どんなに無念でも(1)

 Aさんは筆者が出会った尊敬する人です。地方の中企業の元社長で、筆者と同年という親しさから、ここ10年親しくお付き合いいただいています。もともと国家公務員として将来を約束されたコースを歩いていましたが、30歳代にお父さんが急死し、跡を継ぐことにしたと。統計によりますと、近年起業した会社が続けられるのは平均3~5年とか。それを50年以上維持してきたのですから立派です。お父さんの会社を閉めて、自分は元のエリートコースを進むという選択肢もあったはずですが、そうはできなかったのです。聞くところによりますと、地方の会社を潰してしまうと、もうそこには住んでいられないとか。一定の雇用もありますから、地域の人たちの家族が路頭に迷ってしまうからでしょう。同じ公務員であった筆者には想像もつかなかったことです。

 Aさんから学んだことは多いのですが、その一つをご紹介します。

「他人に騙されたこと、裏切られたことは何度もある」と。誇り高いAさんにはどれほどか無念だったことでしょう!またある時は、代金を中々払ってくれない事業所があった。中小の会社というものは、その年の分はその年内に決算しなければ立ち行かないことは、素人の私でもわかります。その会社へは何度も足を運んでお願いしたそうです。もちろんそのときは腹を立てたり理屈を述べることなどできません。そんなことをしたら次がないでしょう。

 仕事の注文は努力しなければ得られないものです。「注文が得られたときは100%、なかったときは0%。次はどうしよう。眠れない夜が続く・・・・・」。最近、筆者の近所の大きな商店が倒産しました。かなり手広くやっていたことが窺われていましたから、ショックでした。店舗のガラスには「ここにあるすべての商品を移動することを禁じます」という弁護士の張り紙が。驚いてAさんに報告したところ、「事業者はいつも、明日はわが身と思っています」との返事。まことに厳しい世界ですね。筆者は公務員として生活に不安を感じたことはありません。「申し訳けないようなことです」と言いますと「研究者が生活の心配をするようではよい研究はできません」との返事でしたが・・・・。

 Aさんの誠実さは病気の治療にも表れています。専門家の目で見て、油断のならない持病をお持ちなのですが、病院に行くのも薬も飲むのも主治医の指示を忠実に守り、「あなたは優等生です」と言われているとか。そのため、体調はきちんと管理され、お仕事にも支障がないのです。ふつう、こういう長期間自己管理を必要とする病気に掛かると、多くの人が、得てして「めんどうだ」と医師の指示をきちんと守らないことが多いのです。

 いろいろお話を聞くと、いつも「会社はこの人で持っている」と強く感じます。つまり、引退したくてもできないのですね。「余人には任せられない」のです。「会社をもっと大きな会社に吸収合併してもらう」という話も出たようですが、なかなか難しいようです。お会いするたびに「もう義務はとっくに果たしていらっしゃるので、これからは美味しいものを食べ、いろいろなところへ遊びに行ってください」と言っています。しかし、毎月というわけにはいかないようです。お会いした時はいつも「明日は仕事で〇〇へ」という忙しさです。ただ、筆者と同じように、東北地方が好きで、太宰治のふるさとや、花巻の宮沢賢治ゆかりの地、遠野の里に何度も足を運んでいると聞いて、ホッとしています。

 Aさんはいわゆる市井の人です。しかし、市井にもこんなに立派な人がいるのだという事を知りました。日本はバブル以降、「空白の30年」を経験しました。ダメな国になってしまったのです。どんなに政治家・経済家が頑張ろうとも、日本人全体の活力を上げるのは容易ではないでしょう。新興国もどんどん追いかけていますし。今後、一体どうなるのかが気掛かりです。ただ、市井にはA さんのようなりっぱな事業者がいることを知って「まだ日本もやれる」と、ホッとしている日々です。

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