能楽と禅(1,2)

能楽と禅(1)

 室町時代に観阿弥・世阿弥親子によって大成された能楽も禅と深い関係があるとされています(世阿弥は東福寺の岐陽方秀の下で参学したと伝えられています)。しかし、能楽と禅との結びつきを解説した本(たとえば鈴木大拙「続禅と日本文化」註1)やブログを読んでもピンと来るものはほとんどありませんでした。たとえばある人の解説:

 「禅は、自分とは何か、いかに生きるかを追求する。絶対平等の自己、無相・無位の自己、慈悲・光明の根源たる自己、それに目覚め、その本質になりきり生きようとする道である。苦を持つ者は、まず、それを解消する。苦の解消なしに、本格的に修行はできないからである。自分勝手な見方、エゴイズムの眼を捨て、エゴイズムの行動をやめる・・・世阿弥は「花鏡」の中で次のように述べている。  
 ・・・いろいろな技芸はつくりものにすぎない。それを支えて生かしているのは心なのだが、この心の存在を人に見せることがあってはならない。万一、見せてしまえば、それは操り人形の糸をみせてしまうような失敗である。さらにいえば、舞台に出て演戯をしているときだけのことではない。夜も昼も、日常生活のあらゆる瞬間に、意識の奥底の緊張を持続して、すべての動作を充実した心の張りでつなぐべきである。このようにつねに油断なく工夫しているならば、そのひとの能はしだいに向上して行く一方であろう。この条項は、秘伝の中でもとくに最高の秘伝である。ただし実際の稽古にあたっては、こうした不断の緊張のなかで、おのづから締めつゆるめ(緩め:筆者)つの呼吸があるべきである・・・

 世阿弥が教えている秘伝は、能の役者は常に日常生活の中で禅の実践工夫をせよ、ということである。世阿弥が、日常生活において常に工夫するといっているのは、禅である。禅者は世阿弥が言うような工夫を常にしていくのである。人は自覚せずに、考えを常に廻らしている。そんな妄想をせず、いつも、自分のなしていることを自覚している。正念である。また、熱心な禅者は、おごらない、名誉欲・財欲・権力欲に執着しない、無私、無恐怖、悪をなさない、他人の評価を気にしない、などの独特の生き方になって現れる。一休、芭蕉、良寛などを見ればおわかりであろう。世阿弥もそれを秘伝中の秘伝というのである。そうすれば、無心の能、上三位の能を舞える名人になるというのである。秘伝中の秘伝という意味がわかるのではないだろうか。このような工夫を能の関係者は実践しておられるのだろう。「公開された秘密」、それが禅であり、法華経であり、私たちの心である。みな、こころ、仏を見ているのに、こころ、仏がわかっていない・・・

いかがでしょうか。これは一般論であって(じつは太字の個所など一般論にすらなっていない)、観阿弥や世阿弥ならでの言葉はどこにも表れていないように思います。観阿弥・世阿弥の思想は別にあるのです。それについては次回お話します。

能楽と禅(2)
  能楽に「隅田川」という演目があります。あらすじは、

  春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場に女がたどり着きます。気が狂れていると思ったが、船頭が事情を聞いてみると、都から人さらいにさらわれた12歳の息子を捜しに来たと言う。船頭は「お前さまは気など触れていない。じつは、ちょうど一年前の今日、ここで亡くなった子供があり、死ぬ間際に、都の『吉田何某の子梅若丸です。自分が死んだらここへ柳の木を植えて供養してほしい』と言い残しました。命日の今日、村人が供養の大念仏をします」と言った。女は「それこそ我が子に違いない」と、村人とともに念仏に加わった。鉦鼓を鳴らして大念仏を唱えて弔っていると、母が「みなさま静かにしてほしい。子供の声がします」と言うと、塚の内から梅若丸の亡霊が現れ、ともに念仏を唱えていたのです。母が抱きしめようと近寄ると、幻は腕をすり抜けてしまいました。やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消え、母はただ塚の前で涙にむせぶのでした・・・

 世阿弥の子と言われる観世元雅(1394‐1432?)作です。筆者はおよそ20年前にテレビで鑑賞しました。とても印象的だったのは、能の様式に従って言葉も所作も抑えに抑えたものだったのですが、見ていて涙が止まりませんでした。演者の表情は文字通り「能面のように無表情」でした。言葉も情景描写も字幕がなければわからなかったほどです。それでも演技から訴えて来るものに筆者の心が揺さぶられ続けました。能楽のすばらしさに圧倒されたのです。能楽によって、現代の映画やテレビ・演劇技法の一切が否定されてしまいます。恐ろしいことです。現代芸術は騒々し過ぎませんか?能楽ではあらゆる余分なものをそぎ落とし、究極にまでシンプルなものにします。そして静かに静かに私たちの心に沁みこんでくるのです。これこそ観阿弥・世阿弥がした表現した禅の心だと思います。

 家庭も持たず、名誉にも富にも一切無頓着な清貧そのものの生涯を送った良寛さんの生き方に通じますね。良寛さんは「雨の降る粗末な草庵の中でゆったりと足を延ばしている。それだけでこの私の心は限りなく豊かです」と詠っています。

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