これまでのブログで、近年日本の少年が起こした様々な異常な事件についてお話しました。読者の皆さんは日本人だけが異常になったと受け取った方もいらっしゃると思います。しかし、そうではありません。日本はむしろ世界の人々が驚いた美しい心を持っていることを東日本大震災(以下、大震災)の被災者の皆さんが行動で示しました。次は、その2年後、元世界銀行副総裁の西水美恵子さんによる寄稿です(毎日新聞)。西水さんは、大震災のとき外国にいましたが、ちょうど日本にいた元部下から、被災者の皆さんの行動について感動的な報告を受け取りました。それが「日本から学ぶ10のこと」です。この元部下はその後ワシントンに戻り、「これが世銀やIMF(国際通貨基金)内はもとより世界中を駆け回っている」と西水さんに伝えました(寄稿はもちろん日本語ですが、少しわかり難いところもありますので、原文を参考にして筆者の責任ですこし字句を変えさせていただきました)。
日本から学ぶ10のこと
1.平静:悲嘆に胸をかきむしったり、取り乱す姿などは見当たらなかった。
悲しみそのものが気高かった。
2.威厳:
水や食料を得るためには秩序正しい行列があった。乱暴な言葉や、無作法な動作など、一つとてない。
3.能力:
例えば、驚くべき建築家たち.ビルは揺れたが,崩れなかった。
4.品格:
人々は、皆んなが何かを買えるようにと、自分に必要なものだけ買った。
5.秩序:
店舗では略奪が起こらなかった。路上では追い越し車も警笛を鳴らす車もない。思慮分別のみがあった。
6.自己犠牲:50人の作業員が原子炉に海水をかけるために留まった。どうしたら彼らに報いることができるだろうか?
7.優しさ:
レストランは値下をした。無警備のATM(現金自動受払機)から現金を抜き取る者はいなかった。強者は弱者を介助した。
8.訓練:大人も子供も、すべての人が、何をすべきか知っていた。そして、なすべきことをした。
9.報道:
崇高な節度を保つ速報。愚かな記者やキャスターなどいない。平静なルポのみがあった。
10.良心:
停電になった時、レジに並んでいた人々は品物を棚に戻して静かに店を出た。
筆者の感想:もちろん、震災直後、無人の家屋に入って物を盗んだり、ATMから現金を引き出そうとしたケースもあったことを私たちは知っています。しかし、それはごく一時期、一部地域に限られていました。これらのことは海外でも報道され、在住の多くの人が誇らしげに伝えています。多くの国ではこういう時略奪や暴動まで起こると言うのです。あの中国人ですら「中国人には見られない行動であり、感動した」と言っていました。
わが国には「日本人は悪い」という自虐的歴史観を持つ人たちがいます。筆者は彼らの発言をいつも残念に思ってきましたが、そういう人たちはこれらの海外報告を読んでどう思うでしょう。また、上記の日本のマスコミに対する評価も少し甘いと思います。あれ以来一貫して東京電力を一方的に悪と決めつけ、上記の尊い行為をした人たちのことは報道しませんでした。さらに、マスコミの正義を振りかざした報道姿勢が東京電力の一般従業員やその家族たちまで苦しめていることを配慮していません。
日本仏教にはスクラップビルトが必要です
日本人のこれらの美質は江戸時代の武士階級の精神構造を継いでいるのでしょう。それらは昭和20年の敗戦までは色濃く残っていましたが、戦後米国の占領政策が日本人のこの美質を急速に変貌させていったのです。すなわち、西洋の個人尊重思想は「自分さえよければいい」と歪められました。さらに、わが国独特の自然との共存思想は、人間中心思想によって捨てられ、いともかんたんに環境を破壊してきました。筆者は子供時代、春秋の渡り鳥をよく目にしてきましたが、現在ではまったく見ることはありません。餌も住む環境もなくなってしまったのでしょう。恐ろしいことです。
一方、中学校から小学校にまで及んでいる学級崩壊は、日本人の精神の劣化の表れであることは言うまでもないでしょう。個人的なことですが、筆者の孫は先日まで福岡県に住んでいました。中学校の学校破壊はすさまじく、授業が成り立たないため、上の孫はもっぱら塾で中学教育を受けていたと聞き、とても心配しました。下の孫も今年から中学生です。しかし、幸いにも父親の転勤で東京に移り、孫たちも福岡を離れました。この頃よく聞く学校での「いじめ」も筆者の小・中学校時代にはまったく聞かなかったことです。家庭での児童虐待は、50年前、筆者が「最近のアメリカ事情」として驚きを持って受け止めていたことです。それが現に日本で起こっているのです。そしてこのブログでお話した青少年による猟奇的事件も、日本人の美質が急速に失われていることの表れでしょう。私たちは是が非でもこの流れを断ち切らなければなりません。そのためにはまず日本が自己中心の競争化社会になったこと、他人を思いやる心が薄れてしまったことに気づかなければならないと思います。
それには宗教を見直すことがとても大切だと思います。あの良寛さんは清貧の生活を送り、「居るだけで」周りの人の心を和やかにした人です。長い禅の修行を通じて、「人間にとって何が一番大切か」を体得されたのでしょう。今、欧米ですら日本の禅に強い興味を持つようになったと言います。当然でしょう。しかし、肝心の現代日本仏教が大きな曲がり角に来ています。多くの寺院が倒産の危険にあることがその証拠でしょう。魅力を失ってしまったのです。なによりも僧侶も宗教学者も仏教を正しく理解していないことが問題だと思います。宗教のスクラップビルドが必要なのです。坂本龍馬風に言えば、「日本仏教の洗濯」が急務ではないでしょうか。