日本仏教のいい加減さ(3)

東大寺修二会の意味

 以前、「日本仏教のアバウトさ」についてブログを書きました。その続きです。

 NHK スペシャルで「東大寺二月堂のお水取り」を見て驚きました。3月1日から2週間、大仏開眼(752)から1270年間一度も休みなく続いている儀式ですね。とくに最終日の大松明でよく知られ、日本の重要な「四季の彩り」になっていますね。

 修二会(しゅにえ)の目的は十一面悔過法(けかほう)と言って、二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる11名の精進潔斎した行者が、自ら犯した過ち(さらには衆生の罪障までも!)を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事であるとされています。

 筆者が驚いたのは、この行事は、東大寺の所依する華厳の教えとは何の関係もないことです。おそらく奈良時代の初め、日本古来の修験道の修法などがごっちゃになって始まったものでしょう。東大寺初代別当良弁も苦笑していらっしゃるのでは?

 筆者には、歯のない下駄で堂内をドタドタ走り回る修法や、五体投地、さらには大松明を床にたたきつけたり、階(きざはし)から振り回す修法の意味はわかりません。「危ないなー」と思うだけです。現に1667年には二月堂自体が焼けてしまったとのこと(現在の堂宇は再建)。五体投地は懺悔の印とされているようですが、投地の板(幅3尺、長さ1間)は、あらかじめ板にクッション用の布団が敷いてある(!)ことや、体を打ち付けた後、その板がすぐ戻るように「しかけ」てあることを見て笑ってしまいました。投地をまじめにやりすぎて怪我をする僧も出るとか。なにをか言わんやでしょう。

 1270回目の本年は「コロナ退散」が主目的とのこと。練行衆は真剣にさまざまな修法を実践していました。

 追加:修二会を行う行者は練行衆と呼ばれる11人の僧侶で、三役や仲間(ちゅうげん)、童子(大人である)と呼ばれる人達がこれを補佐する。練行衆のうちでも特に四職(ししき)と呼ばれる4人は上席に当る。

これ以外の練行衆は「平衆(ひらしゅ)」と呼ばれる。

 本年は、平衆の中から「コロナなので、蜜は避けたいから辞退させてほしい」との申し出がありました。しかし、「1270年も続きている行事だから」と強行したとか。

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