瀬戸内寂聴さんの神仏に対する考え方と行動
今回は瀬戸内寂聴さんにとって神仏とはについて、筆者の感想を交えて紹介させていただきます。
高名な作家ですね。今年93歳。51歳で天台宗の僧侶として、あの今東光師の下で得度。岩手県天台寺などの住職を経て、現在は京都の寂庵に住んでいる。元敦賀女子短大学長。多くの文学賞を受賞し、2006には文化勲章。「寂聴 般若心経」(筆者も読みました)、「人生道しるべ寂聴相談室」など、仏教に基づいたわかりやすい人生相談に関する執筆や、活発な講演活動もしている。また、脱原発、イラク支援など、わが国内外での政治活動も積極的に実践している人です。
若い時の、乳児を捨てて夫の教え子の元へ走った・・・などの2度の不倫経験については、このさいあえて問いません。他人が口をはさむことではないと思いますから。瀬戸内さんは、もちろん作家活動も立派ですし、政治活動も筆者の及ぶところではありません。ここでお話ししたいのは、瀬戸内さんの信仰心についてです。
瀬戸内さんは数年前、かなり重い病気を患ったとか。あまりの苦痛と、その長さで、「神も仏もあるものかと思いました。それを今度の講演で言ってやろうかしら」とNHKのインタヴュー番組で語っていました。筆者はそれを聞いて唖然としました。担当アナウンサーも「でもあなたは、仏の道を説いていらっしゃるではないですか」と、遠回しな言い方ですが、瀬戸内さんの心に関する講演や著作活動と本音とのズレを突いていました。そのとおりでしょう。いくらなんでも「神も仏もあるものか」と言う人が、仏の道を説くのはいかがなものか、と筆者も思いました。そのアナウンサーの穏やかではありましたが、辛辣な批評に対して、瀬戸内さんは「私は小説家ですから!」と答えていました。「小説家だったら、頭で考えたことと本音が乖離していてもいいのだ」と言うわけですね。
しかし、ことは人の心の問題です。筆者も信仰を持つものとして見過ごすことはできません。神や仏への心からの信頼無くして教えを説いて良いとは、とても思えないのです。読者の皆さんはどう思いますか?
前回お話したように、筆者は神の存在を実感しています。そして心の問題として、禅を学んでいます。その上で読者の皆さんに、さまざまな仏教のお話をさせていただいているのです。
追記:瀬戸内さんが病気回復後最初の講演で、「病気の時『神も仏もあるものか』と言ってやりましたが、こうして治ってみるとやはり神も仏もあるのですね」と言っていました。