死の体験旅行(1,2)


死の体験旅行(1)

 近年、仏教寺院で行われている「死の体験旅行」と呼ばれるワークショップが盛況のようです。すなわち、参加者がガンと宣告されてから、だんだん病気が重くなり、最後に死を迎える迄のプロセスを仮想体験するのです(くわしくは後で述べます)。

 たとえば浄土真宗の浦上哲也住職が開催するイベントの参加者には、「最近家族が亡くなったのでつらい」とか「転職や結婚で悩んでいる」といった人、20代で「まだ”死”そのものについて真剣に考える機会は少ないので、何が自分にとって大事なのかを考えたい人などが受講したと言います。NHK「あしたも晴れ、人生レシピ」でも紹介されました。

 パフォーマンスの内容は、まず、大切なものを4グループに分けて5項目づつ、計20項目書き出します。白い紙には「物質的に大切なもの(家、車、パソコン、携帯電話、時計、大切な人の形見等)」、青い紙には「自然の中で大切なもの(空、酸素、水、海、太陽、山等)」 、ピンクの紙には「大切な活動(仕事、読書、音楽鑑賞、スポーツ、子供と遊ぶ等)」、黄色い紙には「大切な人(奥さん、お子さん、両親、友人、先輩等)」。ワークショップの経過は、

「体調の変化を感じ、病院の予約を取る」ときに1枚捨てる、
「検査を受ける」で3枚捨てる、
「ガンを告知される」でまた3枚、
「手術を受けて、治療のため仕事を辞める。体は疲れやすく、あらゆる行動が難しくなってくる」でさらに2枚捨てます。
「数ヶ月が過ぎ、治療の中止と緩和ケアへの移行を伝えられる」で3枚捨てます。

・・・こうしてストーリーは進み、最後に残った1枚も丸めて床に捨てて、「死」を迎える・・・と、すべての紙を捨てるまでの時間は約25分間だそうです。

 参加経験者には、体験の途中から涙を流す人もあり、体験後、「改めて、今生きている時を大切に生きようと思いました。(いつでもいいやと、だらだら過ごしてしまうので)」(40代・女性)とか、「ここでしかできない体験だった(20代・男性)」、あるいは、「死」を感じて「生」を静視する。感謝の気持ちがふつふつとわいてきたことが意外であり、驚きでした(40代・男性)」。「最後に知らない人と意見交換して、自分と全く違う考えをもつ人の話を聞けておもしろかった(20代・女性)」、「普段考える機会のない「死」について考えてつらかったけれど、改めて、大事なもの、ヒトの認識ができて良かった。(10代・女性)」など、ワークショップは意義深いものようで、参加希望者が引きも切らないようです。

 ただ、筆者はそういう話を聞いているうちに何か引っかかるものがありました。やがてその理由がわかりました。それについては次回お話します。

死の体験旅行(2)

 もともとこのワークショップは、アメリカでホスピス(末期ガンなど、治療の見込みがなくなった人たちが安らかな死を迎えられるようなケアを行うための専門施設)で看護師やボランテイアが、死を迎える人たちの心を共有するために始まったと言います。その主旨はとてもよくわかりますね。日本でも山崎章夫医師(1947~。在宅診療支援診療所ケアタウン小平クリニック院長。ベストセラー「病院で死ぬということ」の著者)が、大学の授業としてもこのワークショップを行いました(「死の体験授業」サンマーク出版)。

 著者山崎章夫さんは、もともと外科医でしたが、終末医療の重要さと不備な点を感じ、今では「自宅で最期の時を迎えられるためのクリニック」を開いていらっしゃいます。さらに、定期的に遺族同士が集まって話し合える場所も提供しているとか。病人を治して元気になってもらうことが医師としての喜びであり、生き甲斐でしょう。山崎医師はこれまでに2000人以上の人を看取ったと言います。山崎医師によると、25%の人がケアを初めて2週間以内に、50%の人が一ヶ月以内に亡くなるとか。この種の医療は経営的にはとても苦しいと思います。頭が下がりますね。 

 以前にも書きましたが、筆者は多くの友人をがんで亡くしました。そのたびにたまらなかったのは、これらの友人たちの心理が、まさにこのワークショップのような経過をたどったと想像されたことです。すなわち、どうも体調がおかしい→ためらったのちに病院を訪れ→ガンの疑いを指摘され→「まさか」と思っても検査が進むにつれて疑いが確実に変わり→体調の悪化もそれを実感させ→死を予感させるようになり→最後にそれが決定的になる・・・というプロセスです。家族のこと、やりのこす仕事のことを考えて眠れない夜を重ねたでしょう。

 前述の、仏教寺院での浦上さんらのワークショップは、山崎さんらの経験を仏教に取り入れ、いろいろ演出を加えて実践しているようです。

 しかし、ここで、筆者が最初に浦上さんらの実践を見聞きして感じた違和感の内容がわかりました。まず、浦上さんは、民家を改造した自宅「寺院」でこのワークショップを行っています。つまり、葬儀はまったく行わず、したがって死に対してほとんど経験がないことです。この点山崎医師とは決定的に違います。そして、おそらく参加者の大部分が最後まで残すカードは、「子供」とか「母」でしょう。「パソコン」とか「山」とか「読書」などでないことは初めからわかっているはず。つまり「出来レース」なのです。さらに、浦上さんが行っているのは、「厳かなナレーション」やBGMなどを含め、催眠術となりかねないのです。いや催眠術そのものだと思います。「涙を流す人がいる」との予備知識に影響され、「涙を流す」人もいるでしょう。このパフォーマンスには限界があることの何よりの証拠は、大部分の人が、2回目を受ける気持ちにはならないはずだということです。つまり、原理的に「心の問題」の解決にはなりえない、たんなるゲームだと思うのです。

 すなわち、前述の山崎章夫医師のワークショップの目的とはまったく違うのです。山崎医師は、実際に数多くの死を看取った経験があります。その経験を踏まえて、ホスピスや自宅で終末医療に実際に携わる看護師や家族が、患者の気持ちにできるだけ寄り添えるためのものなのです。目の前に終末期の、あるいは亡くなった肉親がいるのです。現実的ですし、何回実践しても意味があるはずです。

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