ちなみに公案とは、師匠が弟子に与える悟りのためのヒントです。最も難解な公案と言われるものの一つを次に示します。「正法眼蔵:有時」も最も難解な公案と言われています。要するに公案はどれもむつかしいのです。
それは、道元の「正法眼蔵・有時」に引用されている公案で、
・・・薬山大師が大寂禅師(註1)に対して「如何なるか是れ、祖師西来意(達磨大師がはるばるインドから中国に来た意味は何か。註2)」と尋ねたのに対し、大寂禅師は「ある時は彼(註3)に眉を上げさせ、目を瞬きさせ、ある時は眉を上げさせず、目も瞬きさせない。 ある時は彼に眉を上げさせ、目を瞬きさせることは是(よいこと)であり、ある時は彼に眉を上げさせ、目を瞬きさせることは不是(よくないこと)である」。これを聞いて薬山は大悟したという・・・
さて、読者の皆さんはこの公案の意味をどう理解しますか。ご意見をお寄せください。
註1大寂禅師(709-788)は唐代の優れた禅師。馬祖道一 とも。薬山大師(745-828)。
註2 「祖師西来意」を問う公案は他にも、「無門関」第三十七則に趙州和尚の「庭前の柏樹子」があります。「禅の要諦はなにか」という重要な問いですから、いろいろな禅師が弟子との問答にしているのです。
註3「無門関」第六則にある拈華微笑(ねんげみしょう)のエピソードのことと言われます。つまり、釈尊が弟子たちの前で、黙って花を差し上げ瞬きしたところ、摩訶迦葉(まかかしょう)だけがにっこり笑ってその意味を覚ったので、釈尊は眉を上げ、「私の教えは摩訶迦葉に伝える」と言ったという。一般に「以心伝心」の意味だと言われていますが、誤りです。原典は「大梵天王仏疑経」ですが、偽経とされています。釈尊がこんな芝居がかったパフォーマンスをするはずがありませんね。ここにある「釈尊が花を差し上げ瞬きたところ、摩訶迦葉一人がその意味を理解したので、釈尊が眉を上げて「よし」とのポーズを示した」が上記の公案の「眉を上げさせ」の出典です。