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座禅で悟りに至ることができるか

 只管打座(ひたすらざぜんせよ)は道元の有名な言葉ですね。元はその師如浄の禅風であり、さらには宏智に至ります。ところが「座禅で悟りに至った者はいない」と言う人もあります。怖い言葉ですね。それについて思い出されるのは、年間1800時間座禅をすることで有名な兵庫県の安泰寺で修行した、キルギス出身のボクダン・ドルゴポロフさん(当時24歳。モスクワ大学で素粒子物理学を学んだ人)のことです。ボグダンさんは、「誰からも答えを得られない問いを抱え、答えを与えてくれる人や場所を求めていた。仏教や座禅に興味があり、そこに答えがありそうな気がした。1年に1800時間も座禅する安泰寺を知ってここへ来た。さらに畑作りや食事作りにも気づきがあります・・・・安泰寺でどんな時でも安心できる教えを学びました・・・・(NHK〈心の時代 天地いっぱいを生きる〉より)。

 しかしボクダンさんは、結局、安泰寺での修行に失望したのです。ボクダンさんは、自主的に澤木興道師の著作を読んでいました。只管打座では不十分だったと感じたからでしょう。しかしそれでも「ここでは答えが見つからなかった。あと3年やってもどうなるか。10年やればもう抜けられなくなる」と1年で下山したのです。

 深刻な問題ですね。筆者はこの話を聞いてすぐに、「第一、座禅はうまく行っていたのかな」と思いました。じつは座禅は「ただ座るだけ」ではダメなのです。座禅の方法については多くの人が解説しています(ネットで調べれば載っています)。しかし筆者がそれら一つ一つを実践してもどうもうまく行かなかったのです。数十年にわたって色々やってみた結果ようやくわかったことは、やみくもに座ることなど論外であることです。つまり、

 1)座禅の意味をよくわかること。

 2)座禅のときどこへ意識を持って行くか。

が重要だと思います。安泰寺での修行の様子をテレビの特集番組で見ましたが、どうも筆者の言う上記の二点がちゃんと行われているかが少し不安でした。

補記:安泰寺では座禅以外の問答などは一切行われていないようでした。問答は、臨済宗の各寺をはじめ永平寺などの曹洞宗で普通に行われている修行です。ただ、NHKテレビを通して筆者が見た永平寺での問答は、かなり形式的だったのが気になりました(NHK特集 大禅問答 法戦〜若き雲水たちの永平寺)。

小林秀雄さんの心霊体験(2-1)

 優れた批評家の小林秀雄(1902-1983)さんが〈眼に見えない世界〉についても理解を持っていることは以前にもお話しました。小林さんの「柳田邦男の民俗学は〈眼に見えない世界〉があることを根本に置いている」との考えは卓見でしょう。柳田博士自身、少年時代に「あの時ピーッというヒヨドリの声が聞こえなかったら気が狂っていただろう」という深刻な心霊体験をしています(柳田邦男の〈故郷七十年〉PHP文庫)。

 小林さんは自身の霊的体験についても語っています。小林さんの〈眼に見えない世界〉に関する見解がよくわかりますので紹介します(〈人生について〉中公文庫p220)。

・・・・母が死んだ数日後のある日(小林さんが45歳の頃)、妙な体験をした。誰にも話したくなかった・・・・尤も妙な気分が続いてやり切れず・・・・今は、ただ簡単に事実を記する・・・・仏に上げるロウソクを切らしたので買いに出かけた・・・・(鎌倉の)家の前の道に沿うて小川が流れていた。もう夕暮れであった。門を出ると、行く手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見かけるのだが、その年は初めてみる蛍だった。今まで見たこともない大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私はもうその考えから逃れることができなかった・・・・私は、その時、これは今年初めて見る蛍だとか、普通とは異なって実によく光るとか、そんなことは少しも考えはしなかった・・・・何もかも当たり前であった。したがって当たり前だったことを当たり前に正直に書けば、「門を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた」と書くことになる・・・・ゆるい傾斜の道は、やがて左に折れる。曲がり角の手前で、蛍は見えなくなった・・・・その時後ろの方から、あわただしい足音がして、男の子が二人、何やら大声でわめきながら、私を追い越し、踏切への道を駆けて行った・・・・私が踏切に達した時、横木を上げて番小屋に入ろうとする踏切番と、駆けてきた子供二人とが大声で言い合いをしていた。踏切番は笑いながら手を振っていた。子供は口々に、『本当だ、本当だ火の玉が飛んで行ったんだと』言っていた。私は何だ、そうだったのか、と思った。私はは何の驚きも感じなかった・・・・以上が私の童話だが、この童話は、ありのままの事実に基づいていて、曲筆はないのである。妙な気持ちになったのは後のことだ。妙な気持ちは、事実のいたづらな反省によって生じたのであって、事実の直接な経験から発したのではない。では、今、この出来事をどう解釈しているかと聞かれれば、てんで解釈などしていないと答えるより仕方がない。寝ぼけないでよく観察し給え。童話が日常の生活に直結しているのは、人間の常態ではないか。何もかもが、よくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう・・・・

 いかがでしょうか。小林さんは〈眼に見えない世界〉が実在することを、はっきりと述べているのですね。・・・・この出来事をどう解釈しているかと聞かれれば、てんで解釈などしていないと答えるより仕方がない・・・・ここが重要です。つまり、「あまりに当たり前すぎて(霊的現象だと)判断する必要すらない」ということでしょう。しかし、筆者は、判断をさらに進めて「霊的現象の意義」について考えを進めて欲しいのです。批評するのが批評家だと思いますが。

西田哲学と禅(3)

  第二編第二章<意識現象が唯一の実在である>(p71)では、

 「実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである。この外に実在というのいうのは思惟の要求よりいでたる仮定にすぎない」と言っています。つまり、「モノ自体などない」と言うのです。カントも「モノなど経験的に実在するに過ぎない」と言っています。西田はさらに「純粋経験(直接経験)では主観客観の区別を没している」と言っています。当然そうなるでしょう。

筆者のコメント:ここに重大な疑義があります。西田博士の「純粋経験以外にはモノはない」と言う論法によれば、「宇宙には人間が経験していなければモノはない」ことになります。それは絶対におかしいですね。「人類がまだ見たことがない(聞いたことがない)モノなどいくらもあります。「宇宙」と言わなくてもこの地球上にも人類がまだ行ったことのない秘境もあります。これからも探検家が訪れ、科学者達が開発した機器でまだ見ぬモノがあることがわかっくるのは間違いありません。

 これが筆者の言う西田哲学の根本的欠陥です。いかがでしょうか。

 これに対して禅ではモノが存在することを(しき)の概念で示しました。そして「空と色は一如である」と言っているのです。一如とはなんなのか。不一不異とも言います。「同じではないし、別でもない」・・・・それが心の底からわかるのが「悟り」なのです。

西田哲学と禅(2)

   西田哲学と神の問題は、とても興味あるところです。西田博士は、

・・・・我々が自然と名付けておる所の者も、精神と言っておる所の者も、まったく種類を異にした二種の実在ではない。つまり同一実在を見る見方の相違に由って起こる区別である。自然を深く理解せば、その根底において精神的統一を認めねばならず、また完全なる真の精神とは自然と合一した精神でなければならぬ、即ち宇宙にはただ一つの実在のみ存在するのである。而してこの唯一実在はかって言った様に、一方においては無限の対立衝突であると共に、一方においては無限の統一である。一言にて言えば独立自全なる無限の活動である。この無限なる活動の根本をば我々はこれを神と名づけるのである。神とは決してこの実在の外に超越せる者ではない。実在の根底が直ちに神である。主観客観の区別を没し、精神と自然とを合一したものが神である・・・・実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。印度宗教の根本義である様にアートマンとブラハマンとは同一である。神は宇宙の大精神である・・・・(第二編第十章実在としての神〈善の研究〉岩波文庫p128)・・・・

と言っています。要するに

 「真の実在とは純粋経験である。とすれば神とは人間の純粋経験だ」と言うのですね。言い方を変えれば、「神が創り給うたモノ(宇宙)など無い。あるのは人間の純粋経験のみだ」と言うのです。そうとしか言いようはないでしょう。「西田哲学の純粋経験は禅の空思想と同じだ」と言いました。しかし、「西田哲学には根元的な問題があり、禅思想はそれを越える」と思います。

西田哲学と禅(1)

 西田幾多郎博士(1870-1945)は、日本初の本格的哲学者として知られています。西田の学風はさらに田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した京都学派の流れを作りました。西田や田辺両博士に続いて波多野精一、朝永三十郎、和辻哲郎、三木清、上田閑照を初めとする錚々たる人たちが出ています。

 西田博士は現石川県かほく市の生まれで、世俗的な苦悩からの脱出を求めていた彼は、第四高等中学校(第四高等学校の前身)の同級生でした。鈴木大拙は禅を世界に紹介した人です。西田博士は親友鈴木大拙の影響で、禅に打ち込むようになり、20代後半の時から十数年間修行しました。西田哲学と鈴木大拙の禅思想は「お互いに影響を受けた」と鈴木大拙が語っています。それどころか、下記のように西田哲学の主要な部分は、禅の空思想そのものです。

 その西田博士は「哲学の動機は驚きではなくして深い人生の悲哀でなければならない」と言っています(〈無の自覚的限定〉西田幾多郎全集第六巻 岩波書店)。西田にとって「人生の悲哀」とは、人生に相次いで訪れた姉や弟、子ども(8人の内5人!)や妻など、最も近しい親しい者たちとの死別だったと思われます。とても重い言葉ですね。禅の修行はとても厳しいものです。それに匹敵する思想を打ち立てるには禅修業同様の厳しいモチベーションが必要なのでしょう。これまで、単に学問として禅思想や哲学を研究している人がほとんどです。よく言われる「実践されない仏教思想など絵空事だ」とはこのことだと思います。

西田哲学

 西田博士の思想については何度も紹介しました。〈善の研究〉(岩波文庫)が代表的著作の一つです。そこで西田博士は、純粋経験という重要な概念を提唱しました。西田哲学の根本は「真の実在とは、人間がモノを見る(聞く、味わう、嗅ぐ、触る)という体験そのものだ」というものです。すなわち、

・・・・意識するというのは事実そのままに知るの意である。全く自己の細工を棄てて,事実に従うて知るのである。純粋というのは,普通に意識といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫(ごうも、少しも)思慮分別を加えない、真に意識其儘の状態をいうのである。たとえば,色を見、音を聞く刹那,未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋意識は直接意識と同一である。自己の意識状態を直下に意識した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している(〈善の研究〉)・・・・

 西田のこの思想は難解だとされていますが、そんなことはありません。カントからヘーゲル・フィヒテとつながるドイツ観念論哲学の系譜と軌を一にするものだと思います。「さらに重要なことは、それはそのまま禅の空思想と軌を一にするものだ」とお話しました。つまり、洋の東西を問わず、人間の認識について同じ結論に達したのです。重要なことは禅の空思想がカントより1000年も前に確立されたことです。