志慶真文雄さんと浄土の教え(2)弥陀の本願はフィクションです(1)
前回、「志慶真文雄さんは浄土思想を誤解しているのでは?」とお話しました。今回はその根拠について述べます。その前に、まず浄土思想の成り立ちについて簡単に触れます。それを知らなければ志慶真さんの考えのどこに疑問があるのかおわかりいただけないと思うからです。
浄土思想
法然を宗祖とする浄土宗の信者は公称600万人、親鸞を開祖とする浄土真宗は、本願寺派、大谷派合わせて信者1400万人と、浄土系教団はわが国最大の宗教教団です。ことに親鸞の弟子唯円(如信とも、覚如とも)による「歎異抄」の中の言葉、「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」は、広く日本人に知られていますね。なお、「歎異抄」ついては当ブログシリーズで検討しました。
法然や親鸞の時代(平安時代末から鎌倉時代初期)は、相次いだ戦乱や天災や飢饉により、人々は大きな苦しみにあえいでいました。その状況は鴨長明の「方丈記」に活写されています。また仏教思想の「末法の世」が平安時代中期の1052年に始まるとされたのも民衆の不安を一層高めていたのです。これらの社会情勢から、法然や親鸞、栄西や道元、一遍や日蓮などによる新宗教が次々に生まれたことはよく知られています。宋へ渡って禅を学んだ道元も、同僚の中国修行僧から、「あなたはなぜここまで学びに着たのか」と聞かれ、はっきりと、「日本の民衆を救うためです」と答えています(慧奘「正法眼蔵随問記」講談社学術文庫)。
阿弥陀信仰
そんな社会情勢の中で法然により開かれた浄土宗や、親鸞による浄土真宗は、ひたすら阿弥陀仏様におすがりして現世の苦しみから逃れ、極楽へ往生することを願う、いわゆる他力の信仰です。釈迦以前のウパニシャッド哲学から、初期仏教、そして大乗仏教から、最後の禅に至るまで、すべてが自力による救済を目指していることを考えれば、法然の思想がいかに革新的だったかがおわかりいただけるでしょう。法然はやはり天才です。
浄土教宗派の根本経典は「仏説無量寿経(以下無量寿経)」「仏説観無量寿経(以下観経)」「仏説阿弥陀経(以下阿弥陀経)」です。「阿弥陀経」には極楽浄土のすばらしさと、そこへ行きましょう」と書かれてあり、「観経」には、古代インドマガダ国のビンビサーラ王とイダイケ妃、アジャセ皇子の悲劇と、釈迦によって救われるエピソードが、そして「無量寿経」にはこれからお話する、弥陀の本願が書かれています。
弥陀の本願
とは、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩と呼ばれていた時に立てた「すべての衆生が救われないうちは、私は最高の悟りは得ない」との四十八の誓いです。
そしてその十八番目がわが国の浄土系宗派でとくに重要視されている、
設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法(設《も》し我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽《しんぎょう》し、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く(下線筆者)です。
筆者訳:たとえ私が悟りを得ることができたとしても、すべての人達が、まごころを持って、わが西方極楽世界に生まれたいと願い、あるいはそのような思いが十回も繰り返えされたときには、必ずやわが国に生まれます。しかし、それでも彼らがわが国に生まれなかったら、私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪(父殺し、母殺し、阿羅漢つまり聖者殺し、仏の体を傷つける者、教団を破壊する者)を犯す者と、仏法を謗(そし)る者は除く。
じつは、この唯除五逆誹謗(正)法の一文が、これがその後の浄土思想にとって大きな問題となったのです。なぜなら、「すべての大衆を救う」と言っておきながら例外を設ければ、論理が自己矛盾しますね。
志慶真文雄さんと浄土の教え(3)弥陀の本願はフィクションです(2)
まず、五逆誹謗正法とは、
五逆:父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(初期仏教の最高の悟りに達した聖者。もはや学ぶことがないという意味)を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることを言い、一つでも犯せば無間地獄に落ちると説かれています(五逆を主君・父・母・祖父・祖母を殺す罪とする説もあります)。
誹謗正法:仏教の正しい教え(正法)を軽んじる言動や物品の所持等の行為。
などです。
しかし、前回お話したように、「すべての衆生を救う。ただ、五逆の罪と誹謗正法とを除く」の文章は明らかに自己矛盾があります。(後述するように、「五逆」の規定そのものがおかしいのです)。この例外規定が古くから浄土系の僧侶達、すなわち仏教の専門家すら悩ませてきました。なんとか矛盾を矛盾としてではなく、この主要な大乗経典を解釈したかったからです。そこで中国唐時代の僧善導(613-681唐代の浄土教の僧)は、「観経正宗分散善義(観経) 巻第四」において、大経(無量寿経)第十八願文から〈至心信楽欲生我国〉と〈唯除〉以下を除き、「称我名号」を加えて、
若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚(問ひていはく、四十八願のなかの《第十八願の》ごときは、ただ五逆と誹謗正法とを除きて、往生を得しめず。いまこの「観経」の下品下生の中には、謗法を簡《えら》びて五逆を摂せるは、なんの意かあるや。
としました。つまり、唯除五逆謗法という例外項目を削除したのです。その理由を「質疑(質疑応答)」の形式で次のように述べています。簡約しますと、
問い:おたずねします。(大無量寿経)阿弥陀仏の四十八願のうち第十八願には、「ただ五逆と誹謗正法とを、救済の対象から除外する」としていますが、「観(無量寿)経下品下生」には、「謗法した者を除外して、五逆を犯した者は救済する」と言っているのはなぜでしょうか。
答え:お答えします。「第十八願」で、「謗法と五逆とを除く」と言っているのは、この二つの罪悪は重大であり、もしそれを犯せば地獄に落ちて未来永劫救われないのです。ですから、阿弥陀如来は「その罪を犯すと極楽往生できない」と抑止(おくし:してはいけないという警告)なさっているのであって、方便なのです。じつはそれらの人々も救済されないわけではないのです。
要するに善導は「これは阿弥陀如来の警告に過ぎず、実際にこれらの罪を犯した人を救済するかどうかの問題ではない(から気にする必要なない)」と言っているのです(筆者には言い逃れとしか聞こえませんが)。この「功績」により、親鸞は「教行信証」の中で、善導を浄土思想の発展に貢献した七高僧の中の第五としています。
「日本仏教入門 基礎資料で読む」角川選書
「観経疏・散善義」(廣瀬杲著、神戸和麿訳注「曇鸞 浄土論註、善導 観経疏」中央公論社
〈大乗仏典中国・日本篇 第5巻〉
志慶真文雄さんと浄土の教え(4)弥陀の本願はフィクションです(3)
熱心な浄土真宗の門徒であり、自宅の一部を開放してその教えを広める活動をされている志慶真文雄さんの、「無量寿経は宝の山です」という考えの反証として、このブログシリーズを始めました。
じつは、筆者は「大無量寿経」がフィクションであることは論証の必要もないほど明白なことだと思っています。
さて、法然です。
浄土宗の開祖である法然(1133 – 1212、源空とも、親鸞の「正信偈」にある七高僧のうち第七)は比叡山第一の学僧と言われた人です。しかしやがてそこを去り、京都東山の麓大谷に住んで「浄土の教え」を説きました。すなわち、法然は、前述の善導が撰述した「仏説観無量寿経(観経)」の注釈書である「観無量寿経疏」(以下「観経疏」)の中の、「一心に弥陀の名号を専念して」という文を重視し、ひたすら南無阿弥陀仏を唱える専修念仏を唱道しました。法然の主著「選択(せんちゃく)本願念仏集」にも「偏依善導」(ひとえに善導一師に依る)と明記してあります。
じつは、法然のこの主著を読んでみても、重要な教えなどほとんど含まれていないことに気付きます。それでいいのです。法然は「ただ、南無阿弥陀仏とだけ唱えなさい」と言いたいだけなのですから。今まで述べてきましたように、仏教の大道は「自力による自らの救済」です。法然はその原理に逆らって「絶対他力」を説いたのです。よく、「法然が『ただ南無阿弥陀仏とだけ唱えなさい』と説いたのは、文字も読めず、高僧の説法を聞く機会もほとんどない当時の大衆にとっては、この簡単なお題目と唱える以外には救済される道はなかったからだ」と言われます。しかし、そうではなく、これこそ浄土の教えの根幹だからです。それを見抜いた法然はやはり天才としか言いようがありません。
唯除五逆謗法についての法然の受け止めかた
法然は、その主著「選択本願念仏集」大橋俊雄校注(岩波文庫)において、「この問題は、善導が『観経疏』で示す『抑止門』ですでに解決している」と、納得しているのです。
さらに、
・・・「観経」の文疏を條するの刻(とき)、すこぶる霊瑞を感じ、しばしば聖化に預かれり。すでに聖の冥加を蒙って、しかも「疏」の科文を造る・・・
と。
つまり法然は、善導が「観経疏」の執筆中に、霊瑞を感じてその中で聖化(阿弥陀さまの御化導)を頂戴された。そしてお経のどこまでが正宗分(本文)で、どこからどこまでが序分であるかという科文(分類書)を作ったと言うのです。
筆者のコメント:法然に「霊瑞を感じてその中で聖化(阿弥陀さまの御化導)を頂戴された」と言われては、筆者の検証の範囲を超えます。浄土教では、法然は善導の生まれ変わりだとも言います。いわゆる「ひいきの引き倒し」のたぐいでしょう。
いずれにしても、法然が、なぜ大乗仏教の根本経典の一つ「観経」そのものではなく、その解説書である善導の「観経疏」に依拠したかの理由はここにあるのです。つまり法然は、善導に従って五逆誹謗正法は意味のないことと考えてわざわざ省き、「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」としたのでしょう。いや、「そ知らぬ風を装って」、この例外項目を無視したのと考えられます。ここが親鸞とは大きく違うところなのです。それについて次回お話します。
志慶真文雄さんと浄土の教え(5)‐弥陀の本願はフィクションです(4)
親鸞(1173 –1262)は「教行信証」の著者で、現在の信者数公称1400万人の、わが国最大の仏教宗派の開祖ですね。法然を文字通り唯一無二の師と仰ぎ、その衣鉢を継いだと、生涯にわたって述べています。弟子唯円の書いた(異説も)有名な「歎異抄」第二章にも、有名な言葉、
・・・地獄は一条住みかとかし(たとえ法然上人にだまされて地獄へ堕ちても、親鸞はなんの後悔もない:筆者訳)・・・
と言っています。
唯除五逆謗法についての親鸞の受け止めかた
親鸞は、「教経信証」の冒頭で、
・・・わが宗旨は、「大無量寿経」をもっとも大切な聖典とする(筆者意訳)・・・
と言っています。つまり、親鸞が依拠したのは、法然のような「観経疏」ではなく、根本経典である「大無量寿経」へと戻っているのです。親鸞がなぜ「大無量寿経」にまで遡って依拠せざるを得なかったのかは、唯除五逆誹謗正法がどうしても気になって仕方がなかったのでしょう。まず、「尊号真像銘文」で、
・・・唯除五逆誹謗正法といふは、唯除といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ(罪人を嫌い)誹謗のおもきとが(重き咎)をし(知)らせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり(下線筆者)・・・
としています。つまり、法然とおなじ「罪を犯したものは・・・」ではなく、「罪を犯せば・・・」との善導の抑止(おくし、警告)の考え方ですね。そして、「教行信証・行巻」の巻末にある「正信念仏偈」の中で「善導独明仏正意(善導、独り仏の正意を明かす)」と、法然上と同じように善導を讃歎しています。
そしていよいよ「教行信証」です。こんどは、「観経」にある、アジャセ王の物語(註1)を引用し、最終的には五逆の大罪を犯した者も釈迦の教えにより救われるとしたのです。親鸞はまず、救いがたい三種の病、すなわちこの世で最も重く、治しがたく、死に至る病を説明しています。三種類の病とは、五逆、誹謗正法に加え、一闡提(信不具足、つまり仏法を信ぜず誹謗する者)の三つです。アジャセはこれらの三つの重い病に侵された象徴的な存在として描かれているのです。親鸞はこの三種類の重病を治すには、適切な治療を施す名医と良薬が必要であると言っています。その適切な治療を施す名医に当たるのが、よき指導者(釈迦のような指導者、善知識)であり、良薬にあたるのが、本人の「深い改悛の情」であると言っています。
親鸞の困惑は、「教行信証・信巻」に、
・・・それ諸大衆に拠るに、難化の機を説けり。いま大経(大無量寿経:筆者)には「唯除五逆誹謗正法」と言ひ、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」と言(のたま)へり。観経(観無量寿経)には、五逆の往生を明かして謗法を説かず。涅槃経には難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかが思量せむや・・・
筆者抄訳:・・・いったい、さまざまな大乗経典によると、そこには教え導くことの困難な人のことが説かれているが、いま「大無量寿経」では、「ただ五逆の罪を犯したものと、正しい教えを誹謗するものとは、救いの対象から除く」と言い、「観経(前述のように善導の「観経疏」はその注釈書)」には、五逆の人の往生を、明らかにしているけれども、教えを誹謗する人の救いは説かない。「涅槃経(大般涅槃経)では、救い難い人とその心の病について説いている。これらの真実の教えは、どのように伺ったものであろうか・・・
と述べていることからもわかります。つまり、「教行信証・信巻」は、まさに「唯除五逆誹謗正法」を説明するために書かれているのです。
註1アジャセ王の父殺し:アジャセ(アジャータシャトル)、前5世紀ごろのインドのマガダ国王。父のビンビサーラ王を殺し、母のイダイケ妃を追放して王位に付いたが、のちにその犯した罪におののき、苦しんだ。その後釈尊に救われ、仏教教団の保護者になった「王舎城の悲劇」と呼ばれる有名なエピソード)。
そもそも五逆謗法がおかしいのです
しかし筆者は、これは明らかに法然の考えからの後退と考えています。おそらく親鸞は弥陀の本願、すなわち「一切衆生の救済」の趣旨から言って、「唯除五逆誹謗正法」との「矛盾」に困惑し、煩悶し、無視することができなかったのでしょう。「教経信証」はまさにその「矛盾」をみずから納得するために書かれたはずです。つまり、「観経」に書かれている、父親を殺した古代インドのアジャセ王でも釈尊による救われたことを例として、「五逆を犯した者も救われる」と説いたのです。
しかし、そもそも、「大無量寿経」の、例外規定そのものがおかしいのです。「父や母を殺すのは重罪である」と言うのは、「兄弟ならいいのか」「他人ならいいのか」となってしまいますね。「阿羅漢(聖者)を傷付けること」も同様です。いかなる人を傷付けてもいけないのは当然でしょう。さらに、「仏教教団の和合を乱すこと」が最も重い罪なら、どのような不条理がその教団にあっても、一切不平を言ってはいけないことになります。「仏身を傷付けること」など後代の者達にとって不可能です。法然はさすがにそれをわかっており、さらりと受け流した。しかし、親鸞はそうはできなかったのでしょう。やはり法然の方が思想的には上だったと思います。
以上、「大無量寿経や観経などフィクションであり、ただ南無阿弥陀仏と唱えることこそ浄土の教えの本質だ(註2)」と理解した法然はやはり天才です。
註2じつはここにさらに深い意味があるのですが。のちほどお話します。
金子大栄「教行信証入門」(岩波文庫)
山折哲夫「教行信証を読む」(岩波新書)
弥陀の本願はフィクションです(6)まとめ
熱心な浄土真宗の門徒であり、沖縄県うるま市で自宅の一部を開放してその教えを広める活動をされている志慶真文雄さんの、「無量寿経は宝の山です」という考えの反証として、このブログシリーズを始めました。「無量寿経」がフィクションであることは論証の必要もないほど明白です。法然の思想は別にあるのです。志慶真さんはフィクションから何を得ようとされるのでしょうか。志慶真さんが教えを広める活動をしていらっしゃるのは尊いことです。しかし、教えを広めるためには、経典類の科学的な検証が不可欠だと筆者は思います。
「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」。これが法然の思想そのものです。しかし、その真意はもっと深いところにあると考えています。それは浄土宗系の僧侶でさえわかっていないと思います。東日本大震災の被災地のある僧侶が「葬式仏教のどこが悪い」と言ったのは「居直り」でしょう。法然の著作のどれを読んでも、「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」としか書いていないのです。この法然の真意を理解したのが親鸞です。ただ、「唯除五逆謗法」だけは気になってしかたがなく、「教行信証」を書いたのですが、「それは法然の思想からの後退だ」とお話しました。
一方、「歎異抄」で、親鸞の教えのあまりの単純さに不安を抱き、「もっと重要な秘儀などがあるのでは」と、はるばる東国から十何か国を経て京の都まで尋ねて来た弟子に、「他になにもない」と親鸞が言ったのは当然でしょう。以前のブログで、「歎異抄は、出来の悪い弟子たちの心得違いを諭すための書であり、崇高な思想などない。日本人は早くその呪縛から逃れるべきだ」とお話したのは、この理由からです。現在でも「歎異抄」を「最高の書である」と尊重する人は多いのですが・・・。
思想家小林秀雄が「日本仏教は衰退する」と言ったのはもう70年も前のことです。それは現在一層拍車が掛かっています。宗教者でも何でもない葬儀社が法事を代行していますね。以前、筆者は親しい友人の葬儀で、葬儀会館に雇われた僧侶の読経のあまりのいいかげんさに驚ろいたことがあります。第一、仏教に故人の供養の思想はありません。わが国の仏式の先祖供養は、古来の素朴な神式のものと仏教が習合したものなのです。筆者もけっして、仏式の葬儀を否定はしませんが。
それどころか、近年では、ネット上、旦那寺でもなんでもない寺の僧侶を派遣するサービスさえあります。遺族はその料金表から適当なセットを選べばよいのです。さらに、子孫が遠方に移住して、寺と檀家との距離がますます開き、無縁仏が増えています。東京に巨大なお墓ビルが出来ました。全自動式で、カードを入れれば「わが家のお墓」が眼前に出てくるのには驚ろかされました。
僧侶たちが少しでも早く本当の教えとは何かに気が付かないと、わが国の仏教は滅びます。あのキリスト教でさえ信者は減少しているのです。