鈴木大拙 即非の論理(2-4)

鈴木大拙 「即非の論理」(2)

 鈴木大拙博士(1870-1966)は、禅を東洋独自の思想として世界に紹介したわが国の誇る宗教学者です。また、栄西や道元によって伝えられ、日本の文化にも大きな影響を与えてきた禅の世界を、私たち現代人に開いてくれた人です。大拙博士の勉学の広さと深さは、筆者が垣間見るだけでも驚くべきものがあります。

大拙博士は、大乗仏教の基本である般若系経典の中心思想は「即非の論理」であると考えました。すなわち、金剛般若経の中の「仏説般若波羅密、即非般若波羅密、是名般若波羅密(釈尊は「悟りは悟りではない、だから悟りと名付ける)おっしゃいました」という表現に着目したと言われています(註1)。大拙博士はこれを「Aは即(そのまま)非Aである。ゆえにAである」と抽象化し、禅の基本的考えとしたのです。「即非の論理」についての理解は、大拙博士と筆者とは基本的には同じだと思いますが、少し違う部分もあるかもしれません。以下は、筆者による理解とお考え下さい。

 道元の「正法眼蔵 山水経巻」にも「古佛(註2)云、山是山水是水。この道取は、山これ山といふにあらず、山これ山といふなり。しかあれば、山を參究すべし、山を參窮すれば山に功夫なり。かくのごとくの山水、おのづから賢をなし、聖をなすなり。」とあります。
筆者訳:古(いにしえ)のすぐれた修行者は言っている。「昔は山は山、水は水にしか見えなかった。その後(修行が進むと)、山は山でなく、水も水でなくなった。ところが、さらに修行が進むと、山が山として水が水として新鮮に蘇ってきた」と。とても大切なことです。このことをよく考えなさい。

 これらの考えは筆者がこのブログで繰り返しお話している「空」思想=体験と軌を一にするものです。たとえば、「山」は、ふつう考えられていうような「山」だけではなく、「山を見るという体験」、すなわち「体験」の対象的側面もあるのです(ちなみに主観的側面は「観る私」です)。つまり、「山は即山ではない。だから山である」となるのですね。
「空」思想=体験が大切なのは、「あれは山だ」と思ったときはすでに、判断が入ってしまうからです。禅ではものごとが「観念」として一瞬たりとも固定化されることを徹底的に嫌います。「体験は一瞬の出来事であり、すぐ消える」はず。それゆえ、いかなる判断も、観念として固定化されることもないのです。「空」、すなわち「体験」の対象的側面とは、あくまで「なにかあるもの」なのです。それゆえ「山だ!」と思ったらもう山ではなくなる。つまり、「山は即非山」なのです。すなわち、山と非山、これらが一如(いちにょ)になった時が真の実在としての「山」なのです。これが「即非の論理」だと思います。

註1 「金剛般若経」には、類似の文言は多数ありますが、この言葉自体はありません。

註2 雲門文偃(うんもんぶんえん 宋代の禅師864‐949)「雲門廣録」に「諸和尚子莫妄想。天是天地是地。山是山水是水。僧是僧俗是俗」とあるといいます。

鈴木大拙 「即非の論理」(3)

 「即非の論理は禅の要諦である。それは、禅では観念の固定化を厳しく戒めているからだ」とお話しました。苦しみや悲しみ、そして怒りは、何度も思い出し、繰り返すたびに深まるものです。苦しみや悲しみ、怒りから逃れるのはとてもむつかしいのです。韓国の人たちは「恨みは1000年経っても忘れない」と言っています。従軍慰安婦像問題のむつかしさや、伊藤博文を暗殺した安重根の「血の一滴」の巨大なモニュメントを作ったことからもわかりますね。考えるまでもなく、それは韓国にとって何一つ良いことにはならないのです。筆者は韓国からの留学生を何人も受け入れたことがあり、今でも深く付き合っています。それだけに韓国の人達のそういった性情を気の毒に思うのです。
 一方、日本人はかなり対照的のようです。悲惨な太平洋戦争が終わって1年もしないうちに、「憧れのハワイ航路」とか、「粋なジャンパーのアメリカ兵が・・・」とか、「ジープの歌」が流行したのは、いささか呆れているのですが。もちろん日本人にとっても恨みや怒りの感情が続くことがあります。もう50年になりますが、1968年に、こんな新聞記事が出て、とても印象深く覚えていることがあります。山口県萩市の青年会議所が、福島県会津若松市の青年会議所に「今年は戊辰戦争からちょうど100年になります。ここらで昔のわだかまりを捨てて友好関係を築きませんか」とのメッセージを送りました。言うまでもなく萩は長州藩の本拠ですね。しかし、会津若松市の青年会議所は一言のもとにそれをはねつけ、古老たちの喝さいを浴びたそうです。
 怒りの感情に凝り固まっている人は、じつは相手より自分自身を傷付けているのです。他人に対する怒りや憎しみは、唯識で言う阿頼耶識=魂を傷付けます。筆者の古くからの知人に、ほとんど何十年にもわたっていがみ合っている2人がいます。2人ともに親しく付き合っていますが、こういうケースであり勝ちのように、相手も同じように自分のことを悪く言っていることに気が付かないのです。死ぬまで憎み続けるのでしょうか。
 
 筆者は長い間仏教について学んでいますが、怒りや憎しみを持ったままこの世の生を終えるというのはとてもいけないことだとわかります。人間が肉体を持ってこの世に生まれてきたのは、肉体を持つがゆえに出会う苦しみや悲しみを克服し、魂の成長を図るためだと言われます(註3)。この世のことはこの世で決着しておかなければいけないのです。筆者は「苦しみや悲しみや怒りから逃れるにはどうしたらいいか」、この釈迦以来の課題を受け継いで少しでもお役に立てたいと、このブログシリーズを続けています。のちほど改めて筆者なりに長年学んで来たノウハウについてお話していきます。
 
註3 いわゆるスピリチュアリズムの思想で、シルバーバーチのような高級霊がこの世の霊能者を通じて伝えて来るメッセージです。

鈴木大拙の大乗経典理解
 鈴木大拙 「即非の論理」(4)

 鈴木大拙博士の著作を読んでいて{あれ?」と思うことがしばしばありました。それは、大拙博士は大乗経典類も釈迦が説いたものだと考えているのではないかということです。それを立証する文章を見つけたので紹介します(「禅問答と悟り」春秋社 より)。

 大珠慧海(馬祖道一の弟子)と禅僧(ここでは法師)とのやりとり(原文は漢文。現代語訳は大拙博士による)

法師「師は何の法を説いていらっしゃいますか」
大珠「私には人を説き落として、救ってやるべき法などない」
法師「禅師家というのはそういうものですか」
大珠「あなたは何の法を説いているのか」
法師「金剛般若経です」
大珠「もう何回説いたか」
法師「二十回以上です」
大珠「その経はそもそも誰が説いたのか」
法師「もちろん釈尊です。(ご存知のくせにバカにしないでください)」
大珠「もしそうなら、お前がそれを説くのは釈尊を謗ることになるぞ(釈尊は教説は説くものではなく心で直観的に理解するものだと言っているのです:筆者)。

ここで大拙博士は明言しています。
 ・・・釈尊は「金剛経」どころか「大般若」六百巻を説いている。これを説かぬと言ってよいか。説かぬのが本当なら、一巻のお経もあってはならぬわけだ・・・

筆者註 この一節は経典の講釈を専門にする法師(教相家)と禅師との立場の違いを言っているのです。禅の世界ではひたすら問答と坐禅を重んじ、経典の解釈は二の次にしているからです。そのため当時このような論争がよくありました。経典の文言にとらわれて論争している弟子たちに向かって、道元が「只管打座(ひたすら坐禅せよ)」と言ったのはこのためです。ただ、筆者は小学生に対して坐禅を進めている現代の禅僧の言葉を聞きましたが、何もわかっていない子供に「坐禅をしなさい」など言うのはナンセンスでしょう。仏教では一般に「教行一如(学ぶことと修行はともに必要だ)」と言っています。

 下線の部分にご注目下さい。筆者の予想通り、大拙博士は大乗経典類は釈迦の直説だと言っているのです。現代では、大乗経典類は釈迦の直説ではなく、死後数百年かけてインドの哲学者たちが作り上げた、ほとんど別の思想であることに疑いを持つ研究者はいないと思います。筆者は、大乗経典類を釈迦の直説とするかしないかで、仏教研究者の見識の一つの分かれ目としていますが・・・。

 なお、大拙博士は禅の根本経典は「般若経典類」であると言っています。しかし筆者は、以前お話したように、むしろ「法華経」の方が禅の思想的背景として重要だと考えています。たしかに「金剛般若経」にある「即非」の考えは禅の思想の一つではありますが、むしろ「空」思想の方が重要だと思います。なお、般若経の「空思想」や、あの龍樹の「空思想」は、禅の「空思想」とは異質のものであることは、すでにお話しました。

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