オーム死刑・村上春樹さんに対する疑問

(1)  2018年7月にオウム真理教の死刑囚13人の刑が執行されました。以下の筆者の意見は、 そのすぐ後に投稿された作家の村上春樹さんの意見に対する疑問として述べたものです。これまで公表しないでおきましたが、あれから1年3か月を経た今、お話させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 作家の村上春樹さんが、今夏突然執行されたオーム真理教幹部に対する一斉死刑執行の直後、毎日新聞に次のような寄稿をしています。公平性を期すため、そのまま再録させていただきます。ちなみに村上さんは著作活動の一環として、一部の裁判も傍聴していました。毎日新聞(2018/7/29)の記事、

 「オーム真理教被告死刑執行について「事件終わってない。胸の中の鈍いおもり」

 七月二十六日に、七月六日に続いて二度目の死刑執行が一斉におこなわれ、これで死刑判決を受けた元オウム真理教信者の十三人、すべてが処刑されたことになる。実にあっという間のできごとだった。 

 一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるとう考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を──技術的にせよ原理的にせよ──排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。 

 しかしその一方で、「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が──多少の差こそあれ──人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じて居られる方も少なからずおられるはずだ。

 筆者はこの記事を読んでとても違和感を感じました。「一体あなたは死刑制度に反対なのですか賛成なのですか」と。要するに村上さんの発言の主旨は「総論反対各論賛成」でしょう。法には「この案件については反対、別の案件については賛成」などという虫の良い解釈はないのです。個々の案件についての審議は裁判官や裁判員が行い、その上で死刑に該当するかどうかが判断されているのです。村上さんのような個人が「個々の案件」について判断するのはナンセンスでしょう。

 村上さんは世界的な読者を持ち、毎年ノーベル賞が期待される著名な作家ですね。しかし筆者は村上さんのこの論説を読んで失望しました。「この人の思想の根本はこの程度のものか」と。

(2)死刑制度存廃の問題は、オーム事件を待つまでもなく、筆者のブログの重要な課題です。

 わが国で死刑制度反対を唱える人たちの主要なキャッチフレーズは「先進国で死刑制度を持っているのは日本と米国だけだ。その米国各州でも死刑制度廃止が進んでいる」というものです。しかしこの論理には大きなごまかしがあるのです。現在死刑制度を持っているのは、大国インドや中国(毎年2000人以上:筆者)、そして韓国があります。それゆえ、確かに世界全体で見た場合、死刑廃止国・執行停止国の合計は139カ国、残置国は58カ国となっていますが、世界人口の半分は死刑制度賛成なのです。さらに、70年代半ばに死刑を廃止したカナダは、国民の60%から70%が死刑制度の復活を望んでおり、国民の3分の2から4分の3が、死刑制度を希望していると言います。さらに70年代半ばに死刑を廃止したカナダは、国民の60%から70%が死刑制度の復活を望んでおり、イギリスでも国民の3分の2から4分の3が、死刑制度を希望しています。さらに戦後死刑制度を廃止し、近年死刑反対運動を国際的に主導しているイタリアですら、国民の半数が死刑の再開を望んでおり、1981年に死刑が廃止されたフランスは、大多数の国民が死刑制度を支持していると言われています(以上、アムネステイインターナショナル調査から)。

 これらの理由から、筆者は日本の「先進国で死刑制度を持っているのは日本と米国だけだ。その米国各州でも死刑制度廃止が進んでいる」などというごまかしがとても嫌いです。ちなみに世論調査によると、わが国でも80%以上の人が死刑制度を支持しています。さらに、死刑制度に反対する人たちは「重大犯罪の抑止力にはならないから」と言っていますが、支持する人達は「遺族感情を重んじて」というのが主な理由です。よくわかりますね。

 「闇サイト殺人」という驚くべき事件があったのは筆者の家の近くでした。被害者は母一人子一人の家庭で、上品な感じのお母さんが「無期懲役になった二人にも極刑を」と言っていたのが印象的でした(ちなみに主犯のみが死刑)。知人に、「裁判員裁判の担当死者に選ばれたくなかったら『私は死刑制度に反対ですから』と言えばいい」と言う人がいました。筆者はこのお母さんの例を挙げて「そんなことは絶対に理由にしてはいけない」と諭しました。

 村上春樹氏は高名な人ですから、新聞に寄稿すれば即採用されるでしょう。それに対し私たち一般大衆の意見が取り上げることなどごくまれでしょう。筆者は「高名さゆえにマスコミというメデイアを通じて、影響力のありうる『個人的意見』を述べることは許されない」と思うのです。

3 thoughts on “オーム死刑・村上春樹さんに対する疑問”

  1. 死刑制度の問題点は、この被告は死に値する・しない、の線引きの基準が、客観的基準に基づいておらず、司法の心証という、ことごとく曖昧な人間的な要因に拠っているところにあると思う。人の命の存続の可否を、別の人間が裁いていいものだろうか。

    1. 線引きの基準は、曖昧ではないと思います
      よ。逆にもっと遺族の心証を鑑みて厳しくすべき事件が多すぎます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です