読者のコメント(11)
読者からの新しいコメントがありました。信仰に関する大切なことだと思いますので、ここでも、あらためて取り上げさせていただきます。
筆者のブログ「新島襄と神の啓示」に対する高橋順子さんの御意見
1)「クリスチャンが聖書に頼り過ぎていることが、今の日本のキリスト教界の低調化の原因では?」という筆者の意見に対して:
・・・私は、クリスチャンです。聖書は神の啓示によって書かれた書であり、キリストを知るための書です。キリストこそが神です。それを信じる者がクリスチャンです。聖書がなかったら、何をもってキリストに倣えばいいのでしょう。とクリスチャンは考えます。未信者の方の感覚も理解できます。キリストを信じているかいないかで聖書の価値は全く違うと思われます・・・
筆者の感想:敬虔な信者のお言葉を聞き、心洗われる思いがしました。筆者の甥も熱心なキリスト者で、あるカソリック教団の機関紙の編集に携わっています。筆者の元にも毎月送ってくれます。それらを読みますと、わが国のキリスト教界は、いわゆる(言葉は悪いですが)「ジリ貧」だと言います。その理由と思われるものを、甥の編集上の手助けになればとブログに書いたのです。結論から言いますと、わが国のキリスト教は、あまりにも聖書に頼り過ぎているため硬直化していると思います。これに対し仏教は釈迦以後、インドはもちろん、中国、そしてわが国で次々に優れた思想家が現れ、仏教思想を革新し続けてきたのです。それが大きな発展をもたらしたと思うのです。キリスト教も新しい活性化がぜひ必要だと思います。時代とともに常に革新続けて行かなければ、いかなる宗教も、組織も衰退するのは自然の理でしょう。
あなたが新・旧どちらに属する方かわかりませんが、ぜひあなた自身の生の信仰体験をお知らせ下さい。すぐに甥に転送します。きっと機関紙編集上の大きな刺激になると思います。
2)筆者のブログ「人工知能(AI)は宗教に取って代われるか」に対する高橋順子さんのご意見:
・・・宗教とは、救済とするならば、自分自身以外の何かに求めているのが宗教ではないでしょうか。そして信心なくしては意味がない。人が作ったと知っているものを信仰できたとしても救いはないと思います・・・
筆者の感想:おっしゃることはよくわかります。ところが中国にはすでに関連するAIの会社があり、お金を払って会員になると、個人ごとに「相手」が設定されます。こちらが若い男なら、「相手」は若い女性というように選べます。こちらのさまざまな個人情報を送ると、AIはそれらを記憶し、処理して、その人の現状を分析し、将来を判断できるようになると言うのです。それ以降、何か相談があってこちらの思いを訴えたり、聞きたいことを尋ねると、「その人に最もふさわしい答え」を教えてくれると言います。AI技術は急速に進歩していますから、すぐに「相手」は画像になり、まるで生身の人間が相談に乗ってくれていると思えるようになると思います。いつでも若くて素敵な女性が親身になって相談に乗ってくれるのです。男女・年齢を問わず、孤独な人間を温かく、やさしく癒してくれるでしょう。けっして「バカバカしいこと」と思ってはいけないと思います。旧来の硬直した宗教より、はるかに有効な癒しの手段になるかもしれません。筆者はけっしてその流れを肯定しているわけではありませんし、問題は大きいと思いますが、これが現実なのです。