Yuriさんから次のような質問がありました。
・・・「空」は「神」でしょうか・・・
筆者:そのとおりです。「こういう読者が現れたか」と思っています。
Yuriさんの言葉には少し飛躍がありますので付け加えさせていただきます。「空」は神理に通じる手段(モノゴトの観かた)です。なんども繰り返しますが「空」とは、モノゴトのもう一つの観かた、「モノゴトを見る(聞く、味わう、嗅ぐ、触る)という体験」です。体験は一瞬で、その対象的部分がモノゴトであり、主観的部分が「私」です。西田幾多郎やカントは「この体験こそ真の実在である」と考えました。つまり「空」のモノゴトの観かたで見たモノゴトこそが神理(神)なのです。
しかし、禅のすばらしさは、「モノゴトがあって私が見る」モノゴトも実在の他の側面だと看破したことです。それを「色(しき)」と名付けました。そして「空」と「色」は「同じではないが別でもない(不一不異)」としました。禅ではこれら全体が「神」の世界なのです・・・
筆者がよく使う比喩でお話します。
・・・人生とは人間は途方もなく大きな円の上を歩いている、とお考え下さい。その円の中心に神がいらっしゃり、歩いている人間に向かって光のビームを照射している。歩みの一瞬、一瞬に生かされているのです。その一瞬、一瞬に体験した世界が「空」なのです。
・・・・・・
Yuriさんの独り言:
・・・ヨガのマントラである神の名前、「オーム」を唱えた後の、静かで穏やかで平和な時間と空間に出現する存在
誰もが感じたことのある感覚
時の流れ
懐かしいと同時に遠い未来であり、今現在
小さい頃、常に過ごす世界
段々と失う世界
取り戻そうと苦しみもがき
古来から世界中の様々な人が道しるべを示している心の状態
深い瞑想や日々の心がけにより意識的に到達できる境地・・・
筆者:Yuriさんは詩人ですね。ちなみに「オーム」と言うのは、神につながる「音」です。仏教では真言と。日本神道では「オー」と唱えます。オーム真理教の「オーム」もそこから来ています。こういうセンスが「空」とは「神」と気付いたのでしょう。Yuriさんのお考えをもっと話してください。取り上げさせていただきます。