アメイジンググレイスを知っていますか(1-3)

驚くべき神の恩寵(Amazing Grace)

1)
Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see. ‘Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed. Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。 神の恵みが私の心に恐れることを教えた。
そしてこれらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。 多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私を無事に導いた。
だから、恵みが私を家に導くだろう。(以下略) (以上Wikipedia から)

 イギリスの牧師ジョン・ニュートン(1725-1807)作詞で、讃美歌[第二編第167番]にも入れられている有名な歌です。筆者は最近、この歌の歌詞を読んでいた時、突然「ハッ」と、その本当の意味が分かりました。そのとき神がすぐ傍らにいらっしゃると感じました。(次回に続きます)

2)解説:ジョン・ニュートンはイギリス生まれ。母親は敬虔なクリスチャンでしたが、ニュートンが7歳の時に亡くなりました。成長したニュートンは船乗りとなりましたが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るように。当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪だった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれます。

 ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていましたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れました。イングランドへの航海中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのです。彼は必死に神に祈りました。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのです。ニュートンはこの日を転機として船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞しました。黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにもかかわらず赦しを下さった神の愛に対する感謝が歌われています(久野陽一「ニュートンと恩恵のゆくえ」『愛知教育大学研究報告. 人文・社会科学』第56巻85-90、2007)。

筆者のコメント:前回紹介したC)の訳者はクリスチャンだそうですが、「神の恵みを受けるには」として、

・・・ボク達の身代わりになってくれた方(イエス)が死なれて甦えったということを信じるだけいいんです・・・と言っています。クリスチャンでない私たちにはちょっとわかりにくいですね。A)~C)の訳もピンときません。

 「筆者はこの歌詞の意味が分かってハッとした」と言いました。もちろんこの歌はそれ以前から知っていました。しかし「ハッとした」とは、この歌詞の意味は「すでに私も神によって救われている」と気付いたからです。讃美歌ですからクリスチャンならいつも教会で歌っているはずです。しかし、全身でわかることが重要だと思います。筆者その時、周りの雰囲気がパッと変わったのを感じました。神がすぐそばにいらっしゃるの感じたのです。その感じは今でもアリアリと思い出せます。

この体験をもとに作った筆者の訳詞です(原詩の忠実な訳ではありません)。

驚くべき神の恵み。

何という温かさ。
私までも救ってくださっていた。

苦しみ、さまよい続けていた私。

なぜ気付かなかったのか。

「私はそこにいる」という神の言葉を。

神の恵みが私の苦しみを癒し、
苦しみから心を解き放ち給うた。

いまは気付きました。

なんという幸せ!

ありがとうございます。

3)神によって救われている」と言っても、亡くなった人が生き返るのではありません。末期ガンが治るわけでもありません。神の恩恵とはそういうものではないのです。よい例があります。「長崎の鐘」「この子を残して」の作者永井隆さんは、長崎医大の放射線科医でした。当時のレントゲン技術はとても危険なもので、永井医師もその影響を受けていました。その不安を奥さんに話すと、「すべては神のおはからいね」と答えたそうです。つまり、神に「治してください」と願うものではなく、神の意志をそのまま受け入れると言うのです。筆者の友人の話です。「ガンの知人をお見舞いに行ったとき、もう末期で、ホスピスに入っていたにもかかわらず、不断と変わらないように本を読んでいた」と。敬虔なクリスチャンでした。「神を心の底から信じるとはこういうことなのかと感銘を受けた」と。

 自分の犯した罪の大きさに苦しみ続けている人たちがいます。先日の新聞に、2019年の台風19号で、妻と小学生の二人の子供を亡くした38歳の父親のことが載っていました。県内の友人宅へ1泊する予定の妻が「台風が接近しているし、どうしようかな」言ったのに対し、「まだ雨は降っていないし、行っていいよ」・・・3人は亡くなりました。東日本大震災でも「あのとき○○しておけば」と苦しんでいる人がたくさんいます。「一生苦しんで行くしかない」と言った人も。ベトナム戦争時、ある村で待ち伏せ攻撃に会い、親友を殺されたアメリカ軍兵士がいます。怒りに目がくらんだ彼は、サンドイッチに毒を入れ、村の入口に置いておいた。陰で見ていると子供たちがそれを食べ、死んだのです。その兵士は帰国後もその罪に苦しみ続けていました。

 犯した罪は消えるものではありません。ではどうしたらいいか。罪を心から懺悔することだと思います。そして少しでも世の中に貢献すること。「万分の一でも世の中に尽くしなさい」・・・筆者の尊敬するベトナム出身の禅僧テイク・ナット・ハン師が、上記の元アメリカ軍兵士に諭した言葉です。

  筆者はこの生で神の恩恵の(筆者にとって)本当の意味を知ったことを心から幸せに思います。

2 thoughts on “アメイジンググレイスを知っていますか(1-3)”

  1. お教の内容も現代日本語訳にして広く世間一般に伝わればいいと思います。
    なお、「聖書は古代ラテン語で朗読・解説しないといけない」という決まりはないようです。

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