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角川春樹さんの霊言?

角川春樹さんの霊言?

 毎日新聞令和2年10月16日の「この国はどこへ コロナの時代に」に角川春樹さんのインタビュー記事が載せられました。角川さんはご承知の通り現代屈指のプロデユーサー、俳人であり、映画監督ですね。「男たちの大和/YAMATO」が大ヒット。最近作では「みをつくし料理帖」が話題になっています。

 まず角川さんは、「去年の12月下旬に、妻(6度目の妻ASUKAさん?なにかと話題の多い人です:筆者)が胃腸炎で3日間苦しんだ末、神がかりになった」ことから話を始めます。「妻が『瀬織津姫という神様知ってる?夢に現れた。あなたは、瀬織津姫の神社にいかなきゃいけない』と言った。私(角川さん)は群馬県嬬恋村の明日香宮の宮司を84年からしてますので、すぐに瀬織津姫は祓戸(おはらい)の四柱のお一人だとわかった。妻は続けて『これから世界的なインフルエンザが流行する。この古い神が復活し、疫病を収束させる』(もちろん、中国武漢のコロナウイルスが大ニュースになる前ですね:筆者)と。私(角川さん)も半信半疑でしたが、東京・汐留の日比谷神社に家族とお参りに行った。その後も妻が『オリンピックが開けなくなる』と言っているうちに、コロナが世界に広がって、ようやく私も信じたのです。そして、祈る力でコロナの流行を止めたいと、2月以降は神社で祈祷を上げ続けました。すると五輪の延期決定、緊急事態宣言、首相の交代まで、先に起こることが次々に見えてきたのです」。記者:驚きの告白はさらに続く「9月9日の時点で、もう日本にはコロナの大きな波は来ず、徐々に収束していくとわかった。もう大丈夫です」。

 記者は言います「それが『お告げ』なのか、角川さんの洞察なのかは、推し量りようがないが、角川さんは前者だと言う」。

 角川さん自身も「奇跡を体験した」とか。「冒険中遭難で読経すると海流の向きが変わったり、戦艦大和の沈没地点を祈りで突き止めたり・・・」。

 つづいて角川さんは重要な提言をしています。

 「この世界的コロナ騒ぎは、人間の考え方を刷新させる大事件だ。近年、アメリカのトランプ大統領を初め、欧州でも自国ファーストとの考えが台頭している。多文化共存に背を向け、白人至上主義とという遺物にすがり付いている。それらの国は、一神教で、古い神々を追い出してきた。そういう国でコロナ禍が激しい。多神教の日本では、幕末のコレラの大発生した時、地元の産土神(守護神)につながってきた人たちが救われた。日本は古来、すべての物に神が宿るというアニミズム信仰の国だった。今こそアニミズムの復活が望まれる」と。

 長年明日香宮の宮司を務めてきた角川さんは、「神道の原理は、『我は神なり、神は我なり、神は我と共にあり』で、自然の中に神がいる」と言う。さらに、・・・世界的コロナ騒動は、一神教が衰え、アニミズムが広がっていく大きなきっかけだ。ただ、スパンは長い。その前にトランプが言うような排他的な考えはもっと強まり、日本を含め、世界が保守的、右翼的になっていく」とも。

筆者のコメント:筆者も「我は神なり、神は我なり、神は我と共にあり」の考えには同感で、このブログでもたびたびお話しています。ただ、角川夫人が瀬織津姫と感応したとの話は疑問です。おそらく低級霊の憑依によるもので、危険です。低級霊にとって「世界的なインフルエンザの流行がある」と予言することなど簡単なことです。角川さんに見えた、オリンピックが中止になることなど、誰にでも予想できたことです。9月以降にコロナが収束に向かうことも、筆者にはわかっていました。つまり、角川さんの言葉は神の霊言ではないと思います。

「空」と「瞑想」は違います-Huさんへ

  Huさんから次のような返事がありました。筆者の前回のブログ「デフォルトモードネットワーク(4)」についての感想です。「Huさんのおっしゃる『デフォルトモードネットワーは空即是色です』の意味がわかりません」との筆者の質問に対する回答です。他の読者の皆さんの参考になると思いますので、引用させていただきます。

Huさんの解釈:

 ・・・あるがままについての説明が不十分だったようです。デフォルトモードネットワークとそれ以外のネットワークとの関係を考える必要があります。物事に集中しているときに働いている執行系ネットワーク(central executive network)というのがあります、これが活動している時はデフォルトモードネットワークは抑制されており、逆に執行系ネットワークが抑制されると、デフォルトモードネットワークが活動し始めます。そして、この二つネットワークの活動の切り替えを気づきネットワーク(salience network)が担っています。凡夫が呼吸瞑想している時のことを想定してもらうと、まず腹部の膨らみ凹みに注意を向ける時、執行系ネットワークが働き、集中が途切れる時デフォルトモードネットワークのマインドワンダリングになり、気づきネットワークが呼吸への注意に戻します。しかし高僧の場合はそんないちいちの切り替えはなく、三つのネットワークが協調して中道の状態にある、三つのネットワークは働かないわけではなく、また滅せられているわけでもない。これがあるがままの意味です。ここでデフォルトモードネットワークのマインドワンダリングは無駄なものではなく、振り回されることなくその法位に住していれば迷いの中に現れる悟りもあります。扁桃体の暴走を後者の前頭前野がコントロールするというの図式がありますが、両者の協調した中道の状態が慈悲のエネルギーを生み出します。そのような状態の扁桃体は余分な働きはないのでその体積は縮小します・・・

筆者のコメント:Huさんは筆者が期待している人です。ただ、残念ながらHuさんは「空」がどのような概念かがわかっていないようです。筆者の質問は「デフォルトモードネットワークと空即是色がどう関わっているのですか」でした。その答えが上記のコメントです。その内容はやはり瞑想に関するものだと思います。つまり答えになっていません。「空」思想の内容というより、それ以前の問題です。「空」はどんなカテゴリーの思想なのか、なのです。Huさんは「空」とはモノゴトの観かたなのか、瞑想の状態を指すものなのか、それとも心の問題なのかがわかっていないようなのです。「空」は禅の基本思想です。「禅はわかったか、わからないかの世界だ」というのはこういうことなのです。筆者はHuさんと同じように禅を真摯に学ぶ者です。妥協はできません。禅でよく言う「三十棒を受けるべき人」です。どうか筆者のこのコメントを謙虚に受け止め、初心に帰ってください。

 

禅がむつかしかったら良寛さん

 「禅はむつかしい」という声をよく聞きます。それならまだいいのですが、そうとう禅を学んでいる人でも、誤って理解している人が少なくありません。「禅はわかったかわからないかの世界だ」と言います。その通りだと思いますが、それでは、「禅はむつかしい」という人には身も蓋もない話になってしまいます。そこで提案です。どうか良寛さんの言動を調べ、短歌や漢詩を味わってください。そうするうちに自ずと禅の心というものがわかってきます。たとえば次の詩を読んでください。

生涯身を立つるに懶(ものう)く
騰々(とうとう)として天真に任す
嚢中三升の米
炉辺一束の薪
誰か問わん迷悟の跡(あと)
何ぞ知らん名利の塵
夜雨草庵の裡(うち)
双脚等間に伸ばす

・・・頭陀袋の中に米三升、薪一束があれば十分だ。悟りなどどうでもいい。名声やお金など塵と同じだ。一間きりの庵の中で、二本の足を長々と延ばして、雨の音を聞いている。・・・そういう生活で十分満足しているのだと言うのですね。子供たちと日がな一日遊んでいる良寛さんを見て、村人の一人が「お経も読まず、子供たちと遊んでばかりいて」と咎めると、「これが私です」と呟くのみだった。またあるとき、夕方良寛さんが家路をたどっていると、農家のおじいさんが呼び止め「トウモロコシを食べて行きなさい。お酒も飲んでください。こんなことでよかったらいつでも寄ってください」と。地域の皆さんに愛されていたのですね。

 良寛さんは永平寺よりも厳しい修行道場である備中玉島圓通寺で18歳から10年にわたって修行し、国仙師から印可を受けた人で、しかるべき寺の住職にもなれる人だったのです。そこでは衣食に困らず、弟子を教育し、尊敬されて一生を送ることもできたのです。しかし、それらを一切捨て、さらに10年間求道の旅に出、39歳のとき故郷の越後に帰ってきました。その間に禅の心を生きるとはどういうことかを徹底的に追求し、ついに越後でのあの生き方こそ「正しく禅の心を生きることだ」と悟ったのでしょう。

 良寛さんの生き方を知るエピソードはたくさんあります(漢詩や和歌として残っています)。漁師小屋が火事で焼けた時、たまたまそこにいた良寛さんを失火犯人だとみなし、漁師たちが袋叩きにした。そこへ通りかかった知人がなにがしかのお金を与え、「どうして『私ではない』、とおっしゃらなかったのですか」と聞くと、ただ「言ってもしかたがないから」と。

 良寛さんと親しく接した越後の大庄屋である解良栄重は、「良寛さんが家に来られると、教えを説くのでもないのに、その後何日も家の者たちが和気あいあいとする」と「良寛禅師奇話」に書き残しています。

 なんとも爽やかなエピソードですね。一切のこだわりを持たない、良寛さんの人柄がよく出ています。「良寛さんは越後で熱心に人々を教え導いた」と言う人がよくあります。しかし、そんなことでは良寛さんをわかりません。良寛さんはただ「あるがまま」に生きただけです。それだけで結果として人々の心を豊かにしたのです。そこがすごいのです。

 「良寛が人びとに食べ物を無心した手紙が49通もある」などと言って批判する研究者もいます。「○○の勘繰り」というやつでしょう。「それならあなたがやってみなさい」と言いたいのです。2回目からは相手にされなくなるでしょう。あの傲慢な北大路魯山人でさえ、良寛さんの書を激賞し、「良寛様」と呼んでいるのです。

 新潟県燕市国上寺中腹にある良寛さんの庵、五合庵の前には、

 「焚くほどは風がもて来る落葉かな」

の有名な句碑があります。実はその数年前に一茶が作った「焚くほどは風がくれたる落葉かな」を改作したものです。

・・・・・・心境の違いは歴然としていますね。

 筆者はこの10年間、たくさんの禅の書物を読み、近・現代の禅師や仏教研究家のお話を聞きました。それはそれなりに得るところは多かったのですが、やはり禅の心は良寛さんの言動に尽きると思うのです。なんとか良寛さんの息吹に浸りたいと、良寛さんの故地・新潟県の国上山五合庵や、出雲崎、与板なども訪ねました。

 ・・・ことほど左様に、筆者は良寛さんのことを語れば、尽きるところがないのです。

デフォルトモードネットワークと「空即是色」

 Huさんから次のようなコメントをいただきました。

 ・・・デフォルトモードネットワークそのものが空ではないと思います。私も含め凡人がデフォルトモードネットワークに入ると少なからずマインドワンダリング状態(暴走状態)になります。しかしデフォルトモードネットワークがあるがままになれば、それはアイデアの源泉であり生かすことができます。デフォルトモードネットワークは想(saññā)の海と喩えることができると思います。ブッダの「想い想うのでなく、無い想いを想うのでなく、想わないのでなく、想いを滅したのでもない」がデフォルトモードネットワークのあるがままの状態ではないかと思います。扁桃体という種々の感情の源泉となる脳の部位がありますが、チベットの高僧の脳科学的検索によると、彼らの扁桃体は通常と同じ活動をしていたとのことです。扁桃体があるがままの状態でいるということです。これが空即是色ということだと思います・・・。

 これは以前、瀧川哲さんからいただいた・・・「デフォルトモードネットワークは空です」というコメントに対し、筆者が「それは誤りだと思います」とお答えしたブログについてのHuさんの感想です。

 Huさんは以前から時々コメントをいただいている人で、パーリ語仏典の中でも最も色濃くブッダの言葉を伝えていると言われている「スッタニパータ」や、道元の「正法眼蔵」までよく読んでいらっしゃり、筆者が期待している人です。筆者が指摘した誤りも素直に認めるところが好ましく思われます。

 さて、デフォルトモードネットワークとは、前回もお話したように、「取りとめなくさまざまなことを考えている脳の状態」です。「取りとめなく」と言っても、それが円滑に行けば良いアイデアも生まれるとも言われます。逆に、過剰に働けば、過去の苦しいこと、不愉快な思い出、悲しい思い出を繰り返し思い出すことになり、しばしばうつ病の原因になる。そこで、過剰なデフォルトモードネットワークを鎮めてうつ状態から脱し、前向きな姿勢になるメンタルトレーニング講座なども開かれています。

 さて、Huさんのおっしゃっている「チベットの高僧は、偏桃体の脳科学的検査の結果では『あるがまま』だった」についてお話します。脳の扁桃体とは、扁桃(アーモンド)状の神経が集まっている部位で、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)、直観力、恐怖、とくに不安や緊張、恐怖反応において重要な役割も担っているとされています。チベットの高僧の偏桃体の活動が「あるがまま」とは、「デフォルトモードネットワークが活発に働いている時でも偏桃体神経の活動は平静だった」という意味でしょう。

 次に、ブッダの「想い想うのでなく、無い想いを想うのでなく、想わないのでなく、想いを滅したのでもない」は、スッタニパータ(中村元訳「ブッダの言葉」岩波文庫)にある言葉で、

 873 形態の消滅に対する回答として、
・・・ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。―このように理解した者の形態は消滅する・・・けだしひろがりの意識は、思うに基づいて起こるからである・・・

筆者のコメント:デフォルトモードネットワークがあるがままの状態であることが、ブッダのこの言葉と関連していることはよくわかります。やはり瞑想と関係があるのでしょう。 Huさんといい、瀧川さんといい、どうもデフォルトモードネットワークを「空」や「色即是空」に結び付けようとする人たちが少なくないようです。しかし、デフォルトモードネットワークがあるがままの状態であることが、なぜ「空」や「空即是色」につながるのか、筆者にはわかりません。考えに大きな飛躍があると思います。Huさんにお尋ねし、もっと詳しく説明していただきましたが、やはりよくわかりません(Huさんの回答については「読者のコメント」をお読みください)。

Huさんへ。筆者のこの文を読んだ感想をお聞かせください。

本庶佑さん-反禅の心

前回、曽野綾子さんの海外慈善活動につてご紹介しました。まことに爽やかで、胸のすくようなお話ですね。そのエピソードを教えてくださった畏友Aさんに依りますと、現在は活動休止中とのことですが、曽野さんたちの行動は現在でも色褪せていません。

 それに比べて、ノーベル賞受賞者の本庶佑博士の言動の重苦しさはどうでしょう。本庶さんは、抗ガンの魔法の薬と言ってもよいオブシーボの特許料に不満があると、小野薬品工業を提訴しています。ご存じの方も多いでしょう。これまで小野薬品は本庶博士が受け取りを拒否してきた22億円(4年間!)を大阪法務局に供託してきました。それを税務局は「申告漏れ」と認定し、過少申告の罪も含めて7億円を課税したのです。

 しかし本庶博士の最近の言動には多くの人が首を傾げています。以前、NHKの「フランケンシュタインの誘惑(#15)」で、米国での麻酔法の特許にまつわるスキャンダル番組がありました。その初めに、本庶さんの訴訟問題が悪い例として紹介されていました(笑い)。筆者も医学の研究をしていましたが、研究成果を特許の対象などと考えたことはありません。研究費は日本国と、民間の研究支援財団から提供されていましたし、家族の生活費も国家から頂いていました。もし研究成果を人びとのために役立てることができたら、科学研究従事者としての大きな喜びです。多くの研究者がそう思っているでしょう。

 けっきょく本庶さんは修正申告して7億円!を納税しました。会見で「税理士や弁護士と相談した結果です」と言っていました。当初、「よく7億円も払えたな」と思いました。しかし後で、本庶さんは法務局に預けられていた22億円を受け取り、その中から7億円を支払ったと知り、思わず笑いました。供託金を受け取ったということは、小野薬品工業との契約を了解したことになるからです。第一、法務局が供託金として受け入れたことは、小野薬品工業と本庶さんとの当初の契約が正当だと認めたからに他なりません。 おそらく税理士や弁護士は「供託金を受け取らなければもっと重い加算税を支払わなければならない」とアドバイスしたのでしょう。 つまり、この問題の法的見解は確定しているのです。これで今度の訴訟は負けです。

 本庶さんは、このような個人資産を「京都大学の若い研究者の育成に充てる」としています。それはそれで立派ですが、本庶さんの言い逃れには決してなりません。オブシーボの価格は莫大ですが、本庶さんが多額の報酬を得れば薬価がさらに上がってしまうのです。本庶さんは会見の中で「後は個人のプライバシイの問題になりますので・・・」と言っていました。公人である者の「プライバシイ」とはどういうことでしょうね。本庶さんが受け取りを拒否していた理由は「私が法的に無知なことを良いことに、鋪野薬品が不当に安い特許料の授受を契約させた」とのことです。

 本庶さんと対照的なのが、2015年にノーベル医学・生理学賞を受けた大村智さんです大村さんは、線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療薬を発見しました。すなわちこの薬は、熱帯地方の風土病河川盲目症やリンパ系フィラリア症などに極めて優れた効果を示します。そして世界保健機構(WHO)を通じてアフリカや中南米、東南アジアなどに無償・低価格で提供されています。そのため、沖縄を含む熱帯地域に住む人々述べ10億人以上を風土病などから救ったのです。現在、コロナウイルスに対する効果も期待されています。

 大村さんのすばらしさは、これらの治療薬の商用利用で得られる特許ロイヤリティの一部を放棄したことにあります。それにより低価格または無償の配布が実現したのです(製造元のメルク社が証言しています)。たしかに大村さん自身も多額の利益を得ました。しかし、私費5億円を投じて故郷の山梨県に韮崎大村美術館を建設したり、女子美術家の育成に多額の援助をしています。