憎しみの連鎖を断つ(3)

 最近、パラ五輪日本代表女性アスリートがライバルに中傷のメールを送ったとして一審、二審ともに有罪とされ、予想を超える多額の賠償命令が出されました。メールの内容を読んで、あまりにも低次元で、不快になりましたので、有罪判決は妥当だと思います。中傷メールを送られた方の不愉快さは想像に余りあります。有罪判決が出たことで、少しは癒されたでしょう。ただ、勝った原告も、これから周囲の厳しい目に会うだろうと気掛りです。俗にいう「人を呪わば・・・・」になりかねないのです。

前回、イラン出身の女優サヘル・ローズさんが、「母(フローラさん)から、あなたはイランの孤児ですが、イラクにもあなたと同じように戦争で両親を亡くした子供たちは大勢いるのです。恨んで報復することなど考えてはいけません。そこからは何も生まれないのです。戦争はどちらが勝つか、どちらが負けるかということはないのです。どちらも負けなのです」と言われたとお話しました。まさに母フローラさんの言うとおり、「争いはどちらが勝つか、どちらが負けるかということはないのです。どちらも負けなのです」ね。

 昔、大学紛争が盛んだったころ、筆者の所属する学科のある研究室の教授が研究室員に告発されたことがあります。筆者は助手会で「訴えは危ない」と異を唱えましたが、多数意見に押し切られました。結果はうやむやになりました。しかし、問題はここからです。教授が社会的に制裁を受けたのはもちろんでしたが、二人の助手も無傷ではありませんでした。一人は退職し、もう一人は窓際に追いやられてしまったのです。すなわち、助教授にはなりましたが、学科とは別の研究室でした(教授にはなれなかったと思います)。

 アーチェリーの選手も二人の助手も、ことを大きくしなくても良かったのではないでしょうか。周りの人に「こんなメールが来た」と言ってもいいし・・・・。とにかく大ごとになって「引っ搔き回された」と不快感を感じた関係者もいたのです。

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