禅の心(1)

 私があるところで皆さんに禅のお話をしていた時のことです。出席者の一人から「よいお話ですが、私は高齢ですから、禅を十分に学んで理解するには時間がありません。どうしたらいいでしょうか」という質問がありました。70歳台の男性でした。正直なお気持ちと思います。「これからの人生で起こって来る一つ一つの場面でいつも神の心で判断し、行動してください」とお答えしました。つまり神の心に近づくことです。

 「禅の悟りとは神と一体化すること」とお話してきました。異論のある方もいらっしゃいますが、私はそう思うのです。

 もう一人の出席の方から「私はなんとか生きてきましたが、人生で何も誇るものがありません。悲しいです」との発言がありました。私はその人に「いえ、あなたが生まれた時、お父さんやお母さん、お祖父さんやお祖母さんがどれほど喜んだことでしょう。そしてこんどはあなたの子供さんがどれほどあなたを信頼し、心の支えにしてきたかを考えてください。あなたの人生はそれだけでも価値あるものだったのです」とお話しました。それらは決して過去のものなどではないのです。天にはアカーシックレコードというものがあるそうです。そこにはすべての人の人生が確実に記憶されているのです。

 次は私個人のことです。筆者が高校生のころ、父親の事業が時代の流れから取り残され、一家は苦しい状況になりました。その中で両親や兄弟姉妹の好意と犠牲で大学、大学院と進むことができました。その後研究者の道へ入り、満足できる人生を送りました。今思い出しても感謝しかありません。その後父親の遺産相続の話が出た時、すべての筆者の相続分を弟に譲りました。当然のこととして。しかし、それがかえって後に弟妹の争いになってしまったのです。結果としてそのときの判断が裏目に出てしまいました。とにかく問題は解決しましたが、今でも弟妹とその家族にはしこりが消えません。今でも「私は正しかったのか」との悩むのです。しかしあるとき、ふと、「いや私たちの思いと行動はすべてあの世の両親や祖父母、さらには天には見通しのはずだ。何も心配することはない」と気付いたのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です