養老孟司さんと禅

禅の世界的関心(2)養老孟司さんと禅

前回も触れましたように、この番組(NHK「金とく 禅:心安らぐ神秘の世界2017/12/15)」には脳科学者の養老孟司さんもゲストとして招かれていました。しかし、養老さんのコメントについては、ブログでは意図的に割愛しました。その理由を今回お話します。

 番組の冒頭、アナウンサーが養老さんに「禅に関心をお持ちですか」と聞くと「禅寺の敷地内に自宅はあります」と答え、さらに「坐禅・瞑想に興味をお持ちですか」との問いに対し、「忙しくてやりません」と(「昆虫の標本づくりに忙しくて」という意味だとか)。そして「坐禅・瞑想は、昆虫の標本づくりと同じだと思います」と付け加えました。
 また、前回もお話したように、この番組の結論は「禅は不寛容社会を変えられるか」でしたが、アナウンサーが「養老さんはそれについてどうお考えですか」と質問すると、「これからですね。やってみなければわからない」と答えました。さらに「今の世界は禅的であるべきだとお考えですか」と聞くと、「禅の時代であってもいい」との答えでした。さらに、パックンが「Zenという言葉は、今では英語やフランス語では、と言う意味と「穏やか」と言う意味の両方で使われています」と言ったところ、養老さんは「ポルトガルではZenというレストランがあります。自然志向をうたっているのでしょう」と口を挟みました。
 ことほどさように、養老さんの発言は終始この番組の主旨にそぐわないものだったと思います。養老さんのかねてからの持論は「体を健康にすれば脳も健康になる」だと思います。つまり、この番組に関して言いますと、「脳を健康にするために禅などは必要としない。脳は体の一部に過ぎない」と言うのです。「体を健康にすれば脳も健康になる」は、筆者も以前聞いたことがあります。

 それにしても養老さんはずいぶん失礼な人だと思いました。NHKがゲストとして招いたのは失敗だったと思います。養老さんが禅に関して、そして脳の健康についてどんな考えを持とうと自由です。しかし、当然、最初にNHKから番組の趣旨を聞いているはずです。ゲストとしての出席を打診された時、「私は禅のことはよくわかりませんので出席できません」と断わるべきでした。ゲストの役割は、番組の趣旨を十分に理解して、内容を補強したり、場合によっては疑問を呈することでしょう。しかし、「私の自宅は禅寺の敷地内にある」とか、「ポルトガルではZenというレストランがあります」などのトンチンカンな受け答えをするのはいかがなものでしょう。番組を通じて養老さんのコメントは終始ズレていたのが印象的でした。

 ちなみに、養老さんが「坐禅・瞑想は、昆虫標本作りに熱中することと同じだ。だからわざわざ座禅会に出席する必要なない」と言ったのは明らかに誤りだと思います。たしかに、昆虫標本作りのさいには、意識をその作業に集中することが必要でしょう。坐禅・瞑想と一見、似ていると考える人もいるかもしれません。しかし、昆虫の標本づくりのさいには、「いかに正しく、美しい標本にするか」に懸命に頭を働かせているはずです。一方、道元の言う「只管打座」とは、「何も考えない」で座ることなのです。禅の有名な言葉に「正法眼蔵・普勧坐禅儀」でも紹介された「不思量」があります。

禅の第六祖 薬山惟儼(いげん)の言葉を引用したもので(以下筆者簡約)、
僧 :坐禅のさいなにを考えるのですか。
薬山:思量しないところを思量するのだ(不思量)。
僧 :思量しないところをどのように思量するのですか
薬山:思量にあらず(非思量〉。

(この公案については、すでにこのブログシリーズでお話しました。)

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