(1) 最近、植木雅敏さん(仏教思想研究家)をゲストにNHKで放映がありましたね。しかし筆者には「なぜ今ごろ」と思ううのです。番組の内容を簡単にまとめますと、
・・・釈迦の死後仏教界は分裂し、約20の部派に分かれたこと(註1)、その中で「切一切有部」がもっとも勢力が大きいこと、しかし次第に権威主義的になり、「自分たちだけが悟りに達すればいい」と考えるようになったことが、後に強い批判を浴びるようになり、それに対する反発が徐々に新しい思想へと発展しました。いわゆる大乗仏教ですね。まず般若経や維摩経としてまとめられました。そこでは部派仏教を「小乗仏教」と決め付け、教えを「聞いて」学んだ者を声聞(しょうもん)、独学した者を独覚とに分けました。ちなみに「乗」とは乗り物を指し、悟りに至るための手段のことです。つまり、小乗とは初期仏教徒をバカにした言葉です。
そして、釈迦のみを菩薩と呼び、完全なる悟りに至った人(ブッダになれた人)だとし、声聞や独覚は、それぞれ、声聞果、独覚果という、ブッダより一段低い、阿羅漢の境地にしか至れないとしました。さらに、般若経や維摩経のような初期大乗仏教では、「すべての人間は悟りに至ることができる」と言いながら、声聞や独覚のひとたちを例外とみなすという、自己矛盾に陥っていたのです。そしてそれらを統括する教えとして、「釈迦が最後にお説きになったのが法華経だ」と、法華経を尊重する人たちは言います。しかし、初期仏教の経典類(スッタニパータなど)と大乗経典の法華経とはまったく異質です。
筆者のコメント:まず、小乗仏教と言う言葉が貶称(バカにした言葉)です。にもかかわらず植木氏のような現代人でさえ注釈なしに使うのはいかがなものでしょう。さらに重要なことは、釈迦が「最後にお説きになったのが法華経だ」という考えには根本的誤りがあることです。法華経は釈迦が直接説いた教えではないのです。このことはすでに学問的に確立しています。それゆえ、植木氏がいまだにそう考えているのは驚きです。大乗経典類は、おそらく後代、インドの無名の、しかし優れた哲学者たちが積み重ねていった思想なのでしょう。
たしかに古来、「すべての経典は釈迦がお説きになった」という根強い考えがあります。さまざまな矛盾のつじつまを合わせるために考えられたのが五時八経説などのこじつけなのです。すなわち、釈迦が悟りを開かれて最初にお説きになった教えが華厳経・・・、そして最後にお説きになった最高の教えが涅槃経や法華経だというのです(註2)。これに対し、「大乗経典は釈迦が説いた教えとは大きく乖離したものである」と見抜いたのは、江戸時代の若き学者富永仲基です。すべての経典を一切経とか大蔵経と言い、約5000巻あります。富永は主要なものを読んで、それらの内容が階層的になっていること、後期の大乗経典類は、初期仏教の経典から大きく変貌していることを見抜いたのです。まさに大天才でしょう。
註1偉大な釈迦が亡くなられた後、迦葉(かしょう)を中心にして「釈尊の教え」について、さまざまな弟子たちの記憶が突き合わされ、調整されたのは当然でしょう。にもかかわらず、その後意見を異にする部派が20もできたのです。それだけインド人は思索好きなのでしょう。
註2天台智顗(ちぎ、隋代の僧侶、天台宗の開祖)が、一切経を釈迦が悟りを開いてから亡くなる前の45年間に説かれたものとして時系列に従って分けた説。華厳時(華厳経)-阿含時(阿含経・発句経)-方等時(阿弥陀経・観無量寿経など)-般若時(大般若経・般若心経など)-法華・涅槃時(法華経・涅槃経など)。日本へは天台宗の最澄のが紹介しました。これを日蓮が採用し、「法華経」が最高の教えであるという根拠としたのです。そのため、創価学会など、日蓮宗系の宗派がこの説を採用していますね。
(2) 筆者は以前、法華経を通読して奇妙な読後感を持ちました。法華経の中に「法華経はすばらしい」「法華経は最高の教えである」と何度も書いてあるのに、その中身が示されていないからです。後に江戸時代の学者平田篤胤が、「法華経はみな能書きばかりで、かんじんの丸薬 がありはせぬもの」と筆者と同じことを言っているのを見付け、噴き出しました。まさに「王様は裸」だったのでは?
要するに法華経の趣旨は1)すべての人間には仏性がある(長者窮子ちょうじゃぐうじの比喩 《信解品》や髻中明珠けいちゅうみょうしゅ《安楽行品》の比喩、常不軽菩薩 じの比喩《常不軽菩薩品》など。「すべての人間」の中には、悪人(ダイバダッタ)や女性が含まれています)、2)すべての人間は最高の悟りに達することができる、そして、3)法華経を伝えることの大切さ、だと思います。創価学会会員の、ときには異常と思える熱心な布教活動は、3)の教えによるのでしょう。そして、道元や宮沢賢治が法華経を尊重したのは、おそらく1)の理由からだと思われます(註3)。たしかに重要な教えですが、道元以前の禅の世界では繰り返し指摘されている事柄です。わざわざ法華経にもどるまでもありません。そして道元は永平寺という雪深い修行道場を本拠とし、けっきょく3)は実践しませず、悟りに達するためには専門僧になることを強く勧めています。「すべての人間」ではありませんね。むしろ初期仏教の教えに添うものですね。
法華経にたいするもう一つの重要な疑問は、悟りに至る方法についてはまったく触れられていないことです。釈尊は、悟りを得る「ある方法」を地涌の菩薩のリーダーに与えたとありますが、その方法は法華経には書かれていません。天台智顗は、悟りの内容を「一念三千」という形で体系づけ、瞑想のような方法で自ら実践はしていたが、公開して人に勧めるようなことはしなかった。日蓮は、「法華経の文の底」から「釈尊の真意、真理」を読み取り、「一念三千の法」を文字漫荼羅として顕わし、「南無妙法蓮華経」と唱えていくことで、「すべての人が今世で悟りを得ることができる」と説きました。
筆者は法華経には屁理屈が少なくないと思います。たとえば、初期仏教(部派仏教)徒を小乗仏教徒と貶め、「彼らの修行法では最高の悟り(ブッダ)には至れない。法華経で説かれた方法が最高の教えである」と言っています。しかし、初期仏教も釈迦が説かれた教えなのです。この矛盾を法華経では「釈尊はあれは方便だったと言っている」と説明しています。つぎに、「女性も悟りに至ることができる」は、法華経の眼目の一つです。八歳の竜女が悟りに至った(提婆達多品)とありますが、「釈迦の弟子たち」が『そんなはずはない』と言いますと、竜女はパッと男に変身して、「だから私も成仏できた」と説明しています。変成男子ですね。「女性も悟りに至ることができる」とは矛盾していますね。さらに、とつぜん地面から膨大な数の菩薩が出現した(地湧菩薩)。釈尊が彼らすべてを悟りに至らせた、と言うのです。それに対し「弟子たち」の『悟りを開かれてから亡くなられるまでわずか45年だ。そんな短い間にそれほどのひとを成道させられるはずがない』という当然の疑問に対し、「釈尊は何度も生まれ変わっていらっしゃる。その生涯毎に成道させた人たちだ」と説明するのです。ご都合主義に唖然としますね。
註3道元は、法華経を尊重する比叡山延暦寺で修行した人ですから、正法眼蔵や永平広録などの教えの中で法華経の言葉を多用するのは当然でしょう。