ヒマラヤの奥に未知の高峰があるらしい。
その頂に至れば、いかなる苦しみにも耐え、いかなる悲しみも克服できる、
絶対安心の境地になれるという。
神が居ます頂きだ。登頂した人がいるようだがよくわからない。
今までどれほど多くの人がその頂に立ちたいと願ったか。
どれほど多くの人が途中で挫折したか。
どれほど多くの人が「それに達した」と思い込んだか。
今なお、さまざまなグループが「自分たちこそ正しいルートを辿っている」と
確信している。
しかし・・・・
「正しいルートを歩いている」となぜ言えるのか。
では「間違ってはいない」とどうしたらわかるのか・・・・
それは奇跡が起こったかどうかだ。
奇跡が起こったことは、もちろん本人には分かる。
しかし、
本人だけがわかるのではない。偶然それを見た他人もわかるのだ。
まったくの素人でも・・・・。
彼らにはその意味は分からない。
ただその不思議を目を丸くして見ているだけだ。