禅の人生は何でもありです

  筆者の友人たちの定年後はさまざまです。その何人かについて御紹介します。

1)A君は、大学時代からの友人で、国家公務員上級試験に合格したエリートとして過ごしました。60歳で定年になりましたが、その後の人生がすごい。「一日たりとも無駄にしたくない」が信念らしく、現地の老人大学に6年間通った後、なんと新幹線で隣市の老人大学へも通ったのです。地域の老人会の中心人物として活躍する一方、幼稚園児のために自宅の畑を開放し、一緒にナスやキュウリを作ったとか。年2回夫婦で旅行は良いとしても、四国八十八か所巡りした後、高野山へお礼参りに。さらに西国三十三観音。「一日たりとも無駄にしたくない」のは誇張でなく、「畑へ早く行きたい」気持ちにかられ、途中にコンクリートの溝があることを忘れて激突・・・。その辺の事情は、18年間、年に1度送ってくれた「定年万歳」通信により、逐一知らされました。

2)B君は、筆者の70年来の文字通りの親友です。やはり上級の国家公務員として勤務し、60歳で定年。その後大きな機械会社で2年。退職後は好きなゴルフを楽しむ傍ら、水彩画の教室と俳句の教室へ。「奈良井点描」と題する10号の作品は筆者のリビングを飾っています。地域の老人会の世話役として活躍し、なんと運動会で一緒に「盆踊り」にも。その柔軟さには心から感心しています。

3)C君も70年代の親友。とにかく10歳の頃からの付き合いですから、筆者の財産です。長く地方の商事会社に勤めていましたが、会社とトラブルがあり54歳で退職。「失業年金でももらいながらゆっくり行き先を探そう」と構えていたところ、関連業界の友人たちが放っておかず、個人で起業。その経緯は何度聞いても心温まるものがあります。社長業はもう引退したいのだけど、周囲から「辞めるとボケる」と言われ、やむなく継続中。小学生のころから絵が上手でしたから、筆者が「再開したら」と勧めるのですが・・・。

4)D君も大学の級友で、上記A君と並んで当時から同級生の中で出色の人物でした。最近の手紙に「退職後事業を立ち上げ、夫婦でやっている。『それで一生終わる気か』と言われた。それで終わるつもり」と。「ネットオークションで絵画を買うのが楽しみ」。

5)E君は63歳で定年。仕事人間だった彼は、その1年前、「来年4月1日から突然どこへも行くところがなくなったらどうしよう」との強い不安に駆られた。幸いにも別の職を得て70歳まで勤め、あとは長年の趣味である万葉集についてのブログを発信しており、「それが大きな生きがいになっている」と。「定年後、たくさんの日本の古典や近代の名作小説を読めて充実している」と言う。第1回の定年を迎えるころ、E君は弟から「兄貴も何か趣味がないと」と心配してくれましたが、夫婦で感謝しつつも大笑い。趣味はリストを作れるほど多様だったからです。

 ことほどさように、友人たちは、それぞれの人生を歩んで来ました。

 前回「ニート・引きこもりのシェアハスス」をご紹介したように、ニート・引きこもりの人生もありですね。良寛さんは、備中玉島の円通寺で10年にわたり「永平寺より厳しい」禅の修行をした達人ですが、その結論が晩年のあの生き方です。「百ケ所もかがった袈裟を着、飯(いい)を乞うて(乞食をして)暮らしている」と。いわばニートですね。それでも心には何のこだわりもなく、自由闊達な人生でした。短歌や漢詩を作ったり、書を書くのが趣味で、その暮らしぶりは200年後の今日でも多くの人に慕われています。

 筆者も本格的に禅を学んで10年を越えましたが、結論として、つくづく「禅の人生は何でもあり」と思っています。

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