なぜ欧米人は禅にあこがれるのか(2)

読者のえびすこさんから次のようなコメントが寄せられました。

 ・・・欧米で仏教徒の割合(アジア圏からの移民およびその人の子孫、または日系人以外の仏教徒)が増えているのとは反対に、日本ではクリスチャンの割合が明治以降はほぼ横ばい(人数自体は明治初頭と比べると増えている)です。欧米の方が「他宗教」を受け入れやすい土壌なのでしょうか?欧米人は「キリスト教よりも仏教の方が人生のありがたみを実感できる」と言う発想もあるのでは?世界史を見るとキリスト教国同士の戦争は数多くありますが、仏教国同士で戦争をしたことはほとんど前例がありません。

 筆者のコメント:重要なご指摘だと思います。以前のブログで、ベトナム出身の禅僧テイクナット・ハン師がアメリカ連邦議会やイギリス国会、さらにはあのGoogle社に招かれて講演したとお話しました。欧米の資本主義が激しい競争化を引き起こしていること、勝ち組は豊かな生活が送れるのに対し、負け組になると社会的にも経済的にも大きな格差が付くことが、どれほど人々の心にとってマイナスであるかは、言うまでもないでしょう。さらに資本主義は国家間の争いの元にもなっています。

 ハン師がアメリカやイギリス議会に招かれたのは、泥沼化した世界各地の紛争解決の糸口を禅に求めたからだと言われています。そしてGoogle社のような新進気鋭のトップ企業に招かれたのも、激しい競争で苛まれたが社員たちの心を救うためだと思います。

 良寛さんの清貧の人生については何度もお話しました。

・・・・立身などどうでもいい。

    頭陀袋の中に3升の米と、

    炉端に薪が一束あれば十分に満ち足りている・・・・

この思想はハン師や良寛ばかりではありません。あのブッダでさえ、持ち物は着古した衣と、食べ物を乞うための鉢だけでした。およそ競争とは無縁の、しかし満ち足りた人生だったのです。仏教とはそういう基本的思想です。欲のために他人や他国と争いが起きるわけはありませんね。

 西欧にはキリスト教やイスラム教のような大宗教があります。しかし、キリスト教国家同士や、イスラム教との間の紛争の歴史です。いや、現在もそれが続いているのです。筆者も信仰の始めはキリスト教でした。キリスト教にはたくさんのすばらしい人間の智慧があります。

・・・明日のことは思い悩むなかれ。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である・・・

など、筆者の好きな言葉です。ただ、長年にわたってキリスト教を近くから眺めていますと、あまりのマンネリでうんざりすることも。それが現代人にとってキリスト教が魅力を失っていることの一つの理由のような気がします。何かといえば「(マタイ)伝第○○節では・・・」なのです。それらに一番詳しい人が神父であり、牧師なのです。しかも、キリスト教では、神と人間との間には決定的な隔たりがあり、一つになることなど思いもよりません。それに対し、仏教では多くの宗派で瞑想によって本当の我と疎通し、仏(神)と一体になることができるのです。「他人のことで思い煩うこと」などないのです。

 以上が、「えびすこ」さんの疑問に対する筆者のお答えです。いかがでしょうか。

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