読者からのご質問(11)

 読者のyconさんからのご質問:前回いただいたメールの中で、坐禅のとき意識を持たなくすることが大切とございました。この意識を持たなくするというのは、意識を失くすという意味ではなく、意識を意図的に動かさないというような意味になるのでしょうか?
といいますのは、何もしていなくとも寝ているとき以外は意識は常にありますし、坐禅中も意識は存在しているからです。
 ちなみに私は現在坐禅会や自宅でも坐禅をしているときに心がけていることは、意図的に考え事をするようなことはせず、それでも勝手に思いに耽ってしまっていることに気づいた時は、それ以上続けないで坐禅に戻る(現在に戻る)ことです。

お答え:おっしゃるように、「意識を意図的に動かさない」という意味です。つまり、座禅のさい、意識をはっきりと持っていることが肝要です。その上、できるだけモノゴトを考えないことです。

「(座禅の間に)勝手に思いに耽ってしまっていることに気づいた時は、それ以上続けないで坐禅に戻る」

お答え:そのとおりです。ただ、あまり気にしないことが肝要です。

 筆者は座禅の方法を、本やネットで色々調べました。しかし結局は、さまざまな試行錯誤をして自得したものです。yconさんもあとはご自分で体得してください。

ご質問:塾長様はこれまで坐禅の指導者の下で坐禅修行をされてきたのでしょうか?その方はどのような方だったのでしょうか?また、神道系教団での修行やスリランカでの修行経験もおありで最終的には禅こそというお考えになられたとのことですが、色々とやられてきた中で、それぞれお感じになれれたことはあったかと思いますが、なぜ禅こそと思われたのでしょうか?

お答え:ご指摘のように、私はスリランカ・キャンデイにある仏教道場で座禅をしました。スリランカ有数の指導者で、山中の洞窟で永く坐禅修行をしたこともある人とのことでした。ただ、そこで正式な指導を受けたわけではありません。見よう見まねでやっていただけです。私がその後所属した神道系教団では、座禅というより、信者は専ら受け身で霊能を高めていただくというやり方でした。修法はかなり効果的で、私など第一回目から強い霊動を起こしました。ただ、「受け身」と言うのが少々気になったのですが。10年後、別の神道系教団に移りました。前の同じ会員だったある女性から「今から新しく教団を作るので来てくれませんか」と誘われたからです。その人は後に教祖になられました。けっきょくその教団も10年くらいで離れました。理由はお話できません。その後はずっと一人で学び、修行をしています。

 私には、それら教団とは中立的な立場で相談に乗っていただく方がいらっしゃいます。その方は、最初の教団の会員でした。わずかな期間でしたが。私が新しい教団に移るに当たっても、とくに疑問は呈されませんでしたが、「あれくらいの霊能者(新しい教団の教祖)ならいくらでもいますよ」とおっしゃったのが印象的でした。

ご質問:苦しかったとき、禅以外の道は考えませんでしたか。

お答え:私が禅を本格的に学び始めたのは60歳のころです。とても厳しい状況に陥ったためです。そして迷わず「禅しかない」と学び直すことを決心しました。yconさんは「なぜ禅こそと考えたのか」との疑問をお持ちですが、いま考えても不思議なくらい、禅以外には目もくれませんでした。

宮沢賢治の心(2)

 おそらく宮沢賢治は法華経や歎異抄の精神を感性でつかんだのでしょう。理屈でなく。筆者がこれらの経典が理屈の上からおかしいと思う心は今でも変わりません。

 じつは、宗教を感性で理解することはとても危険なことなのです。感性(と思ったもの)は間違うことがあるからです。「すばらしい」と思った宗教がじつはとんでもないまやかしだった ・・・。オーム真理教や旧統一教会問題、〇〇教、〇〇学会など、例は身近にいくらでもありますね。天才だったからこそ賢治は道を誤らなかったのでしょう。いや、賢治には、団扇太鼓をたたきながら花巻市内を行進したことや、あまりに執拗に法華宗への入信を勧めたために、親友の保坂嘉内から義絶されたこともあることなど、やはり異常と見える部分もあったのです。

 賢治の素晴らしさは、仏教を自分の形として表現していることです。詩や小説としてですね。じつはほとんどの宗教研究家は頭で考えているだけです。賢治の研究家についても同じです。そこが賢治との違いですね(註1)。

 賢治記念館の窓から新緑を通して北上平野の美しさを眺めていて、ふと次のような詩ができました。

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「賢治の心」

 さらさらと 

 ブナの若葉を さらさらと 

 宮沢賢治の風が吹く

 私の心を さらさらと

 南無阿弥陀仏の風が吹く

 さらさらさらと 風が吹く

・・・・・・

註1私は、苦しい状況を打開するる知恵を得るために必死に禅を学びました。