憎しみの連鎖を断つ(3)

 最近、パラ五輪日本代表女性アスリートがライバルに中傷のメールを送ったとして一審、二審ともに有罪とされ、予想を超える多額の賠償命令が出されました。メールの内容を読んで、あまりにも低次元で、不快になりましたので、有罪判決は妥当だと思います。中傷メールを送られた方の不愉快さは想像に余りあります。有罪判決が出たことで、少しは癒されたでしょう。ただ、勝った原告も、これから周囲の厳しい目に会うだろうと気掛りです。俗にいう「人を呪わば・・・・」になりかねないのです。

前回、イラン出身の女優サヘル・ローズさんが、「母(フローラさん)から、あなたはイランの孤児ですが、イラクにもあなたと同じように戦争で両親を亡くした子供たちは大勢いるのです。恨んで報復することなど考えてはいけません。そこからは何も生まれないのです。戦争はどちらが勝つか、どちらが負けるかということはないのです。どちらも負けなのです」と言われたとお話しました。まさに母フローラさんの言うとおり、「争いはどちらが勝つか、どちらが負けるかということはないのです。どちらも負けなのです」ね。

 昔、大学紛争が盛んだったころ、筆者の所属する学科のある研究室の教授が研究室員に告発されたことがあります。筆者は助手会で「訴えは危ない」と異を唱えましたが、多数意見に押し切られました。結果はうやむやになりました。しかし、問題はここからです。教授が社会的に制裁を受けたのはもちろんでしたが、二人の助手も無傷ではありませんでした。一人は退職し、もう一人は窓際に追いやられてしまったのです。すなわち、助教授にはなりましたが、学科とは別の研究室でした(教授にはなれなかったと思います)。

 アーチェリーの選手も二人の助手も、ことを大きくしなくても良かったのではないでしょうか。周りの人に「こんなメールが来た」と言ってもいいし・・・・。とにかく大ごとになって「引っ搔き回された」と不快感を感じた関係者もいたのです。

憎しみの連鎖を断つ(2)

 いま世界各地で救いようのない民族間対立が続いています。イスラエルとパレスチナの人たち、ウクライナとロシア、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、ルワンダにおけるフツ族とツチ族の対立など、いずれにおいても凄惨な大量虐殺(ジェノサイド)が行われています。

 中でもいま大きな焦点になっているのがガザ地区におけるイスラエルによるパレスチナに対する無差別攻撃ですね。昨年10月、ハマスによるイスラエル人拉致に始まる攻撃が始まった時、筆者は「イスラエル側はこれを口実に、パレスチナへ徹底攻撃をする」と思いました。「ハマスよそんなことをしてはダメだ必ずそうなるから」と。ただ、ハマスにも積もり積もった恨みがあったからでしょう。それにしても、直近のテヘランで起こったハマス最高指導者ハニヤ氏の暗殺は衝撃的でした。イランが「わが国の客人の暗殺には報復する」と表明したのは当然でしょう。しかし、ただちにアメリカ政府がイスラエルに対し直ちに武器援助と戦闘への協力を表明したのには驚きました。というよりあきれました。

 しかし、このような民族間対立には解決の糸口さえつかめません。今日のニュースにも、「ハマスの見張り役が、命令に反してイスラエル人質を殺してしまった」とありました。犯人の2人の子供がイスラエルによる空爆で殺されたことへの報復だと言っています。何ともやりきれない話ですね。でもなんとかサヘルさんの母親のように「恨みを恨で返してはいけない」と言う人が、イスラエル、パレスチナ双方に出てくれないかと思います。そういえば思い出しました。以前テレビで、イスラエルの少年が「パレスチナ人と仲良くしなければいけない」と言うのを聞きました。そういう「草の根の運動」を続けているのですが、彼の友人の母親が彼の運動に対してとても腹を立てていたのです。

 これはなにも紛争当事国ばかりではありません。私たちの周りでもよくあることですね。

「あいつだけは許せない」・・・・。しかし、人間、死ぬまで人を恨み続けていてはいけないのです。「人間はこの世で解決しなければならない課題を持って生れて来た。それが現世を生きる意味だ」とは、スピリチュアリズムで言われる言葉です。とても説得力のある言葉ですね。しかるに、せっかくその課題を果たすために生まれて来たのに、果たさないままであの世へ帰ったら、それこそこの世で生きたことがムダになります。

憎しみの連鎖を断つ(1)

 サヘル・ローズさん

 サヘル・ローズさん(1985~)のことは以前にもお話しました。イラン・イラク戦争により、4歳で孤児になった人です。そのため自分の名前もわからなかったと言います。救護隊ボランテイア要員のテヘラン大学の学生フローラ・ジャスミンさんに救助され、7歳までテヘランの孤児院で暮しました。サヘル・ローズ(砂漠のバラ)という名はフローラさんの母親(だったと思います:筆者)によって付けられたのです。7歳ときフローラさんの養女になりましたが、イランでは養母になるには「子供を産めない者」という法律があるため、自ら望んで手術を受けたと言います。フローラさんはイランの国王につながる一族でしたが、両親がサヘルさんとの養子縁組を望まず、勘当されたのです。そのため2人で日本へと逃げてきたのです。飛行機がテヘラン空港を離陸するとき、親族はだれ一人送りに来なかったを見て、フローラさんは泣いたそうです。

 日本に来たのはフローラさんの婚約者がいたためですが、来てみるとサヘルさんへの婚約者の”躾”という名の虐待に耐え兼ねて家を飛び出し、母子で2週間ほど真冬の公園でホームレス同然の生活も経験しました。その際、小学校の給食調理員をしていた女性が毎日同じ服を着ているサヘルの様子に気づき、母子に手を差し伸べたのです。夕食の差し入れや、フローラさんの仕事口の世話、アパートの保証人にも名乗りを上げ、弁護士を雇って観光ビザから日本に住めるビザへ申請してくれたのも、その女性だったそうです。同じ日本人として救われる話ですね。また同時期に通っていた小学校の校長から日本語を学びました。しかしサヘルさんは中学校時代には自殺を考えるほどの壮絶ないじめや差別を経験したと言います。いじめの影響で成績が悪かったこと、また授業で育てた野菜を持ち帰えられるという理由から、東京都立園芸高校定時制課程に進学しました。その後、東海大学電子情報学部を卒業しました。

 高校1年生の時、学費を稼ぐため芸能事務所に登録し、外国人のアルバイトエキストラを始めました。ただ、最初は「死体の役」ばかりだったそうです。高校3年で正式に芸能界入りし、モデルやラジオ番組の出演を経てテレビ番組にレギュラー出演するようになりました。現在は映画や舞台、女優、そして映画の製作など、活動の幅を広げていらっしゃいます。主演した映画は国際映画祭にも出品され、ミラノ国際映画祭にて最優秀主演女優賞を受賞した。また、第9回若者力大賞を受賞しました。

 芸能活動以外にも2012年から児童養護施設の支援のほか、国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」で親善大使を務めており、世界中を旅しながら難民キャンプや孤児、ストリートチルドレンなど子どもたちの支援活動も行っています。2020年にはアメリカで人権活動家賞を受賞しました。

 そのサヘルさんが最近、NHKの番組にゲストとして招かれました。イスラエルとパレスチナとの長年にわたる確執--恨みと報復のスパイラル--についての再放送でした。感想を求められたサヘルさんの言葉が尊いのです。「母(フローラさん)から、あなたはイランの孤児ですが、イラクにもあなたと同じように戦争で両親を亡くした子供たちは大勢いるのです。恨んで報復することなど考えてはいけません。そこからは何も生まれないのです。戦争はどちらが勝つか、どちらが負けるかということはないのです。どちらも負けなのです。とくり返し言われています」。感動的な言葉ですね。

悟りへ至る正しい道

 ヒマラヤの奥に未知の高峰があるらしい。

 その頂に至れば、いかなる苦しみにも耐え、いかなる悲しみも克服できる、

 絶対安心の境地になれるという。

 神が居ます頂きだ。登頂した人がいるようだがよくわからない。

 今までどれほど多くの人がその頂に立ちたいと願ったか。

 どれほど多くの人が途中で挫折したか。

 どれほど多くの人が「それに達した」と思い込んだか。

 今なお、さまざまなグループが「自分たちこそ正しいルートを辿っている」と

 確信している。

 しかし・・・・

「正しいルートを歩いている」となぜ言えるのか。

では「間違ってはいない」とどうしたらわかるのか・・・・

 それは奇跡が起こったかどうかだ。

 奇跡が起こったことは、もちろん本人には分かる。

 しかし、

 本人だけがわかるのではない。偶然それを見た他人もわかるのだ。

 まったくの素人でも・・・・。

 彼らにはその意味は分からない。

 ただその不思議を目を丸くして見ているだけだ。

読者の方とのやり取り(12)

 柴田さんは熱心な読者のお一人です。誠実なお人柄が伺われ、最近よくコメントのやり取りをしていますが、筆者がかなり思い切ったことを言っても真摯に受け止めて下さいます。そのうちの一つを紹介します。

 筆者は「宮沢賢治の心」を初め、たびたび「法華経は効能書きばかりで中身のない経典だ」とお話しています。柴田さんも以前から法華経の意義には少し疑問を抱いていたそうです。しかし、柴田さんにはとても尊敬していらっしゃる日蓮宗の僧侶がいらっしゃるとか。そのためその根本義である法華経に疑問を持つことにはためらいがあるようで、筆者とのやり取りの文面からそれが感じられます。次は最近の柴田さんからのメールです。

柴田さん:私はその答えが南無妙法蓮華経のこの一言に集約されていると感じます効能ばかりで中身がない法華経に、南無=帰依するということはつまり、それでもあなたは法華経を信じれますか?という裏返しなのだと思います。 

 件のお上人はよくおっしゃいます。
信は智慧の種であると。つまり、南無妙法蓮華経から始まるのだと。そこから芽吹き、花開くのだと。
そのきっかけが信であると。

 今のところはこのくらいしか私にはわかりません・・・・本阿弥光悦や葛飾北斎といった卓越した芸術家もまた日蓮宗・法華経を篤く信仰していたようです。私はできることならその先が知りたいです。彼らは法華経を通して何を感じとったのか?

筆者のコメント:つまり、「まず信じなさい」と言うのですね。筆者の返信は、

・・・・柴田さんがおっしゃる「まず信がある」という考えはとても危険です。カルト教団はどれも「まず信じさせる」を戦術として使っているのが特徴です。良識と知性を以て判断することこそ、すべての人がカルトにハマらないために心掛けることだと思います。北斎や光悦はどうでもいいのです。ご自分の眼で判断してください。私はそうすることによってすべての既存の宗教を判断し、スクラップアンドビルトしたいのです。宗教はすべての人間にとって必要だと思いますから・・・・・。

 ちなみに「宮沢賢治の心」では「賢治は理屈を飛び越し感性を以て法華経や歎異抄の心をつかんだのでしょう」とお話しました。

いかがでしょうか。