京都浄土宗正覚寺住職・ジャーナリスト)は、「寺院消滅」(日経BP社)の著者。以下、佐藤優さんとの対話から。字数の制約から一部筆者の責任で表現を変えました。(「寺院消滅時代をお寺はどう乗り切るか-佐藤優の頂上対決 デイリー新潮)から
・・・少子化が進んで、すでに人口減少社会となった日本。その影響は住民が減った地方の寺院に大きく表れている。高齢化した僧侶の後継者は見つからず、檀家減で経済的にも立ち行かなくなった。さらに葬儀の簡素化、墓じまいなどの風潮が拍車を掛ける。今後、寺院が存続していくには、どんな方策があるのか。國學院大学の石井研士教授の試算として、2040年までに日本の宗教法人17万7千のうち35.6%が消滅する。
佐藤(優、以下同じ):少子化、人口減もそうですが、家族形態の変化や都市部への人口集中という現象が拍車を掛けています。
鵜飼(秀徳):・・・・仏教宗派の大手教団はだいたい10年に1度、宗勢調査を行います。それによるとどの宗派も4割くらいが、「後継者はいない」と答えています・・・・仏教では、まず地方に住職のいない空き寺が増えていきます。そこは数年経てば、天井の落ちた“青空寺”になる。島根県大田(おおだ)市の金皇寺(こんこうじ)という浄土宗の寺院が国庫に帰属しました。長らく無住寺院で、境内は荒れ果て、本堂は倒壊寸前でした。ここはかなりの広さがあって、測量にも建物を取り壊すのにも、莫大なお金がかかります。その費用を誰も負担できなかったのです。
佐藤:近所の同じ宗派の僧侶が、空き寺の住職を兼務するということもありますね。
鵜飼:はい。昔はそれにもメリットがありました。空き寺になっても、その檀家が何軒かありますから、兼務すれば檀家が増えます。つまり収入が安定する。ただそうした地域の檀家数は少なく、寺院の修繕費を賄えるほどではないんです。ある程度の規模の本堂だと、足場を組むだけで数百万円かかります。ですから最近は兼務する側も相当に慎重になっています。
佐藤:実は規模は小さいのですが、キリスト教もまったく同じ問題を抱えています。仏教の檀家衆にあたる教会員の数が減っている上に、(会員は)平均すると年に1歳まではいかなくとも10カ月くらい高齢化しています・・・・日本におけるキリスト教のピークは1950年代で、その後どんどん衰退しているのです。日本基督教団では、教会を二つに分け、教会員の数が少なく財政的に成り立たない教会を「第二種教会」と呼んでいます。 籍を置いている教会の儀式にきちんと通う教会員を「現住陪餐(げんじゅうばいさん)」と言いますが、100人はいないと難しいですね。ただ教会がどういう不動産を持っているかで変わってきますし、幼稚園を運営してそこに間借りしていたりすると、30人ほどでも成り立ちます。
鵜飼:仏教では、檀家が少なくとも300軒はないと厳しいです。
佐藤:教学はきちんと学んでほしいですね。牧師でも、学生運動の盛んだった1970年前後に神学部を卒業した人たちは、勉強していませんから、聞くに堪えない説教をすることが多いんです。例えば、人が亡くなった時、「○○さんは肉体の苦しみから救われ、魂は天に上げられました」と言う。これは、キリスト教の教えではありません。世間一般では、死ぬと魂と肉体が分離し、魂は永遠だという受け止め方をされていますが、キリスト教では、死んだら魂も肉体も一度滅び、それが復活するのです。
鵜飼:仏教の説教は、お経を説く(=説経)という意味で、お経について話さなくてはなりません。それをいまは多くが「命を大切に」など、人生論に終始した話をしています。 佐藤:キリスト教カルヴァン派の講解(聖書の解説)説教では、一年を通じて決められた聖書の項目の説教をしなければなりません。でもいま牧師が好むのは「主題説教」ですね。その時、自分の中にあるテーマについて、聖書のいろんな部分を絡めたパッチワークで話をしてしまう。伝統宗教の継承が難しいのは、後継者の問題だけでなく、現代社会の新しい問題にも対応していかなければならないからです。例えば私は、ペットと入れるお墓を探しているんです。
鵜飼:私の寺院は、私が住職になってから墓地規約を書き換え、ペットも一緒に入れるようにしました。
佐藤:それは素晴らしいですね。
鵜飼:いま、ペット葬のニーズがすごくある。人間のお墓とぺットの動物霊園を作っている寺院がありますが、人間の方にはお供えものがないのに、動物の方には尾頭付きの鯛やステーキが供えてあって、その前でボロボロ泣いている人がいるんです。お葬式も人間は簡素化されていくのに、ペットはどんどん大きなものになっています。
佐藤:私の通っているプロテスタントの教会は、一昨年のコロナ感染拡大からZoom礼拝になりました・・・・でもカトリックと正教会、プロテスタントでもルター派は、それが難しい。キリスト教にはパンとワインを飲み食べし、それがキリストの血と肉に変わるという聖餐と呼ばれる儀式がありますが、それらの宗派ではその場にいないと変化が起きないのです。これがプロテスタントの改革派、会衆派の場合は、象徴であるから家のパンとワインでも構わないということになる。
鵜飼:仏教でもコロナ後にオンライン法事からオンライン葬儀まで出てきたのですが、全日本仏教会の調査では、それらを取り入れているのは全体の3%ほどです。まだまだ檀家さんたちは、お寺に行ってお線香の匂いを嗅ぎ、読経の声を聞き、ろうそくの揺らぎを見たいと考えている。逆に檀家さんが求めているのは、お布施の電子決済と、法事などの予約をスマホでできるようにすることです。つまり手続きを簡便にすることだけで、儀式には求めていない。そこを見誤ると、仏教はますます衰退していくと思います。
私は、宗教復興には、きちんと信者からお金をもらうことも大切だと考えています。結局、資本主義社会においては、お金は力にもなるし、欲望にも変わります。だからお金をどれだけ出すかは、非常に重要な問題です。
先日の安倍元首相銃撃事件の背景には、犯人の家庭から世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への巨額の献金がありました。彼らのホームページには、収入の1割の献金を奨励しているとあります。
佐藤:実際の献金額は1億円以上と報じられましたね。でも年収の1割だってキリスト教で出す人はいません。だいたい3~5%程度で、1千万円の年収がある人でも30万~50万円出すのが精一杯という感じです。
鵜飼:仏教だと、0.5%いけばいい方ではないでしょうか。
佐藤:消費税の20分の1ですね。それが今回の事件で、宗教は恐ろしいものと思われ、さらに萎縮してしまうのではないかと心配しています。
鵜飼:都市部のお寺では巨大な納骨堂を建てて収益をあげているところもありますが、もう自動搬送式の納骨堂は供給過多になっています。そうした方向ではなく、地域に開き、地域の人が守っていく体制を作っていく。それが今後の寺院の取るべき道だと思いますね。
筆者のコメント:寺院が消滅していくのは、なんと言ってもお寺に魅力が無くなったからでしょう。何度もお話しているように、有名寺院の僧侶たちですら仏教がよくわかっていないのです。ましてや地方のお寺の代々の住職たちの講話など、若い人たちにアピールする力がないのは当然でしょう。葬式だけがお寺の仕事と言われて久しいですが、それからすら「離れて」きているのです。寺院が消滅の方向に進んでいるのは自然の流れでしょう。現代社会ではますます宗教が必要になっているのですが・・・・。仏教界の根本的な改革が必要なのです。
寺院の「檀家」は寺院がある自治体とは、別の自治体に居住している人でも、親類に当たる人ならば檀家の立場にはなれるのですが、今までの檀家の人が亡くなった際に遠方に住んでいる親類が、檀家の立場を引き継げないこともある(例えば親類自身の高齢と言う事情)ので、檀家の減少が過疎地域では深刻になっていますね。
こういったことがあるので、檀家を引退する人が最近だんだん増えているようです。
昨年に織田信長の側室の1人の生家の菩提寺の寺院が廃寺になると聞き驚きました。やはり檀家の減少と本堂の老朽化と言う事情です。建物が解体されて法人としても解散するとのことで、歴史ファンからは残念に感じる人が多いです。